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三十路サラリーマンの不安と努力(後編)

 一番不得手ですが、こと逃げるということに関しては、この箒をおいて他に適当な魔法がありませんので一番大切にしています。寝る前に必ず埃を払い、柄を布巾で拭いています。随分と愛着も湧いてきて名前をつけようかと考えています。候補としては「じゃじゃ馬」「馬子」「ずさんぴん」「制御不能ロケット」「唯我独尊」といったところですが、これらのどの名で呼んでも、気に入らないのか呼ぶたびに暴走して私を振り落とそうとします。この箒には確実に意思が働いています。気に入る名前を見つけるのにもまだまだ苦労しそうです。


 逆に警察等に追い詰められた場合にこの箒を暴走させるのも一つの手ではないかとも考えています。この箒が喋れるようなら自分はこれからどうすればよいのか相談できたものなのに、その点が残念です。


 いまさらながら私にも魔法の師匠がほしいと思います。それが駄目でも魔法について知っていて、今の私のように、いつ警察に、と怯えている人を助けたことがある、相談を受けたことがあるというカウンセラーでも構いません。一人で杞憂し、対抗策を考えても不安は拭えません。


 私のアパートの部屋の家具には突然の家宅捜査に備え、常に十枚のシールが貼られています。物騒ですが、包丁にも一枚貼ってあります。咄嗟にバリケードを作れるように箪笥にも貼ってあります。防具になるかと思って日頃使っていない大きな金鍋にも一枚貼ってあります。進入してきた相手を転ばすために石鹸にも一枚貼ってあります。相手の動きを止めるのに使えないかと、瞬間接着剤の入ったスポイト状の容器にも一枚貼ってあります。目くらましのために小麦粉の入った袋にも一枚貼ってあります。主要武器として軟式の野球ボールにも一枚貼ってあります。金属バットにも一枚貼ってあります。いきなり銃で撃ってこられても防げるように畳にも一枚貼ってあります。最後、怪奇現象を演出して心理的ダメージを与えられないかと、女の子の形をした日本人形にも一枚貼ってあります。


 最初に何で攻め、こういう展開では次に何を使うといったシミュレーションもできています。タバコは吸いませんがライターも常に持ち歩き、スティックによる連携も考えています。ただし、これは部屋を燃やしてしまう可能性があるため、使いどころが難しく、最終手段と考えています。


 あれから一週間経ちましたが、警察が私のもとへ訪れることはありません。懲らしめてやった酔っ払いが訴えなかったという可能性もあります。骨折だとか意識不明の昏睡状態だとか、そういったいわゆる重症、重体にまで追いやってもいませんので、警察も酔っ払いのいざこざとしてまともに相手にしなかったのかもしれません。それならそれでラッキーですが、警察が動いていないのなら動いていないと誰かが教えてくれるわけでもないので、警戒を解くことはできません。


 安心できないというのは、人を成長させるのかもしれませんが、疲れます。また、このまま警察が来ないようでも、私と酔っ払いの周りを囲んでいた人たちが都市伝説のように噂にしないかという不安もあります。その話題がマスコミの耳にも入って、暇な連中が私のことを調べ上げて、しつこくインタビューをしに来る可能性だってあり得ます。それは… まあ面倒くさそうですが、悪い気はしません。もしかしたら有名人になれるチャンスかもしれません。


 私のようなこれまで何のとりえもなかった三十路で未婚のしがないサラリーマンが、前代未聞のトリック無しの魔法で一躍話題の中心となり、連日連夜テレビやラジオや雑誌の取材に引っ張りだこになれば、それまでの鬱屈した人生ともサヨナラして、新入社員のあの娘だって見直してくれて、交際をするなんてこともあり得るかもしれません。いや、あの子以上の女の子、例えば芸能人の誰それと結婚なんてことも夢ではないかもしれません。


 いっそ自分から魔法という特技を売り込んでみるのも一つの手です。もっともそれをできる勇気や度胸はまだまだ私にはありません。有名になった途端に、最近の上司の失態が実は私のせいだと疑われて損害賠償を請求されても困ります。酔っ払いの件にしたって同じです。


 有名人から一転して犯罪者、そんな話も巷ではよく聞きます。スキャンダルをも魔法で解決できればよいのですが、今の私のスキルではよい方法も浮かびません。魔力増強剤だって無限ではありません。薬無しでも魔力を生み出せる可能性がないわけでもありませんが、確実ではありません。


 何にせよ、魔法の特訓を続ける必要があります。何かにのめり込んでいる私というものも新鮮です。不思議とやる気だけはあります。


 そんな頃です。私のアパートに「彼ら」が訪ねてきたのは。



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