ケースを拾った三十路サラリーマン(前編)
天が哀れな三十路男の願いに応えてくれたといいましょうか、はたまた意地悪好きの悪魔が惨めな私を玩ぼうとしているとでもいいましょうか、空から私の前に降ってきた黒ケースはとてもこの世のものとは思えません。初めは誰かの悪戯、嫌がらせかと思いました。ケースが降ってきた場所は閑静な住宅街です。その一角に人が住まずに廃墟同然の屋敷があるのですが、そのすぐ側での出来事でしたので、悪趣味な輩がその屋敷の屋根から放り投げたのかと思いました。もちろん誰かいるのではないかとすぐに見上げてしばらく眺めていましたが、誰もいなかったのか隠れてしまったのか人影を見ることはありませんでした。
時間は夜の七時過ぎ、どうやら雷が鳴っていたようで、闇夜を背景に轟音を従える屋敷は不気味に映りました。そんな心理的な働きもあってか、普段なら馬鹿な子供の悪戯として相手にもしないで通り過ぎるであろうことなのに、現実離れしたものを想像してしまって、怖いもの見たさといいましょうか、それともそのケースの魔力に引かれたといいましょうか、ついつい手を伸ばして何が入っているのか確かめてしまったのです。
ケースに鍵はありませんでした。簡単に開いたその中には日常見かけるような品々が綺麗に収まっていました。箒(ただし折りたたみ式)、バンダナ、シールの束、そして指揮棒のようなスティック、ビンに入った錠剤。さらに分厚い解説書。
新製品の玩具かとも思いました。解説書に目をやると知らない色んな言語が連なる中に日本語を見つけました。「魔法使いキット」と冒頭に大きく書かれてありました。やはり玩具かと思いました。ですが場所が場所だけに私自身そう割り切れませんでした。私は周りに誰もいないことを確かめるとケースをとりあえず自分のアパートへと持ち帰ることにしました。
帰路、歩きながら解説書を読みました。錠剤は「魔力増強剤」と説明されていました。この中で一番重要なアイテムと記されていました。ただ、錠剤についてはそれ以上のことは詳しく書かれていませんでした。
続いて、バンダナ。バンダナは錠剤に次いで重要なアイテムと書かれてありました。魔法をコントロールするには人間の意思の力、念じる力が必要なようで、バンダナは使用者のそれらを集約し他のアイテムへと伝える働きがあるそうです。バンダナが破損した場合、このキットが作動しないと考えてよいようです。それでも仮に錠剤の効力で莫大な魔力を手にするなり、使用者の才能やその後の修行の如何によっては、バンダナ無しでも使用者自身が意思の力、念じる力を直接他のアイテムへと伝えることも可能とあります。使用の注意として慣れないうちは頭がひどく疲れて使用後に頭痛がすることもあるそうです。
つづいて箒。箒は適当な長さに伸ばして後、空を飛ぶために使用すると書かれてありました。児童文学や西洋文学に見られる魔女を連想させます。いかにも魔法使いといったアイテムです。箒には使用者の魔力を感知しそれを原動力に使用者の意思の力のコントロールのもと作動するそうです。箒自体に魔力貯蔵庫のようなものがあり、直接触れていなくても貯蔵庫に魔力が残っていれば遠隔操作も可能とあります。あたかも箒自身に意思があるかのように動くことがあるようですが、それは仕様だそうです。大方、使用者の性格が箒の性格に反映されるとあります。それも使用者とは逆の性格になりやすいと書かれてありました。多少の破損ならそのまま動くようですが、二つに折れてしまうと機能が死んでしまうため、取り扱いには出来る限り注意が必要なようです。他の注意事項として、飛行にはもっとも魔力を要するようで、慣れないものや才能のないものが調子に乗って長時間使用していると、後になって倦怠感や体全身の筋肉痛に悩まされるそうです。また慣れないうちは意思に反してとんでもないスピードが出ることもあるようで、コントロールには十分気をつけよと書かれてありました。飛行はアイテムの中でも上級者向けなのかもしれません。
次はシールです。シールには魔力貯蔵庫の働きがあります。シールを何か物体に貼ることにより、その物体を浮かせたり移動させたりと、あたかも念力で動かしているかのように遠隔操作できるようです。生命体にも通用しますが、動かせるのはあくまでシールであって「物体」として引いたり押したりできるだけのようです。つまりシールを貼った対象者のマインドを支配し、思いのままに操るということはできないようです。魔法使いキットの中でも初心者向けのアイテムのようで、魔法が初めての方はまずはこれから慣れることをお勧めすると書かれてありました。使用の際は当然バンダナが必要です。使用者の力量によっては一度に何枚ものシールをコントロールできるようですが、あまり多くの枚数に一度に命令を下そうとすると、使用者自身が混乱することもあるそうです。また、シールが移動させるに耐えうる物体の重さや大きさは、これも使用者の力量次第で異なるようです。増強剤で最低限得られると予想される魔力であれば鉄アレイ一kgは持ち上げ、飛ばすことが可能であると考えられているそうです。魔力の絶対量次第では牛一頭を持ち上げることだって夢ではないそうです。