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エデンの王子  作者: リクルート
第一章 クレセント峡谷編
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第三話 アラン・エヴァンスという男Ⅲ

 夕暮れの校門。

 アランは勤務時間の終了より少し遅く、学園にいた。普段ならたった一秒でも残業をしないというのが彼の信条であるのだが、今日はある生徒の用事で帰りが遅くなっていた。

 アランに用事があった生徒というのも、学園でアランと親しい生徒など数が知れているが、一応述べておくとシャルロットである。

 昼休みに今朝の説明をしようとしたアランだったが、シャルロットが全く予想もしていなかった所に食い付いたので、反射的に逃亡を謀ってしまった。そしてそれが大きな誤りだった。

 また今度と、うやむやにしてしまおうと企んでいたアランだったが、授業が終了すると共にシャルロットが疾風の如く推参して、今までかかって大まかな事を説明したわけだった。

 他人の思い出話など何がおもしろいのかわからないアランだったが、シャルロットは何故か一喜一憂して、時折質問も混ぜてきながら、ノートに何やら書き込んでいた。

 アランも自分の思い出を他人に話したことは無いので、こうして見ると自分の思い出も物語になっていると、やけくそに感慨に耽っていた。

 シャルロットの枷から解放されたアランは、大袈裟に肩周りのこりを(ほぐ)しながら、学園から出ようとしていた。


「アラン......」


 アランは反射的に声のした方へ、正確には声がかかるよりも少しだけ早く振り返った。

 鈴の音のような高く透き通った声は、何かアランを懐古させるものがあった。


「ホーミング君......じゃないな」


 声の主の背後に夕日があるせいで、アランには黒いシルエットしか映らない。そのシルエットはシャルロットの容姿に酷似していたが、同時にシャルロットではないだろうとわかっていた。

 アランにはその体質故に、魔力の質の違いを敏感に感じ取る事が出来る。

 シャルロットの魔力は水系統が色濃く、皇帝の魔力に似ているが、今感じる魔力はもっと別の......幻惑魔法の割合が多かった。


「さすが......アランにはすぐに見破られてしまいますね」


「まさか......」


 思い立ったと同時に、それが確信へと変わった。アランは、スーツが汚れることも構わずその場にひざまずく。


「失礼しました、皇帝陛下。とんだご無礼、どうかお許し下さい」


「楽にして、アラン。皇帝として来たのではありません。シャルロットとして来たのです。ピアの魔法でこの場に留まっていますが、それも長くは持ちません」


 アランは皇帝、改めシャルロット・ブラッドレイの言葉に少しばかり逡巡した後、ゆっくりと立ち上がる。

 ピアの得意魔法、幻覚魔法(正確には霧の系統に属する)によって造り出された目の前のシャルロットは、この場にはいない。恐らく王宮のベッドなどで横になっているのだろう。

 ピアの凄いところは、短時間ではあるが、本体と何ら遜色のない幻覚を遠距離に造り出すことが出来ることである。今頃はシャルロットの横で術を唱えている事だろう。

 当然の事ながら膨大な魔力を消費するので、エルギアス一の魔力量を誇るピアであっても、長く持たせることは難しい。


「久し振りね......アラン......」


「......はい」


 シャルロットに名前で呼ばれる事を気恥ずかしく思うのは、アランとシャルロットの間にある三年という、時の壁故だろう。アランが自分のことについて覚えている初期段階から、既に彼の記憶の中にシャルロットはいた。

 アランよりも三歳年下であるにも関わらず、幼少の頃から肝が座っていて、僅か六つの時に行ったスピーチは既に皇帝の風格を漂わせていた。

 小さい頃から父に連れられ外交を手伝い、またエリート教育を受けてきた。猛勉強する様子はアランも見ていた。

 しかしアランが知る本当のシャルロットは、そんな完璧な少女ではなかった。わんぱくで好奇心旺盛、おままごとや絵本よりも昆虫の生体を観察したり魔法の参考書を読み漁る。そんな少女だった。

 アランは度々シャルロットの魔法実験に付き合わされては、二人でシャルロットの父(前皇帝)に叱られていた。

 いつも気を張り、背筋を伸ばしていなければならないシャルロットにとって、他人に気を使わず羽を伸ばすことの出来る空間が必要だったと気が付いたのは、アランが少年期を終えた後のことだった。


「昔のように、シャルと呼んでくれませんか。私は三年前から何も変わっていないのですから」


 嘘だ、とアランは心の中で呟いた。

 シャルロットの言葉の端々に遠慮が見え隠れしている。昔のシャルロットならば、アランに遠慮などしなかった。

 三年もの間、人が何も変わらないはずがない。それどころか、一日の中ですら人は大きく変貌するものだ。それはシャルロットにもアランにも当てはまる。


「......すみません」


 アランはシャルロットから視線を逸らすようにして俯く。突然の再会、過去のしこりを完全に遺したままである二人が、また昔のような関係に戻ることなど出来るはずもなかった。


「い、いいのです......。三年振りだというのに、押し付けがましくしてしまって......」


「いえ......過去に囚われているのは僕の方ですから......」


 自然と沈黙の長くなる会話。

 三年前とはまるで違う、シャルロットとの距離の遠さに、アランは確かな胸の痛みを感じた。どうにかしたい、でもどうにもならない。禍々しいほどのもどかしさが、アランの胸中を渦巻く。


「今日ピアがここに来たのは、アランにフェンリル円卓会議に出席してもらうためだったのですが......ソニアが迷惑をかけました。私からも謝罪いたします」


 今日ピアがわざわざ学園に来た理由を知ったアランだったが、その後に続いた言葉は、アランの予想を越えていた。アランの顔に明らかな動揺が浮かぶ。


「ま、待ってください。僕はフェンリルに加入した覚えはありません」


「三年前......あなたはフェンリル第二部隊副隊長に任命されていました」


「それは......辞退したはずです」


 三年前。当時第二部隊隊長の元で修行をしていたアランは、確かに第二部隊副隊長に推薦され、加入がほぼ決定していた。だが、その第二部隊隊長が殉職しその責任を感じたアランは、任命を辞退しエルギアスから姿を消した。元々フェンリルにすら加入はしていなかったので、アランがフェンリルに加入していることになっているのはおかしい話である。

 フェンリルへの加入の辞退は、今となってはただ逃げただけだと思っているが、アランにとっては必要な三年だったのかもしれない。フェンリル第二部隊副隊長に任命されていた事など、アランはとうの昔に忘れていた。

 アランは「それに」と続ける。


「今の僕が必要な円卓会議とは何ですか?三年前の責任追求や尋問なら、この身が(ほろ)びようともお受けしますが」


「バカを言わないでっ!!私や皆がそんなことするって、本気で思っているの?」


「皇帝陛下......?」


 普段国民の前では絶対に見せることのない口調。それは三年前に見せたきりの事で、アランは驚きを隠し得なかった。


「も、申し訳ありません......。ただ、アランは私たちが三年前の事であなたに責任があると本気で思っているのですか?」


「いえ......それは......。これは僕個人の問題です......」


「いいえ、それは違います。三年前の事は誰にも責任はありません。もしアランに責任があるとするならば、それは私たち全員にも言えることです。もしアランが本当に三年前の事で責任を感じているのならば、突然姿を消した事を円卓会議で皆に謝罪してください」


 アランは即座に返事をする事が出来ない。赤く染まっていた空は殆ど藍色に塗り替えられていた。月光も陽光も中途半端なせいなのか、アランの表情はシャルロットには見えない。だが、アランの顔に苦悩が浮かんでいることは、三年振りに再会したシャルロットにも用意に想像出来た。


「すぐに返事をもらう必要はありませんから。円卓会議は三日後に王宮であります。出席しなくても責めるようなことはしません。仕方の無いことですから。内容は会議の中で話します。最後に......私たちは今でもあなたが必要です......」


 はっと顔を上げるアラン。シャルロットの身体が光の粒子に包まれ始める。魔法の限界が近付いているということだ。


「本当に......私は何も変わっていない......。三年前から一歩も進めていない......」


 ぽつりと呟くシャルロット。その声がアランに届くことはなかった。


「皇帝陛下?」


「いえ......何でもありません。では......三日後の正午、王宮で待っています」


 完全に光の粒子に包まれたシャルロットは、硝子(がらす)の割れるような音とともに霧散し、風とともに消え去って行った。


「三年振りだっていうのに、みじか過ぎるんだよっ!」


 アランは血が滲むほど拳を握り締める。


「あれだけじゃあ何もわからないじゃないか......」


 喜怒哀楽が混濁し、葛藤が渦巻き、アランは激しく動揺していた。

 今のアランに、教師としていつも浮かべている余裕は微塵も感じられなかった。



 ◇ ◆ ◇



 放課後の保健室。太陽は殆ど沈んでいた。部屋の明かりは点いておらず、薄暗い。


「お帰りなさいです、シャル」


 ピアの言葉にゆっくりと目を開けたシャルロットは、すぐに自分が泣いていることに気が付いた。手の甲で涙をぬぐい、ベッドの上で身体を起こす。

 ピアの魔法で意識を集中させていたせいか、少し身体が重かった。


「ありがとう......ピア。無理を言ってごめんなさい」


「これくらいのこと、何ともないです。気にしないで下さいです」


 手入れしたら流水のような清らかさを持つシャルロットの髪も、今は汗でベタついている。頬に引っ付く髪の毛を剥がし、簡単に指を通す。

 直ぐに指は通るようになったが、それでも水色の髪の毛はいつもの輝きを持っていないような気がした。


「三年振りなのです。どれだけ親しい友達でも、三年も会わなければ少しは戸惑います。時間が解決してくれる問題もあるのです」


 ピアはシャルロットの幻影を造り出した上に意識を校門で留める役割をしていたので、二人の会話の内容は全て聞こえていた。


「ええ......そうなのかもしれない......。そうなのかもしれないけれど......」


「シャル......」


 ピアはシャルロットよりも三つばかり歳上だが、今は紡ぐべき言葉が出てこなかった。普段からもっと人と接していればと、ピアはどうしようもない焦燥にかられる。

 ピアは小さい頃からシャルロットとアランの関係を知っている。

 互いが相互に必要とし合い、そしてそれがシャルロットの癒しにもなっていた。公務で忙殺されるシャルロットにとって、この三年間アランとの思い出だけが心の支えになっていたと言っても、全く微塵も過言ではない。


「アランは絶対に円卓会議に出席してくれるのです。まだスタートラインにすら立っていないのです。それに......」


 ピアは一旦言葉を切ると、ベッドの横にある小さな丸机の上に置いてある指輪を手に取る。小さな琥珀色の結晶が埋め込まれた、銀色の指輪。サイズはシャルロットに合わせてある。

 

「今はこれを使ってアランと普通に過ごせているのです。学園にいる間だけでも、シャルロット・ブラッドレイとしてではなく、シャルロット・ホーミングとして羽を休ませれば良いのです」


 そう言って、シャルロットに指輪を手渡す。

 第五部隊隊長であるピアが、シャルロットのためだけに開発した、たった一つの指輪。特殊な技術を用いてピアの魔力を凝縮させた結晶に、シャルロットの魔力を流し込むことで、指輪をはめている間だけ少し容姿を変える事が出来る。

 他人の魔力が身体に流れているだけなので、魔法を発動している訳ではない。よって指輪を着けている間容姿を見破られることはない。

 また人の魔力と自分の魔力が混ざり合うので、アランのように魔力を敏感に感じ取る者にもバレることはない。

 指輪の性能としてはそこまで難しい技術はなく、むしろ理論的には簡単な方である。だが、この指輪を使うには絶対に越えなければならない、しかし解決が困難な課題が待ち構えている。

 それは魔力を持つものの根本とも言える事で、それは“他人の魔力を自分に取り込むことは不可能”という問題だ。正確には、他人の魔力を取り込むと、自分がその魔力に呑み込まれてしまう危険があるということである。

 他人の魔力に呑み込まれれば、精神を犯され自我を喪い、生きた人形と化してしまう。

 そうならないためにも、ピアが指輪に込める魔力は本当に極少量で、シャルロットの健康状態に問題が無い時、一日十二時間という時間制限で指輪を装着する決まりになっている。

 

「ピアがエルギアスにいてくれて、本当に良かった。私のこんな甘えも、いつまでも続けて良いものではないわ。でも......今だけでも......」


 シャルロットは受け取った指輪を左手の薬指にはめる。

 シャルロットの魔力とピアの魔力が混ざった瞬間に僅かに結晶が輝き、直ぐにいつもの琥珀色に戻った。

 髪の根本から毛先にかけて、徐々に銀色になって行く。髪の毛が全て銀色に染まり切った後、ベッドに座るシャルロットは、エルギアス学園一年、シャルロット・ホーミングになっていた。



 ◇ ◆ ◇



 アランが帰宅する頃には、太陽はとっくに沈んでいた。夜空に浮かぶ星を頼りに、自宅の門を開ける。学園に勤めることになった時に借りた家は、学園や街から少し離れた場所にある。

 鬱蒼と生い茂る木々に囲まれ、独身の男が一人で住むには広すぎる敷地面積だが、これでも街のアパートよりも安い。街から離れているために値段が抑えられているが、身体を鍛えているアランにとっては遠いと感じる距離ではない。

 門を開けて家に入ろうとしたアランは、ポストに一枚の手紙が入っている事に気が付く。見慣れた可愛らしい花柄の封筒、宛先は勿論アランになっていた。


「エレンからか......」


 封筒に書かれた宛名を見るだけでも、アランは自分が上機嫌になっていると感じた。

 一刻も早く手紙を読みたいアランは、日課の鍛練をいつもより張り切って終わらせて、さっさと水を浴びた。

 誰もいない(一人暮らしなので当然)だだっ広いリビングのソファに腰掛けると、用意したナイフで慎重に封筒を開ける。どうやら、ナイフで手紙ごと切るという悲劇は起こらなかった。

 手紙の内容は、エレンの近況報告から始まった。エレンは見た目や言動から男勝りな性格に見られがちだが、アランは全くそうは思っていなかった。

 可愛らしい丸文字で綴られた手紙は、彼女の本当の性格を表している。アランはかつて二年間過ごした彼女の事を想いながら、手紙を読み進める。

 文面から、友達とも元気にやっているらしかった。

 近況報告を終えた後も手紙は続いていた。それは遠い場所で奮闘するアランへのエール。


「何か壁にぶつかっている頃でしょ、か。エレンのやつ、どっかで見張っているのか」


 アランは約十年をエルギアスで過ごした。それ以前の記憶は無く、どこで誰に育てられたのか、親の顔すら思い浮かばない。ただ、エルギアスで過ごした十年に匹敵するほど、エレンと共に過ごした約二年は色濃く、アランの心を甘く(おお)っている。

 エレンの綴る言葉は、アランの胸に漂う不安という(もや)を晴らして行く。彼女の言葉には一片の空虚さも無く、また真剣な想いが詰まっていた。

 アランは手紙を読み終えると、一つ大きく息を吐く。吐いた息に迷いが全部含まれていたかのように、アランの目は自信に満ちている。

 三年前の事、アランの出生の秘密。それら全てを解決したら、エレンと結ばれることを誓っていた。互いに想っている中、エレンは彼に解決の時間を与えた。

 “いつまでも待っているから”と、そう言った。

 エレンは決して急かすような真似はしない。それでも、アランには立ち止まるという選択肢は、すでに無くなっていた。


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