「穴」を抜けた先は海(前編)
「海ですか…」
「海だな」
「穴」を抜けたまではよかったが、その先が海、それも四方どこに目を向けても水平線しか見えない海原の真ん中で、波にのまれて空中の「穴」には手が届かず、逆に流されてみるみると遠ざかっていった。そのうち大きな流木を見つけ、二人してしがみついて一呼吸置くも、バーモンは塵ほどにも安心できない。
「鮫の類なんて、でてきませよね?」
「私に聞くな。そんなことは想像するな。本当にでてきたらどうするんだ、君は」
「では、ここはどのあたりなんですか?」
「それも聞くな。とりあえず海だ」
「ちょっとお聞きしたいのですが、ケースが吸い込まれた『穴』は『こちら側』ではどの辺りに位置するか、それはわかっていたのですか?」
「私が知るわけないだろう。こんな状況で何を聞いているんだ、君は」
「だったら、こちらの世界に辿り着いてからどうやってケースを探すつもりでいたんですか?」
「そんなものはそのときになって考えるつもりだったに決まっているだろう」
「…とどのつまり、何も考えていなかったということですな…」
がっくりとしても、
「何事も臨機応変に対処。いま置かれた状況に泣き言ばかり言っていても始まらん。現状のピンチを前に考えることは、これをいかに切り抜けるか、それだろう。ネガティブになって自分自身で不安に陥る暇があったらさっさと頭を働かせよ」
「そうはおっしゃいますけど… こんな状況になってようやく自分が浮かれていたと思いましたよ。この広い世界、『こちら側』に来たってケースを見つける確率なんて宝くじに当たるようなものじゃないですか。冷静に考えて、はじめから無理で無茶なことだったんですよ」
「えぇい、暗い。何をこの期に及んで弱気になっているのか。回収しなければそれこそ我々の未来に光が当たらなくなってしまう。その点に関しては私以上に君のほうが深刻だろう。それとも何か、君はもうすでに何もかも諦めたというのか? 冗談じゃない。もしそうだというなら君はすぐにこの木から手を離して海に沈んでしまったほうがいいじゃないか」
「そんな殺生な。諦めたわけじゃないですが、でも、どうしろっていうんです? そういうドランクさんこそ何かいい案があるって言うんですか? この現状にしたってすぐに何か解決できるというんですか?」
と強く問うと、すぐに返事はない。
「ほら、ごらんなさい、ないじゃないですか。ぼやきの一つくらい言っても罰なんてあたりませんよ。もう罰をくらったようなものなんですから」
「君という奴は、一発殴ってやりたいくらい悲観的な奴だな。長い付き合いだが、こうもいざというときに弱い奴だと思わなかった」
「私には逆にそこまでポジティブ思考でいられるドランクさんのほうが不思議でならないですよ。以前から変な人だと思っていましたが、何故にそうも自分自身に自信を持てるのです? 根拠のない自信を」
「そいつはまた聞き捨てならない台詞だな。この私の溢れんばかりの才能が君にはわからないのかね? いや、わかっているからこそ長年私に付き従っていたはずだ。そうやって自分の理解と判断を誤魔化すような生き方は褒められたものじゃないな。この状況だから、今の君は自分を失って真っ当な思考が出来ないのもわかる。だからこそ自分自身の本質を深く思い出す必要があろうというものだ。君の本質は何だ? 本音は何だ? 何をどうしたい? もっと素直に自分を曝け出してくれたほうが、手助けをしようとしている者からすればしやすいというものだよ。それとも何をしたいのか、そんな自分の願望すらも捻出できないというのか? そんなものまで他人任せにしないと生きられないというのか? そんな甘ちゃんなのかい? そうじゃないだろう。そうじゃないってことじゃないと困るって話だよ」
「ほらまたそう強気でものをおっしゃる…」
くじける心中をぼやいてそれを説教されながら、その反論にくじけまいとする撞着、バーモン本人はその自覚もない。ただその口答えも言葉の切れが鈍くなってくる。長い付き合いの中でバーモンがドランクに論戦や口喧嘩で勝った例がない。結局いつも理屈と屁理屈と強弁と戯言で言い負かされて、丸め込まれてまた従う。これ運命、天命と今では諦めているほどで。




