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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

灰色の森

作者: ゆうい

 僕の国マカリアと隣国のナザルの間で起こった戦争は、半年ほどの間一進一退を繰り返した末、結局、両国のもともとの国境線である「アナイダ河」を挟んで睨み合う形で膠着した。両軍とも河岸のところに大勢の兵士や武器を残したまま、昼夜を問わずにお互いに監視し合っているのだそうだ。そういう不毛な状態が、もう、ひと月以上も続いていた。

 この戦争で僕の父親は命を落とし、そして、僕の妹は行方不明になった。

 ……いや、正確に言うと、行方不明なのではない。行方はちゃんと分かっている。ただ、こちらから迎えに行くことも、彼女が自ら帰って来ることも、出来ないだけだ。

 戦争が起こったちょうどその時、妹は敵国のナザルにいて、戻って来ることが出来なくなってしまったのだ。

 もともと、マカリアとナザルの両国は交流が盛んで、観光や買い物などで訪れる人や、現地に住み着いて仕事をしている人なども、多かった。僕たちの母方の叔母であるクレアさんも、その一人だった。今流行りの「キャリアウーマン」というやつに憧れて、単身ナザルに渡ったクレアさんは、そこでデザインの仕事をしていたのだ。

 彼女が大好きな妹のサラは、高校の休みを利用して、彼女の家に遊びに行っているところだったのだ。

 ……ちょうどその時戦争が起きた。妹はそのまま帰れなくなった。

 なんの前触れもなく突発的に始まってしまった戦争のため、マカリアにいたナザル人も、ナザルにいたマカリア人も、自分の国へ逃げ出す暇さえなかったのだ。

 マカリアに取り残されたナザル人たちに対する強制収容が始まった、という噂や、隠れ家に潜んでいたナザル人が住民たちに見つかってリンチを受けて殺された、という噂を聞くたびに、僕や母や親戚たちは、こう考えて恐怖した。

 ……ナザルにいるサラたちにも、同じことが起こっているんじゃないだろうか、と。こちらの国で起こったことが、どうして向こうの国では起こらないと言い切れるだろうか、と。

 けれど、ただの一般市民である僕たちには、どうすることも出来なかった。死んだ父さんとあまり頼りにならない神様に、祈ることしか出来なかった。

 日に日に憔悴していく母の姿を見るのが辛くて、それに、自分の無力さを認めることが恐ろしくて、僕は毎日銃後を支えるボランティア作業に参加した。熱烈的な愛国少年みたいな顔をして。

 ……とはいえ、全く希望がないわけではなかった。サラの無事を信じられる要素が、全くないわけではなかった。なにせサラは、あの時クレアおばさんと一緒だったのだ。男勝りで行動的で、高校の時には男子のフットボールチームに無理やり参加していたという、あの無敵のクレアおばさんと。


 そんなある日、ジャンおじさん (こちらは死んだ父のお兄さん) が僕たちの家にやって来て、言った。

「国境を越えてサラとクレアさんを助けに行こう」と。

「戦況が膠着している今だけが、おそらく最初で最後のチャンスだ」と。

 交戦中の敵国に侵入して人を助ける、なんて、無謀なことに思えるかもしれない。馬鹿げたことに思えるかもしれない。けれど、開戦前のマカリアとナザルは、ビザなしでどこにでも入って行ける関係だったのだ。国境線は常にオープンだったのだ。戦争中の今であっても、両軍の主力が展開する国の中央地域以外ならば、国境を越えて中に入ることくらい、不可能なことではないのかもしれない。それに、両国の国民には見た目の違いなどほとんどないのだ。人種は全く同じなのだ。国境を越えて一旦中に入ってしまえば、その人がどちらの国の人間かなんて、誰にも分かりはしないのだ。それに何より、これはジャンおじさんが言い出した作戦なのだ。膝を悪くして今は退役したけれど、昔はとても優秀な軍人だったという、あのジャンおじさんが。

 それでもなかなか決断できずに、下を向いて黙り続けている僕に、おじさんは、こんな話を付け加えた。

「侵入するのにちょうどいい、警備の穴も見つけてきたんだ」と。

 それは、ナザル北部の森林地帯のことだそうだ。ナザル北部のアナイダ河畔に広がっている、大針葉樹林帯のことだそうだ。そこは大木の茂る深い森で、マカリアからの車両を使っての侵攻なども不可能なため、かなり警備が手薄なのだそうだ。兵士がたまに見回るくらいで、監視のための施設なども一切置かれていないのだそうだ。アナイダ河を渡り切り、その森を二時間強ほど歩いて行けば、すぐにナザル北部の小さな町に出られるのだそうだ。

 ……その話を聞いた僕は、ようやく決断することが出来た。ようやく覚悟を持つことが出来、おじさんの顔を見ることが出来た。

「よし、やろう、おじさん。僕たちで二人を助け出そう!」

 そう力強い口調で僕が言い、こうして、サラとクレアおばさんの救出作戦が決定した。



 私が今生きているのは、クレアおばさんのお蔭だ。

 クレアおばさん、というのは、歳の離れた母の妹で、まだ三十代。若くて綺麗で恰好がいい、私の憧れの女の人だ。将来はこんな風になりたいな、と思える、私がお手本とする人だ。「なんだかがさつな人」、みたいなことをお兄ちゃんが言っているのを聞いたことがあるけれど、それは全く当たっていない。彼女はとっても繊細で、本当は誰よりも女らしい人なのだ。……まあ、お兄ちゃんなんかには彼女の魅力が分かるわけがないのだ。

 私はあの日も、そんなクレアおばさんに会うために一人でナザルを訪れていた。来年に迫った高校卒業後の進路のことを、是非ともおばさんに相談してみたかったからだ。

 私とおばさんは近所のカフェまで散歩をして、そこのオープンテラスの席に着いた。それからケーキを注文して、お互い一口味見をして、いよいよ、私の進路相談を始めようかと思ったその時、突然戦争が起きてしまった。まるで、突然の夕立か何かみたいなあっけなさで。

 ……私とおばさんは帰れなくなった。自由に出歩くことすら出来なくなった。けれど、おばさんの素早い判断と行動のお蔭で、私たちは強制収容所行きだけは免れた。隠れ家暮らしで情報不足な私たちにさえ悪い噂が聞こえてくる、あの地獄の収容所行きだけは。

 私が今生きているのは、Nさんのお蔭でもある。

 Nさん、というのは、クレアおばさんと同年代のナザル人の男の人で、クレアおばさんの勤め先の同僚だそうだ。(彼に何かあってはいけないので伏字にする) 私とおばさんの窮状を知り、ナザル人としてのアイデンティティよりもクレアおばさんの友人としてのアイデンティティを尊重することを選んでくれた、稀有な人だ。見た目的には少し頼りなさげな感じだけれど、本当はとっても頼れる人で、私もおばさんも全幅の信頼を置いている。ちなみに、危険を冒してまで彼が私たちのことを助けてくれたのは、クレアおばさんへの秘めたる熱い好意の故だ。……と、私は密かに確信している。

 私とクレアおばさんは今、そのNさんの家の屋根裏部屋で暮らしている。静かに、ひっそりと。Nさんが運んでくれる食料だけをあてにして。そして、天気の具合でたまに聞こえる、マカリアからのラジオ放送だけを唯一無二の楽しみにして。

 ……不満はもちろんたくさんある。けれど、そんなことは言っていられない。今の私たちに課されているのは、その日その日を生き延び続けることなのだ。


 そんなある日、Nさんが屋根裏部屋にやって来て、私とクレアおばさんに言った。

「マカリアに帰れるチャンスは今しかない」と。

「戦況が膠着している今しかない」と。

 そしてひときわ声を潜めて、

「警備が手薄なところも調べてきた」と。

 急な話にびっくりしている私たちに、Nさんは、さらに詳しい話をした。

 警備が手薄なところ、というのは、ナザル北部の森林地帯のことだそうだ。そこは大木が生い茂った森のため、マカリアからの車両を使っての侵攻なども考えられず、かなり警備が甘めなのだそうだ。そこを越えてアナイダ河さえ無事に渡れば、もうそこはマカリア国内なのだそうだ。

「国の中央に兵の配備が偏ってるから、今ならきっと上手くいくよ」

 そうNさんは言うのだった。

 ……私とおばさんは話し合った。何時間も何時間も話し合った。そうしてようやく結論を出し、私とおばさんは誓い合った。

「二人で一緒に国へ帰ろう」と。「そこで再びカフェに行こう」と。「あの時食べかけだったケーキを、二人で死ぬほど食べてやろう」と。

 こうして、私とクレアおばさんの脱出作戦が決定した。



 今にも雪が降り出しそうな曇天の中、僕とおじさんは出発した。

 電車やバスや乗り合いのトラックなどを乗り継いで、およそ三時間後、僕とおじさんはようやくアナイダ河に到着した。

 ぐるりと周囲を見回してみて、僕はびっくりした。本当に警備が手薄なようだったからだ。国の中央のほうでは河の両岸が両軍のテントなどでびっしり埋まっているらしいのに、この辺りは全くだったからだ。

 凍えるような冷たさの水に腰まで浸かってアナイダを渡り、僕とおじさんはどうにか森の手前まで着いた。

 まずは腹ごしらえだ。三方を岩に囲まれた目立たない場所を見つけ出し、そこに座って火をおこす。熱いお茶を時間を掛けてゆっくり飲み、パンとチーズの食事をとると、ようやく体の震えが収まってきた。

「これからはお前がお父さんの代わりなんだからな。お前がお母さんと妹を守らなくちゃいけないんだからな」

 食べながらおじさんはそういう話を僕にした。父さんが死んだあの日以来、もう何度も聞かされた話だった。

 食事を終えると、「ほら、これ持ってろ」と言って、おじさんがリュックの中から小型のサブマシンガンを取り出して、僕に渡した。

「しっかりと両手で持って構えれば、お前でもちゃんと当たるから」と言って。

「こんな物どこで手に入れたの?」とびっくりしながら僕は聞いた。

 するとおじさんは笑みを浮かべ、「ちょっと昔のコネを使った」と楽しげな口調で返事をし、自分の分のサブマシンガンも取り出した。

「よし、そろそろ行くか?」

 そう言っておじさんが立ち上がる。

「うん」と答えて僕も立つ。

 それからお茶で火を消して、それぞれ自分のリュックを背負うと、二人で小さく頷き合う。

「本当に警備は手薄みたいだけど、油断はするなよ? ここはもうナザルの中なんだからな、それを絶対忘れるなよ?」

 そう言い聞かせるように僕に言い、おじさんはゆっくり森へと入った。

「うん、分かってる」と僕は答えて前を向き、すぐにおじさんの後を追った。

 ふと冷たいものを首筋に感じて、僕は顔を上げた。

 どんよりと曇った灰色の空から、雨と見分けがつかないほどの小粒な雪が、チラチラと降り始めていた。



 出発の日、部屋から出て来た私たちを見て、Nさんは大笑いした。

「なんだ、二人ともずいぶん色気がなくなっちゃったな」と。

 女だと分からないほうが色々動きやすいだろうと、昨日の晩、私とおばさんは長かった髪をお互いにバッサリ切り合ったのだ。私もおばさんも田舎の子供みたいなかなり悲惨なことになっていて、それをNさんは笑ったのだ。

「何? 髪の長い女らしい女じゃないと、助ける気が起こらないって、そういうこと?」とクレアおばさんが冷たい笑顔で突っかかると、Nさんは、「いやあ、そんなことは言ってないけど……」とへらへら笑って誤魔化して、その話題を終わりにした。

 これはこの二人の定番のやり取りだ。隠れ家暮らしのみじめさに私が沈んでしまわぬようにと、おばさんとNさんはいつもこうやっておどけた感じのやり取りをして、私のことを笑わせてくれる。その気遣いにどれほど私が感謝しているか、気づいていないのも二人らしい。

 私たちの荷物をNさんが全部持ってくれ、私とおばさんは本当に久しぶりに隠れ家を出る。ドアの目の前のところに止められた大きなトラックに乗り込んで、すぐに私たちは出発する。

 運転するのはNさんだ。私とおばさんは二人で詰めて助手席だ。荷台のところに幌などのついていないタイプのトラックなので、少し狭いけれど仕方がない。後ろに乗るとたぶん酷く寒いだろうし、それに何より目立ってしまう。

 徐々に徐々に遠ざかる隠れ家を視界の端で捉えながら、私は思わず溜め息をつき、心の中で呟いた。

「……さよならナザル。今から帰るよ、お母さん、お父さん、お兄ちゃん」


「……なあ、二人とも」

 無事に町の中を抜け、郊外の田園地帯に入った辺りで、突然Nさんが言い出した。

「俺たちのせいで二人には色々と辛い思いをさせたよな、本当にごめんな」

 ナザル側から先に手を出して始まってしまった戦争のことを、Nさんは前から、酷く負い目に感じているのだ。まるで、自分がやったことのように。

「ねえ、N」

 そんなNさんを怒ったような顔で見て、おばさんがすぐさま言葉を返した。

「別にあなたが謝ることじゃないのよ?」と。

「あなた、いつからナザルの大統領になったの?」と。

 それから顔を柔らかくして、

「あなたのお蔭で私とサラは生きてるのよ? それで、これから国へ帰れるのよ?」と。

 その意見に私は激しく同意を示したかった。けれど、胸がいっぱいで言葉が出なくて、私は何度も何度も首だけを縦に動かした。

 そんな私とおばさんを見て、それでもNさんは悲しげに続ける。

「でも、俺もやっぱりナザル人だからさ。君たちに恨まれても仕方のない、君たちの敵のナザル人だからさ」

 そんなNさんの発言に、今度も即座におばさんは返す。

「ねえ、N。ナザル、ナザルってあなた言うけど、それ、ただの国名でしょ? 組織名でしょ? そんな曖昧なものを激しく憎んで暮らしてる人って、よっぽどの馬鹿か暇人なのよ。風車と決闘するようなものよ。でしょ? ……それともあなた、私たちのことそんなに馬鹿だと思ってたの?」

 クレアおばさんがいつものような冷たい笑顔で突っかかると、「いやあ、そんなことは思ってないけど……」とNさんはいつものようにへらへら笑って誤魔化して、その話を終わりにした。

 その後少し間を置いて、神妙な顔でNさんは言った。

「……ありがとう」

 おばさんも、真面目な顔で返事をした。

「……こちらこそ」

 トラックはゆっくり進んで行き、私はNさんの腕に自分の腕が当たらぬようにと、必死で体を踏ん張っていた。



 いつの間にか雪が本降りになってきた。足元が白く染まり始めていた。僕とおじさんはそんな中、もう一時間以上は歩き続けている。おそらく、森の半ば辺りまでは進んで来ることが出来たはずだ。……低く垂れこめる雪雲も、周りを囲む針葉樹も、僕の口から漏れ出る息も、全てのものが灰色に見える、異国の深い森の中を、だ。

 ふと何かが動く気配を感じて、僕は顔を上げた。前を歩くおじさんが手を挙げ、僕に向かって制止の合図を送っていた。

 見ると、三十メートルほど離れた前方の大きな岩陰に、二人のナザルの兵士がいた。

 どうやら、見回りの途中で休憩をして、再び動き始めるところのようだ。

 僕とおじさんは素早く大木の裏に隠れ、そのまま、息を詰めて相手の動きを窺った。

 二人の兵士はそれぞれリュックを肩に背負うと、ゆっくりと岩陰のところから外に出て来た。そして、僕とおじさんには全く気づかぬ様子のまま、慎重な感じで周囲の様子を見回し始めた。

 ……遠いし雪が降っているので、彼らの顔までは見えなかった。けれど、上下灰色のナザルのいかつい軍服だけは、嫌というほどよく見えた。

 父さんを殺したやつもたぶん着ていた、濃い灰色のそれだけは。

 ……その瞬間、僕の中に激しい憎しみの感情が沸いた。自分では制御も制止も出来ないような、深くて激しい感情が沸いた。

 気づくと僕は動き出していた。無意識に体が動いていた。

 木の陰から一歩出て、おじさんに言われた通りにサブマシンガンを構えると、「やめろ、まだ気づかれてないからやめろ」と小声でたしなめるおじさんも無視して、一気に銃の引き金を引いた。

 ……パパパパパンッと大きな音が沸き起こった。

 周囲の空気がビリビリ震えた。

 それから一瞬間を置いて、僕が我に返ったちょうどその時、二人の兵士はバタリと倒れた。声も出さずにその場で倒れた。

「馬鹿! 気づかれないうちに撃つやつがあるか!」

 厳しい口調で言いながらも、おじさんがすぐに銃を構えて引き金を引き、とどめの銃弾を兵士たちに送る。兵士たちの体が魚のようにビクビク撥ねて、やがて完全に動かなくなる。

 それを確かめ息をつき、苦笑交じりにおじさんが言う。

「まあ、でも、よくやったぞ……」

 言いながら僕に顔を向ける。

「あのままじゃ、どうせ戦闘になってたかもしれないしな」

 それから再び息をつき、僕の背中をポンポンと叩くと、おじさんは再び歩き始める。

「さあ、今の音でクソナザル人どもが集まって来るかもしれないぞ、急ごう」

 僕はすぐに後を追った。おじさんの背中をすぐに追った。

 途中、ふと僕は足を止め、倒れた兵士のほうを見た。

 ……積もり始めた雪の上に、彼らの体は倒れている。一人の兵士がもう一人を庇うような恰好で、うつ伏せの状態で倒れている。

 ……彼らの体からは血が出ている。染み出すように血が出ている。全てが灰色の森の中で、彼らの流したその色だけが、唯一の確かな赤色だった。



 私たちは森の手前に到着した。幸運にも、一度も誰何を受けずに来ることが出来た。

 無人の小屋の裏手に車を止め、私とおばさんは素早く助手席から飛び降りる。

 Nさんもすぐに運転席から降りて来て、私とおばさんの荷物を下すと、そのまま真っ直ぐこちらを向く。

「……じゃあ、気をつけて」

 明るい声でNさんが言う。

「……うん、ありがとう」

 なるべく明るく私たちも返す。

 お互いに言いたいことが多すぎて、逆に言葉が出てこなかった。

 と、その時、突然思い出したようにNさんが言った。

「ああ、そうだ、これを忘れるところだった」

 そう言ってNさんが荷台から出してきた物を見て、私とおばさんはびっくりした。

 それは、二人分のナザルの灰色の軍服と、同じ色のヘルメットだった。

「こんなところ民間人がウロウロしてたら目立つからな。これ着て行きなよ」

 そう言ってNさんは笑ってみせる。

「ねえ、N」とびっくり顔でおばさんが聞いた。

「こんな物、一体どうやって手に入れたの?」

 Nさんはその質問には答えずに、ゆっくりと首だけ横に振ると、悪戯っぽい口調で言った。

「それさえ着てれば兵士に見られても安心だろ? 適当に敬礼でもして誤魔化せそうだし。……それにほら、向こうに着いてからは仮装パーティーにももってこいだよ?」

 私もおばさんも言葉が出なかった。ただNさんに頭を下げることしか出来なかった。

 そんな私とおばさんを見て、照れ臭そうに少し笑うと、Nさんは、こう言い残して去って行った。

「……じゃあ、幸運を!」


 私とおばさんは軍服を着た。お互いに手伝いながら軍服を着た。長身のおばさんにはびっくりするほど似合っていて、私は思わず見惚れてしまった。

 そんな私を見つめながら、「よし、じゃあ行こうか、サラ?」と静かな声でおばさんが言う。

 私は「うん」と返事をする。

 それから二人で頷き合い、ぎゅっと手と手を握り合うと、ゆっくりと森へと入って行く。

 ふと冷たいものを首筋に感じて、私は顔を上げた。

 どんよりと曇った灰色の空から、雨と見分けがつかないほどの小粒な雪が、チラチラと降り始めていた。


                                           了

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