地の宮で
久しぶりに見るそこは、木々に隠されて表からは全く見えない場所だった。
前世、あまりにも神の心情などを知らない碧黎が、維月達の勧めで神と同じように生活してみようと建てた宮で、小さいながらもしっかりとした、美しい宮だった。前世でもあまり来たことがなかったが、今生ではずっと碧黎は月の宮で維月と十六夜を育てたので、維月は今生で来るのは初めてだった。こちらは放置されたままのはずだったが、碧黎が神格化させた付近の動物達が、美しく掃除して宮を保っていたらしい。維月がそこへ到着すると、すらりとした色白の、明るい茶色の髪の良く似た感じの女達が嬉々として迎えた。
「ようこそ、お越しくださいました。維月様であられまするか?」
維月が、炎嘉の腕から降りながら驚いてその女達を見た。
「え、私を知っているの?」
女は頷いた。
「はい。碧黎様が時々にこちらの様子を見に参られました時に、娘が息子がと話してくださいましたので。最近では、あまりお越しになられませぬが…あの、陽蘭様は地の方へお戻りのようでございます。」
維月は、頷いた。
「ええ。なのでお母様に会いに来たのよ。あなた達は、侍女なのね。」
その女達は頷いた。
「はい。皆元は鹿でありまして、あれに見えまする侍従はウサギ。門番は熊で。」
維月は、慌てたようにこちらへ掛けて来る、大柄の男を振り返った。門番と言って、こうして空から来るような神なら門の前に立って居ても防げないのに。お父様も、きっと飾りのようなおつもりで神格化されたのね。
維月がそう思っていると、その男は甲冑姿で膝を付いた。
「維月様。お越しになるのは見えておりましたものを、我はまだ、飛ぶことに明るくありませぬので。」
すると、後ろから炎嘉が気の毒そうに言った。
「さもあろうの。碧黎は、形だけ宮として作ったのであろう。その者達が役目を果たすために育てようという気持ちはないのだろうな。神世の門番が、飛べずでどうやって宮を守る。」
門番の男は、下を向いた。
「はい…神格化しただけでも、我にとっては大きなことでありました。なので、どうにかして神世の軍神のようになりたいものと、修練だけはしておりまするが、己で思いつくままでありまして。」
見ると、辺りの木が傷だらけになっている。きっと、木相手に立ち合いの真似事などをしているのだろう。しかし、教える者が居なければ、気の使い方なども判るはずもないのだ。
「そうよのう…我は、ここへ維月の護衛代わりとついて参ったが、維月が母に会って居る間は特にすることもないのよ。よければ、基本から我が指南してやろうか?」
維月は驚いたように炎嘉を見た。何もやることって…炎嘉様!あなたがお母様と仲良くならないと!
しかし、炎嘉は涼しい顔でその男を見ている。門番の男は、ぱあっと明るい顔になった。
「おお!このように気の大きな武将に教われば、我も少しは上達しましょうか。あの、我は名を猛と申します。」
炎嘉は、頷いた。
「我は南の王、炎嘉。」と、維月を振り返った。「ではの、維月。主は母と会うてくればよい。庭でも散策して、気晴らしをせよ。我は、こやつとその辺で刀を振っておるゆえ。」
維月は、炎嘉にとりあえずは一緒に来いと言おうとして、その目を見て留まった。炎嘉様は、何か考えておられる…?
「…はい。」維月は、頷いた。「では、また戻る時にでもご連絡を。」
炎嘉は、微笑んで頷いた。
「主は聞き分けがいいの。」
その言葉の裏にあるのは、それで良い、という言葉のような気がした。維月は、何の違和感も感じていない侍女達に伴われて、炎嘉と別れて宮の中へと歩いて行ったのだった。
前世の記憶を辿って、父と母の部屋になる居間へと通された維月は、侍女に茶を入れられてそこに座っていた。侍女の一人が言った。
「陽蘭様も、維月様のご到着は知っておられたようで、すぐに地下へ実体化されました。ただ今、お召し換え中でありまする。もうしばらくお待ちを。」
維月は、頷いた。お母様…しばらくお会いしていないけど、大丈夫かしら。
維月がそう思いながらふと、窓の外を見ると、それほどに大きくはないこの宮の、庭に当たる場所の、木々が無い場所で、先ほどの猛と炎嘉が立っているのが見えた。飛ぶことから教えているようで、炎嘉が何度も浮き上がっては、何やら説明している。猛は、それは真剣にそれを見ては真似ようと必死であったが、少し浮き上がっては落ち、と初心者らしい動きだった。それに気を取られていると、後ろから声がした。
「あら。猛じゃないの。」
維月が急だったのでびっくりして振り返ると、自分達と同じように気取りにくい気配の母、陽蘭が立って、維月が見ている先を覗き込んでいた。
「まあ、お母様!」維月は、あからさまに驚いてしまったので、咳払いをした。「ええっと…私がここへ来たいと言って無理を申したので、維心様はお忙しいしで、たまたま月の宮へ訪ねて来ていた炎嘉様がついて来てくれましたの。それで、門の所で猛に会って、飛ぶことも出来ない門番が不憫であったようで、自分が教えてやると申して、あのように。」
陽蘭は、興味深げにそれを見つめた。
「確か…炎嘉殿はとても世話好きであると聞いておるわ。前世から、そのように。」
維月は、頷いた。
「はい。大変に優しいかたですの。維心様と長くお友達であられるのも、きっとそういう気質であられるからでしょうね。」
陽蘭は、じっと窓の外を見ながら、頷いた。
「そうね。知っておってよ。」と、維月の方を向くと、側の椅子へ座った。「それで、我に会いに来てくれたの?」
維月は、じっと陽蘭を見た。とても父に突き放されて悲しんでいる様子には見えない。しかし、言った。
「十六夜が、とても心配しておったので。お母様が、嘆いておられると。」
すると陽蘭は、維月の真剣な顔をみて、ぷっ、と吹き出した。
「まあ維月ったら。」笑い出す陽蘭に、維月が唖然としていると、陽蘭は続けた。「起こってしまったことは仕方がないわ。それは、我も最初はあんなに騒いでしまったことを後悔したけれど、よく考えたら碧黎だって良くないと思うわ。だって、何も言わずに出かけておったのですからね。いくら十六夜と同じように気ままであられるからって、片割れの我にぐらいおっしゃってもいいのに、隠さなくてもいいことまで隠しておられたから。でも、我が単独で出掛けようものなら、それは執拗にどこへ何をしに行って来たと聞いておったのよ?ほんと、鬱陶しいったら。維心をご覧なさいな。あなたのことを詮索するけれど、自分だっていちいち行く場所から会う相手から、戻る時刻まで告げて出るではないの。碧黎は、矛盾しておるのよ。なので、別にいいわ。」
維月は、呆気に取られてそれを聞いていた。もしかして、愚痴愚痴と言われてそれを延々聞かされるのかと思っていたのに、物凄くさっぱりしている。そういえば、十六夜がお母様を、いつも維月の原型と言っていたっけ。だったら、きっとこうなるのも道理なのだ。自分に当てはめたら、きっとこうなっていただろうと思えたからだ。
「まあお母様…だったら良いのですけど。私、お母様が心配でこちらへ参ったのですわ。維心様も、快く来させてくださったから、長く居っても良いし。」
陽蘭は、嬉しそうに目を輝かせた。
「本当?ならば共に過ごしましょうよ。あなたが結婚してからつまらなくて。維織だって龍の宮へ預けられて、戻ると聞いたら婚姻してでしょう?我も暇であったのよ。」と、また庭の二人に目をやった。「とりあえずは…猛が面白いし、あちらを見に参る?」
維月も庭へ目をやると、猛がさかさまになってしまって炎嘉に慌てて助けられているところだった。維月は、つい吹き出してしまった。
「まあお母様ったら…そんな風に言ったら、猛がかわいそうですわ。」
陽蘭は、ふふと笑った。
「あなただって笑っておるくせに。」
そうやって、二人は笑い合うと、庭へと並んで出て行ったのだった。




