手立て
相も変わらず仲睦まじくぴったりとくっついていた維心と維月を、十六夜が引き剥がすようにして、維月を腕に月の宮へと飛び立ったのは、次の日の朝だった。
碧黎は龍の宮へ帰って来て、また以前と変わらず維明を相手に立ち合いをしたりと過ごしているのを見て、十六夜がそうしたのだ。
維心は、何の前置きもなく維月を連れて行かれてしまったので、まさに一時も我慢できずに兆加に予定を全て変えさせてすぐに後を追った。すると、維月は月の宮の自分の部屋で、十六夜と二人で座って深刻な顔をしていた。その前には、蒼は同じように深刻な顔をしていた。
維心が入って行くと、それでも維月は嬉しそうに維心に向かって駆けて来た。
「維心様!」
維心は、ホッとして維月を抱きとめた。
「維月。」そして、しっかりと抱きしめて頬擦りをした。「ああ、あのようにさらわれるように連れて行かれてしもうて。我が…我がどれほどにつらかったと思うか。」
維月は、そんな維心の頬に軽く口付けた。
「維心様ったら…。」
十六夜は、そんな様には前世から慣れてはいるものの、呆れたように言った。
「だ~か~ら~いつも一緒に居るだろうが。ちょっと連れて来ただけで、大騒ぎしやがって。」
維心は、維月を腕に首を振った。
「何がちょっとぞ!せめて、連れて参るなら心の準備をする期間を与えぬか。あのように共に和んでおる場に踏み入って、突然に有無を言わさず連れて参るなど…我には耐えられぬ。」
十六夜は、はいはいと手を振って、維月を呼んだ。
「維月。」維月は、素直に維心から離れて十六夜の横へ座った。「これからは、先に言ってから行くよ。何しろ、こっちには余裕がなかったからな。親父は、まあ今は穏やかだ。だが、ずっとこのままって訳には行かないだろう。絶対、何か起こるんだ。何しろ、あの二人は地の陰陽なんだぞ?離れて何もない訳がねぇ。」
蒼も、頷いた。
「十六夜から、事の次第は聞きました。あの…ちょっと面倒な感じになっておりますね。」
蒼が言葉を濁したので、全て知っていて、維月に知られたくないことがあるということだ。維心は、悟って頷いた。
「そうだの。我は、別に舅を己の宮で面倒見るのは構わぬが、正妃の実家が落ち着かぬとなると気になるもの。して、手立ては考えたか?」
十六夜は、頷いて維月を見た。
「その…維月は無理だろうって言うんだけどよ。」と、言いにくそうにした。「親父達って、もしかして倦怠期じゃないかって話してたんだ。だから、親父、口では別の男を探して欲しいようなことを言ってたが、もしかしてお袋に実際に他の男ってなれば、気になって本来の気持ちってのを思い出すんじゃないかって。」
維心は、きょとんとしながらも、蒼の前、維月の隣りに座った。
「倦怠期?」
十六夜が、ああそこか、と苦笑した。
「知らないか。だろうな。お前にゃ縁のない言葉だからな。」と、眉を寄せた。「あー、一緒に居るのも長くなると、飽きて来て嫌になるだろう。そのことだ。」
維心は、グッと眉を寄せた。
「飽きて嫌になるとは何ぞ。長くなればなるほど、想いは積み重なって深くなるのではないのか。」
十六夜は、首を振った。
「オレに怒るなよ。世間一般のことを言ってるんでぇ。お前に限っては、あり得ない言葉だよな。分かってる。」と、維月の肩を抱いた。「オレだってそんなこたぁないがな。」
維心は、途端に不機嫌になって、維月の腕を反対側から引っ張った。
「我の前でベタベタと。」
自分がするには全く何も言わないくせに、と十六夜は思ったが、そのことについては何も言わなかった。
「それでよう…つまり、他の男を、お袋に近づけたらどうかってさ。」
十六夜が、あまりに言いづらそうな上、維月がスッと眉を寄せたので、維心はぴんと来た。これは、もしかしてその男というのは…。
「我には無理ぞ!」維心は、急に立ち上がって言った。「いくら維月の母でも、絶対に無理だ!」
十六夜は、なだめるように言った。
「大丈夫だって、フリだけだから。何も、最後までしろって言ってるわけじゃないだろうが。妃にしたい、ようなフリをしたらいいだけだから。」
維心は、それでもぶんぶんと頭を振った。
「絶対に!断る。」と、頭を回転させて、どうにかして逃れようと必死に考えた。「…その、もし我が相手をしたりしたら、逆に碧黎は嬉々として我に陽蘭を預けて、維月の世話をするのではないのか!我は、維月を取り上げられてしまうわ!」
蒼が、ハッとした顔をした。確かにそうだ。維心様は、それでなくても神の中で一番力が強いし、長命だ。いい世話役が出来たと、喜ぶだろう。嫉妬など、するだろうか。
「…確かにそうだよ、十六夜。」蒼が、助け舟を出した。「維心様って、碧黎様が作った命じゃないか。だったら、嫉妬なんてするかな?要は、自分の手の中みたいなもんじゃないか。全然関係のない、別の命でないと無理だろう。」
十六夜は、そういわれて、それもそうだなと気付いた。維月も、盛大に頷いた。
「ほら!だから無理だって言ったじゃない!維心様を、お母様になんて…乱暴なのよ、十六夜ったら。」
維心は、ホッとして維月の肩を抱いた。よかった…維月がそんなことを思っていたのではないのだな。
「維月…そうか、よかった。我は、主が平気なのかと…。」
維月は何度も首を振った。
「いいえ!だって、十六夜がそれしかないなんて言うんですもの。私は、そんな姿を見るのは嫌って言ったんですけど。」
維心は、そんな維月が愛おしくて微笑んだ。
「そんな心配は要らぬ。我はそのようなこと、絶対せぬからの。というか、出来ぬからの。」
「維心様…。」
またベタベタと仲がいい二人に、十六夜は鬱陶しそうに維月の腕を引っ張って引き剥がした。
「だから!それどころじゃねぇっての!」と、蒼を見た。「じゃあ…相手は誰にするんでぇ?お前か?」
蒼は、それこそ必死に手を振って抵抗した。
「え、無理だよ!母さんの原型だぞ?!絶対に絶対に無理だっての!オレだって、同じ種類の命だし、きっとオレに嫉妬なんかしないと思うよ、碧黎様も!」
十六夜が、イラっとして声を荒げた。
「じゃあ!いったい誰がやるんだよ!オレは駄目だろうが、親父の思う壷だ!」
すると、スッと戸が開いた。皆が、仰天して振り返ると、そこには将維が立っていた。皆が、あまりに鬼気とした状態で自分を振り返ったので、将維は驚いて言った。
「あー、邪魔をしたか?維月が来ておると聞いたので、参ったのだが…父上もご一緒か。」
皆が、顔を見合わせた。
将維。そうか、将維が居たではないか。
「将維!お前、演技が上手かったよな?」
将維は、何だか分からないが面倒なことに巻き込まれそうな気がして退いた。
「何と申した?演技?…いや、我は無理ぞ。他をあたってくれ。」
将維が踵を返そうとすると、十六夜が手を上げて戸を閉めた。そして、維心が気で将維を引っ張って側の椅子へ放り投げた。
「とにかく、話だけでも聞くのだ、将維。」びっくりしている将維に、維心は言った。「事は大きくなろうとしておるのだ。主が出来れば、それで丸く収まる。」
維月は、黙っている。将維は、何をさせられるのかと、覚悟して十六夜の話を聞いた。維月が居るので、碧黎が維月を望んで云々の話は出来ず、十六夜は苛々した。
思った通り、将維は大きく頭を振った。
「出来ぬ!」将維は、きっぱり言った。「絶対に!断る。」
維心と、全く同じことを言った。あまりにも似ている二人に、維月は苦笑した。
「そうよね。ごめんなさい、維心様が出来ないのに、将維に押し付けるなんてほんと無理よね。」
将維は、恨みがましげに維月を見た。
「主とて知っておろうが。我がどうしてそのようなことをするなどと思うのだ。このように身は子として生まれようとも、我は父上と基本、同じぞ。感じ方は同じ。無理に決まっておろう。」
将維は、怒っていた。こうなると、維心で分かるように、絶対にうんとは言わない。維心は、ため息を付いて十六夜を見た。
「亮維ならいざ知らず、将維は絶対に無理であろうの。そういった事に関して、我慢した過去がないしの。」
十六夜は、困ったように維心を見た。
「じゃ、亮維に頼むか?」
それは、維月が首を振った。
「これ以上、あの子に精神的負担をかけさせないで。それでなくても、私達の前世、あの子はとっても我慢したのよ。今、やっと楽になってるんだから。元は将維と維心様と同じだと思うと、それに耐えてた亮維がとてもかわいそうで…私は、とてもいいとは言えないわ。」
十六夜が、苛立たしげに維月を見た。
「あのな。お前らあっちもこっちも駄目だ駄目だと。だったら、誰に頼めばいいってんだよ!」
維心は、じっと考えていたが、ふっと息を付いた。
「…ちと報酬は高くつくがの。しかし、仕方がないかの。」
蒼と十六夜が、維心をじっと見た。
「え?お前、心当たりがあるのか!」
「ふーん。」相手は、気乗りしないように言った。「で、また我かの?」
それからしばらくして、維心が呼んだその相手は、十六夜と維月の部屋で面白くなさげに座って、刀の柄に着いている根付を手で弄びながら気の無い言い方をした。蒼は、じっと固唾を飲んでいる。十六夜と維心は、それは必死の表情だったが、維月はまた、気が進まないような顔だった。
維心が、頷いた。
「すまぬの。こういうことは、主にしか頼めぬのだ、炎嘉。何しろ、主は百戦錬磨であるからの。こと、女に関して。」
炎嘉は、維心を睨んだ。
「己は決まった女しか相手せずに済んでおるくせに、我にはそのようなことをさせるのであるな。で、そんなことを我に頼むということは、見返りも分かっておろうの?」
すると、黙って聞いていた将維がグッと眉を寄せた。維心は、深いため息を付いた。
「…仕方がない。分かってはおるが、言うてみよ。」
炎嘉は、じっと維心を見た。
「良いのか?主、前回レイティアの件を我に頼んで年に一回我に維月を許して居るが、それが二回になるぞ?この調子で行けば、季節の変わり目や正月とかにも我は維月をものに出来ようぞ。安易に何でも、女関係を我に頼むのは間違いではないか?」
それは、嫌味でも何でもなく、本当にそう思っているような口調だった。維心は、また深いため息を着いた。
「分かっておるわ。だが、此度は仕方がない。いろいろ…その、混み合っておって。主にも、追々話すがの。」
維月が居るので、全て話せないのだ。炎嘉は、怪訝な顔をしたが、頷いた。
「しようのない。では、維月は我に年二回会いに来てくれるというわけか。我は良い。此度は前回とは違って、フリで良いのであろう。簡単よ。」
十六夜が、炎嘉に真剣に言った。
「だが、親父にバレちゃならねぇから、必要ならなんだってやってくれていいし。」
維心が、仰天したように十六夜を見た。
「主の、己の母親のことを、ほかの男に何だってやっても良いとは何ぞ。」
十六夜は、維心を睨んだ。
「どうせお袋はああいうことは誰でも別にこだわりねぇんだよ。何しろ、そういう命なんだしな。ただ、人世が長かったから、皆が言うとおりに親父だけを守ってただけで。」
炎嘉は、ため息を付いた。
「まあ、維月の母であるし、気質は維月と似ておろう。ならば、前回とは違ってやりやすそうぞ。で、どうするのだ。」
それには、蒼が答えた。
「母さんが、陽蘭様を心配しているフリをして、地の宮へ行きます。」蒼は、頭の中の、話し合って決めてあったことをなぞった。「そこで、しばらく滞在して、陽蘭様と過ごすので、炎嘉様はそれについて行ってください。維心様は政務が混み合ってとか何とかで、龍の宮へ残りますから。なので、炎嘉様に行ってもらったといった感じで。」
炎嘉は、頷いた。
「また維月と共で、このような任務か。気が重いの。」
維心が言った。
「我とて主と二人であのように無人の宮へ行かせるなど嫌であるわ!だが、仕方がないのだ。維月が移動せねば意味がなくての。ま、後で話すがの。」
あまりにも、後で話すということが多すぎで、さすがの維月も眉を寄せた。
「あの、先ほどから。いったい、何を私に隠しておられまするの?どうして、今ではいけないのですか。」
維心は、たじろいた。
「いや…別に、話しても良いが、主が面倒がるかもと。」
十六夜が、仕方なく割り込んだ。
「あのな維月、誰しも、一人になったら寂しいだろうが。」十六夜は、確信はつかずにおこうと考えて話した。「親父は、今は平気だが、時間が経って来て寂しくなって来てもしかして片割れをお前にしようなんて考えるかもしれないだろうが。だから、オレ達は焦ってるんだよ。」
維月は、きょとんとしたが、声を立てて笑った。
「なあに言ってるのよ十六夜!娘じゃないの!今までだって、それはかわいがってくださるけれど、そんな対象に考えてるような感じ、受けたことないもの。」
十六夜は、神妙な顔で維心を見た。維心は、小さく息を付いた。炎嘉は、その様子を見て、これがもしかして、の話ではなく、実際それに近いことが起こっているのだと直感した。それは、将維もそうだった。
なので、炎嘉は言った。
「いや、あながち十六夜の言っておることは間違いではないぞ、維月。何しろ、それだけ身近くに来たのだから。片割れと申すなら、主が一番手っ取り早いしの。つまりは、そうならぬように早めに手を打とうということなのだ。」
十六夜と維心が、大きく頷いた。
「そうよ。だからの、主もあり得ぬことなどと思わず、とにかく父母の仲を取り持つことを考えよ。」
維心の言葉に、少し怪訝な顔をしながらも、維月は頷いた。
「はい、維心様。」
十六夜は、ホッとして炎嘉を見た。
「で、お袋はいねぇし、維月まで居ないとなれば、親父も地の宮のほうを気にせずに居られないだろう。お前も今は王だし、そうそうずっと離れてられないだろうから、時間が空いたら地の宮へ行って、お袋と仲良く話しててくれ。多分、しばらくしたら、親父は様子を見に行くだろうから…」
炎嘉は、フッと息を付いた。
「…その、仲の良い様を見せよと申すのだな。わかった、やってみようぞ。」
十六夜が、頷いて立ち上がった。
「さ、善は急げだ。」と、維月を引っ張って立たせ、炎嘉の方へ押しやった。「行ってきな。月の宮で会って、そういうことになったってことにしとくから。」
炎嘉は、維月をぐいぐいと押し付けられて、慌てて手を出して抱きとめなら、言った。
「こら!主は乱暴なのだ!維月が苦しそうではないか!」
維心も、性急な十六夜に言った。
「何でも思いついたらすぐに行動しよって!維月は物ではないと言うのに!」
十六夜は、鬱陶しそうに二人を見た。
「あのな!維月は月でこれはエネルギー体なんだ!ある程度は柔軟性があらあ。」と、維月を見た。「維月、頼んだぞ。オレも様子見に行くからな。」
十六夜の、大真面目で真剣な様に、維月は文句を言おうと思っていたのを忘れて、頷いた。
「任せて。絶対、二人を戻してみせるから!」
そうして、仕方なく炎嘉は維月を抱いて、地の宮のある、深い森の方へと飛んで行った。
維心は、それを心配そうに見送ったのだった。




