嫉妬?
維月は、それからしばらく陽蘭と地の宮へと滞在した。
王でずっと滞在が難しいと南へ帰っていた炎嘉も、時折訪ねて来ては猛にいろいろと教えてやっていた。陽蘭は、そんな炎嘉を別段他と変わった目で見ていると言うわけでもないようだったが、気に入らないわけでもないようで、維心が訪ねて来たりして維月が維心と過ごしている時などには、炎嘉と庭で和やかに話しているのを見かけることが多かった。
今日も、維心が暇を見つけて単身やって来た。ちょうど、炎嘉が猛に立ち合いの手ほどきをしてやっているところで、維月と陽蘭が、それを並んで見ていた時だった。
「維月。」
維心が、維月の姿を見つけて嬉しそうに降りて来る。維月はそれを見て微笑んで手を差し伸べた。
「維心様…お暇が出来ましたのですか?」
維心は、頷いて地に降り立つと、維月を抱き寄せた。
「謁見があっての。どうしても抜けられなくて、朝から来るつもりが、昼になってしもうた。ああ、もっとよう顔を見せよ。まだ戻らぬのか?我は…これ以上離れて過ごすなど、自信がないものよ。」
維月を腕に、頬を摺り寄せている維心を見て、炎嘉が、手を止めてこちらを向いた。
「こら維心!主は…陽蘭にも挨拶もせず、維月維月と。」
維心は、膨れっ面で炎嘉を見た。
「うるさいの。もう三週間であるぞ?我は維月と離れておったら落ち着かぬのだ。通わねば会えぬとは、不自由なことよ。」と、しかし、陽蘭を見た。「陽蘭よ。邪魔をするの。」
陽蘭は、呆れたように維心を見た。
「ほんによう飽きぬこと、維心。いつなりそうやって維月を追いかけておって、我は感心するわ。母としては、安心すると申して良いのか。」と、維月を見た。「さあ、維心と話すのでしょう、維月。行っていらっしゃいな。我のことは良いのよ。」
維月は、申し訳なさげに頷いた。
「では、失礼しますわ、お母様。」と、炎嘉と猛のほうを見た。「では、炎嘉様。猛、上達して来て良かったこと。」
猛は、息を上げたまま、頷いた。炎嘉に教わって、猛は本当に軍神らしく著しい成長を見せていた。本人にもそれは分かるようで、最近では炎嘉が来るまでに少しでも上手くなっていなければと、一生懸命修練していた。前の修練とは違い、それは身になる修練だった。維心も、ちらとそちらを見て言った。
「ほんにな。ただの飾りであったのに、ここまでにするとは炎嘉も大したもの。主、己の宮へ連れ帰るつもりではあるまいな?」
炎嘉は、ふふんと笑った。
「どうであろうの。これは、碧黎の軍神であろう。我が勝手にどうのすることは出来ぬが、猛が望むならば考えても良いかの。思わぬほど、筋が良いので。」
猛は、驚いたように顔を上げた。そして、じっと炎嘉を見て言った。
「では…では、我は望めば南の軍神達と、共に使っていただけるようになりまするのか。」
炎嘉は、笑って頷いた。
「我は良い。だが、碧黎次第かの。主が仕えておるのは、あれであろうが。」
陽蘭が、それに答えた。
「あら、猛が望むのなら良いわ。我が許可しまする。元よりここへ帰っても来ない者なのですから、気になどすることはないのよ。」
炎嘉は、愛想良く陽蘭に微笑んだ。
「主はほんに物分りの良い女よな、陽蘭よ。」
陽蘭も、炎嘉に微笑み返した。
「あなたのように、世話好きな神も少ないものですわね、炎嘉殿。我も、少しは猛のことを考えてやらねばと思うようになり申した。」
維心は、そんな二人の様子を後目に、維月の肩を抱いて宮の中へと歩いて入りながら、維月の耳元に囁いた。
「…さすが炎嘉、自然よの。」
維月は、小さく頷きながら、言った。
「はい。本当に何でも先を読んでいらして。感心致しまする。」
二人が仲良く宮の維月の部屋へと歩いて向かっていると、その目の前にパッと碧黎が現れた。驚いた維心と維月は、思わず立ち止まった。維心は、維月を庇おうと反射的に袿の中へと抱き込んでいた。
そして、それが碧黎だと見とめると、睨み付けた。
「何ぞ?!神世では、それは大変に礼を失するともう主は知っておろうが。」
碧黎は、フンと鼻を鳴らした。
「ここは我が宮。どこに現れようと、文句など言われるいわれはないわ。して、維月。何を維心に埋もれておる。顔を見せぬか。」
維月は、維心の袿から、顔を出した。
「お父様…突然に出てこられては、私も驚きましょうほどに。ここへ戻られたのですか?」
碧黎は、不機嫌に横を向いた。
「いや。主はここへ参ったと維心が言うし、維心は政務があってたまたま側に居った炎嘉に供を頼んだとか何とか…。」
維月は、頷いた。
「はい。お母様が心配でありましたから。でも、案外とあっさり明るくお過ごしであったので、それならいいかと思うたのですけれど、退屈であられるからと、お話し相手に。維心様が、お許しくださっておるのですから、良いでしょう?お父様の宮であるのですし。」
碧黎は、グッと詰まった。そう、ここは地の宮。陽蘭が居るので、最近ではこちらへ来なくなっていたのに、維月がここへ滞在しておるとか言うから…。
「…それで、あれはどうしておるのだ。」
維月は、わざと首をかしげた。
「え、あれ?」
碧黎は、維月を見た。
「母よ。何やら猛がどうのと申しておったのではないのか。」
見ていたのか。
維心と維月は思ったが、それには触れなかった。
「ああ、あれは炎嘉様が、猛が不憫だと申して。こちらへ来て、本人が望むように軍神になれるよう、鍛えてくれておるのですわ。今では、門番として充分の技を持っておりまする。どこへ出しても恥ずかしくないと思いまするわ。」
碧黎は、眉を寄せたまま言った。
「あれは、ただの飾りよ。我の守りを破れる神など居らぬからの。神世で門番の一人も居らぬでは、示しも着かぬだろうと作ったもの。そのような技など、必要ないわ。」
維心と維月は顔を見合わせた。そして、維心が言った。
「しかし…神格化され、あれも個人の意識というものがあろう。役に立ちたいと思うておるのだ。神になったからには、神らしゅうなりたいと願うのは当然のこと。なので努力をしておったのだ。炎嘉は、それを不憫に思うて、育ててやったのよ。」
碧黎は、尚も険しい顔をした。
「そのような勝手なことをしおって。あれは熊であったもの。そんな気遣いなど無用だ。」
それには、維月が眉をひそめて抗議した。
「まあ…何と心無いことを。」そして、碧黎が聞く耳を持たぬ顔をしているのを見て、袖口で口元を押さえると横を向いてスッと歩き出した。「気分が悪くなりましたわ。失礼を、お父様。」
そんな時の維月は、間違いなく怒っている。維心は、我がことのように維月を追った。
「維月?機嫌を直せ。どうしたのだ、そのように。」
碧黎が、途端に少し、気弱な顔をしたが、しかしすぐに持ち直して維月の背に言った。
「門番が要らぬなら、元へ戻そうほどに。なので、主は、そのように気遣う必要などない。」
そう言うと、すぐにくるりと踵を返して庭の方へと足を向けた。維月は、驚いて振り返った。
「え…お父様?!戻すって…!」
碧黎は、スッと消えた。維心が、険しい顔をして言った。
「神格化させたものを、元の動物へ戻すということであろう。そうなると、我では無理だ。そのように簡単に物や動物を神格化などさせられぬのだ。碧黎であるから、出来たこと。」
維月は、駆け出した。
「維心様!では止めてくださいませ!」
維心は、慌てて維月の後を追った。しかし…碧黎がすると決めたら、我らに阻止することなどできぬだろう…。維月の頼みなら、それは我は何でも聞いてやりたいのだが。
維心は、維月の背を見て足を進めながら、思っていた。




