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「穴」を抜けた先は海(後編)

「強気だ弱気だとくくる時点でもう間違いでね。自信が溢れんばかりなら強気も弱気もないのだよ。自分に忠実。自分の欲に忠実。これがごく自然。それを強気と呼びたいなら呼んでも構わないが、そう呼ぶことで自分自身が卑屈になることだけは避けたほうがいい。ああ、でも今の君は確実に弱気だな。さあ、どうする? 弱気といわれて。口惜しくないのかい? 口惜しいと思うならこの窮地を脱出する術をその皺の多い脳で考えてみてはどうだ。君の頭脳は私にも劣らない才能であろう」


「ふぅ、そう褒められても、もうなんとも…」


「おやおや、ついには無気力か? それは一番問題ものだぞ、君。私の辞書では怠慢は罪だ。何もしないというのはもっと罪だ。ほらほら自分の心に火をつけろ。無気力が気持ちから体にまで伝染すると、君は確実にこの海の底深くにただ沈んでいくだけとなる」


 何を言い返しても返さなくても、ドランクの責め口は立て板を流れて止め処がない。その時バーモンは、このドランクの後方の海面にて黒い三角の背びれが横切るのを目にする。鮫が一匹、彼らを中心に螺旋を描いて近寄ってくるのだ。飽きもせずに持論を並べ続けるドランクはまだ気付いていないようで、


「ドランクさん! あれ!」


 この声に振り返ると、


「はて? あれは、鮫じゃないのか?」


「はて、じゃないですよ! 鮫ですよ!」


 危険を目前にしてバーモンも叫喚するので、


「俄然、元気じゃないか」


「そんなことを言っている場合ですか! 鮫ですぞ! 海のハンターですぞ!」


「えぇい、うるさい奴だ! そんなものはわかっている! こいつは一大事だ! 君もこの場をどう切り抜けるか考えろ!」


「考えろったって… そんなの無理です! やはり私たちはもうお仕舞いなんですよ!」


「とことん修羅場に弱い奴だな、君は! 簡単に取り乱しやがって。そんな君を狙って逆に鮫がどんどん近づいているじゃないか! えぇい、うざったらしい! お前を催眠術で黙らしてやろうか?」


「それですよ! 得意の催眠術! それであの鮫を黙らせてください!」


「おお、なるほど! さすが頭でっかち! よくぞ考えた!」


 すぐにドランクの手が蝶の形を拵え、怪しく舞って、赤の絹糸の如く柔い魔力を指先に集める。


「早くしてください! どんどん近づいてきますぞ!」


「ふん、せっかちな奴め。まだお互い射程距離外なのだよ。それに相手は低脳な魚類だ。対人間と違って一瞬で操れる。心配は無用」


 その言葉通り、喰らいに掛かった瞬間を狙って赤の絹糸の如きドランクの魔力の一塊が鮫の鼻っ面に放たれると、直撃させてピタリとその泳ぎを止めてしまう。ゴム製の玩具のように固まって波に揺れ出すのを見て、


「完璧! よし、じゃあついでだ、こいつに乗せていってもらうぞ」


 ドランクは大胆にもその背中に跨ってしまう。唖然とするバーモンも引っ張り上げられ、同じく跨ると、自身の博識に照らして、この鮫が「こちら側」のホオジロザメだと理解する。全長四メートルはあろうか。これを催眠術で操って二人を乗せたまま泳がせるので


「な…何を? ど…どこへ?」


「とりあえずこちらの方へ行くぞ。私の感がそう訴える」


 高い位置に太陽が見える。ドランクの指さす方角にはその太陽の下、水平線だけが見える。頼る第六感の信憑性は無論ない。


 二人を乗せた鮫は、日が沈み切るまで高速で泳ぎ続けた。そのうち大陸が見え、港が見えて鮫はお役御免となる。長距離を泳がされた鮫はドランクの催眠術が解けて後、ぐったりとして動けなくなる。そのうち地元の漁師に捕獲されたとか。


 二人が鮫を置いて上陸した波止場で闇夜にまぎれて男が一人近づいてくる。見知らぬ土地で知人もないが、間違いなく二人目当てに寄ってくる。脳裏に過ぎるものは追い剥ぎか地元の公安か。が、街灯の下に晒されて見えたその顔に見覚えがある。


「おや、これはまた、奇遇なもので…」


 一ヶ月前の、あの黒い衣服の男である。



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