入れ替え
十六夜が険しい顔をして黙っているのに、維心も負けじと黙って考え込んでいるところへ、何も知らない維月が戻って来た。湯殿に行って来たらしく、頬がつやつやと光っている。二人の重い雰囲気を、維月は敏感に察して立ち止まった。
「…どうしたの?さっきの、お父様のこと?」
維心が、急いで手を差し出して微笑んだ。
「ああ、主は何も心配せずとも良いのだ。こちらへ。」
維月は、その手を取って維心の横に座った。しかし、まだ眉を寄せたままの十六夜に、維月は言った。
「十六夜…やっぱりお父様は、お母様の所に戻る気は無いのね?」
十六夜は、ため息混じりに頷いた。
「無いな。完全に離れっちまってる。」と、維月の手を握った。「維月、しばらく月へ戻って来ないか?」
維月は、驚いて十六夜を見た。月へ?
「どうしたの、十六夜。どうして、月?月の宮じゃなくて?」
十六夜は、頷いた。
「月だ。しばらくオレと月に居ないか。」
維月が訳が分からず、困って維心を見上げた。維心は、維月の肩を抱いた。
「十六夜、気持ちは分かるが、まだそうと決まったわけではあるまいが。」
十六夜は、維心を見た。
「お前にゃわからねぇよ。月に居たら、維月とオレの命は一部混ざった状態だから、引き離すことなんて出来ねぇ。一緒にどうにかしなきゃな。」
維月は、十六夜を見て眉を寄せた。
「引き離すって何?ねえ、いったい何を言ってるの?話してくれなきゃ分からないじゃない!」
十六夜と維心は、顔を見合わせた。しばらくそうしていて、十六夜はスッと立ち上がった。
「…いや、いい。またな、維月。」
維月は、慌てて十六夜を追って窓際へ走った。
「十六夜?どうしたの、ねえ、教えて?」
十六夜は、じっと維月を見てから、いきなり抱きしめた。
「維月…オレ達、月で対だよな。」
維月は、戸惑いながら頷いた。
「そうよ。別に月でなくても、生まれた時から一緒じゃない。」維月が言うと、十六夜はハッとして維月の顔をまじまじと見た。維月は続けた。「私達、双子でしょ?お母様のお腹の中から一緒よ。月なのは、お父様が月へ上げた3歳の時からだもの。それまでは、地上で居たし。それでも、対だったわよ?対の命って、そういうことじゃないの?」
十六夜は、それを聞いて、分かった。そうだ、対…オレ達は、双子で、だから対なんだ。月でも地でも関係なかった。
「そうか。そうだったな。そこで親父がオレだけ月へ上げてたとしても、対だよな。」
維月は、何を今更、と言う顔で言った。
「そうよ?本体が変わっても、同じようにお腹で育った同じ命の分かれた双子なんだから。対でしょ?そんなこと、悩んでたの?」
十六夜は、笑った。
「いや、すまないな。忘れててさ。」
維月は、怪訝な顔をした。
「変なの、十六夜って。前世なんか人と月だったのに、縁が繋がってるからこうして無理やり月になったのに。今更離れる訳なんかないじゃない。」
十六夜は、笑って維月の頭をぽんぽんと叩いた。
「そうだったな。すまねぇ。オレ、何だか勘違いしてたみたいでさ。」
維月はまだ顔をしかめていたが、小首をかしげた。
「そうなの?それで、問題は解決した?」
十六夜は、維月の頬を両手でぐいと引っ張って言った。
「なんでぇ、しけた面しやがって。ああ、解決したよ。親父のことは、また今度だ。」
維月は叫んだ。
「いたたたた!ちょっと十六夜!痛いじゃないの!」
それには、維心が慌てて駆け寄って維月を抱いて十六夜から離した。
「何ということをしよるのだ!大事な維月に!」
十六夜は、笑って窓から飛び立った。
「今生になって小さい頃からよくやったんだよ!じゃ、またな、維月!」
維月は、恨みがましい目で十六夜を見上げながら、頬をさすった。
「も~!昔っから何かあったらすぐ頬っぺた引っ張るんだから~!」
十六夜は、月へと戻って行った。
維月は、維心に慰められながら、奥へと入って行った。しかし維心は、十六夜の様子に少しホッとしていた。
大氣が、月の宮へ移った日、碧黎も大氣と維織について久しぶりに月の宮へと戻って来た。蒼と十六夜が迎える中、新しく東に建てた対へと、大氣と維織は入った。そこは、大きさで言えば、この月の宮の将維の対と同じぐらいだった。居間もあるし、奥の間もある。そして、客間も幾つか備えてあった。
大氣は、見違えるほど神の世に精通し、蒼に恭しく非の打ち所のない礼を言って、その対を気に入ったようだった。元より維織も、久しぶりに帰って来た月の宮に大喜びで、新しい自分の住処を走り回っていた。
碧黎は、元々陽蘭と使っていた部屋へ戻る様子もなく、ぶらぶらと月の宮の中を歩き回っていたが、十六夜の部屋へとやって来た。十六夜は、絶対に来るだろうと思っていたので、そこでじっと待っていた。
「親父、来ると思った。」
碧黎は、頷いて側の椅子へと無造作に腰掛けた。
「我がどう動くのか、主なら分かるよの。もうそこそこ長い付き合いなのだ。今生は、親子らしく暮らしたしの。」
十六夜は、慎重に頷いた。
「で?お袋のことでも話しに来たのか。」
碧黎は、首を振った。
「誰も彼も二言目にはあれのことばかり。あれは、もう我には関係ないわ。この先のことまでは分からぬが、今は興味はない。我も神世に長うなって、いろいろと知ったことがあっての。」
十六夜は、じっと碧黎を見た。
「そりゃあ、学ぶことは山ほどあったろうよ。」
碧黎は、ふんと軽く鼻を鳴らした。
「学ぶなどと、そんな大層なことではないわ。我にとって、子供の玩具で遊ぶようなもの。知らぬが、覚えるのは簡単ぞ。しかし…我らに元々無い概念を知るとなるとまた話は別でな。」
十六夜は、碧黎がさらりと言うのに警戒しながら言った。
「例えば、愛情とか?」
碧黎は、驚いたように両眉を上げた。
「なんだ、主分かっておるではないか。」
十六夜は鬱陶しそうに手を振った。
「だから、同じだっての。オレだって、最初維月を思う気持ちってのが何か分からなかったからな。それまで、散々月の女の世話をしてたが、あんな感情は湧かなかった。だから、自分が男か女かも分からなかった。だが、維月が生まれて育って行くのを見守っていると、あいつの感情を知りたくて仕方が無くて…気が付くと、いろんな感情を維月から学んでた。愛情だって、維月から知った。それまで、オレには愛情なんて概念はなかった。」
碧黎は、ため息を付いて椅子の背もたれにもたれると、下を向いた。
「そうなのだ。愛情。それが分からぬ。主らから聞いて、恐らくこれが愛情だろうと思っておったことも、そうではないのだと気付かされた。陽蘭にはの、我は友のような感情であるのだ。大氣に対する気持ちとさほど変わりないと知ったのは、あやつが我の前に現れた時。何かが違うと思うておったが、しかし我らは夫婦として神世に知られておるだろう。なので、乱すつもりもなかったし、そのままで居た。主らという子も居ったし、ややこしいことになるのは面倒だしの。だがな…陽蘭があまりにもうるそうての。それでもいろいろと面倒であるから、堪えておったのよ。我は己がしたいことを制限されるのは好まぬ。主とて同じであろうが。そう考えておると、特別でも何でもないあやつが、なぜに我の行動を制限し、我がそれを堪えねばならぬと思うて来ての。」
十六夜は、分かりたくなかったが、碧黎の言うことが分かった。なので、黙って聞いていた。碧黎は続けた。
「そうすると、戻りたくなった。あやつに煩わされない環境にの。しかし、神世から退くつもりもないし、なので、側に居ると心地よい、維月の側へ行こうと思うて、維心の宮に居ったのだ。しかしのう…あの宮は、神世の象徴のような宮。神世の理と合わぬ状況があった場合、正す様に迫られる。今、我は妻を離縁しようとしておる状態なのであろう。それが完結しておらぬし、子も居るのに何をふらふら、というのが神世の一般的な考え方なのであるな。維心も、我に元へ戻るよう促すようなことを言いよるし、そうすると腹が立った。我はそう…人の世でいう、ママゴト遊びを、子供としておるような心境なのだ。その遊びで、面倒なことを迫られるのは鬱陶しいではないか。最初はハイハイ聞いておったが、あまりに我に干渉して来るのは不快ぞ。維月の夫であるし、我の大事な持ち駒でもあるし、維心にはあまり厳しくしたくないのだが。」
十六夜は、碧黎をじっと見た。考えていることは、分かる。だが、どこか不安になるような感じなのはどうしてなのだろう。
「…維月を、対にって考えてるってことか?」
碧黎は、そこで十六夜をまじまじと見た。そして、しばらく黙ってから言った。
「そうだと言ったら、主、どうするのだ。」
十六夜は、ぐっと拳を握った。どうしても、維月だけは譲りたくない。だが、この父の力に、自分は絶対に及ばない。何しろ、自分もこの父の力を分けられたようもの。
十六夜は、搾り出すように言った。
「…維月だけは、渡さねぇとしか言えねぇな。」
碧黎は、それを聞いて表情を動かさなかったが、うむ、と一度軽く頷くと言った。
「それは知っておる。主の希望であるな。我がその気になれば、主の意思など関係ないのも、主はとっくに知っておるのだから。」十六夜が、じっと自分を睨んでいるのを見て、碧黎は続けた。「確かにそう考えた。だが、我の分身と言ってもいいほど、主の力は強いものであるし、我が維月を奪おうとした時の主の抵抗を考えると、地の被害は計り知れない。そんな危険を冒してまで、我はあれを対にしようなどとは思わぬ。なので、維月を月から下ろすことも考えておらぬ。安心するが良い。」
十六夜は、ホッとしたような顔をした。確かに自分が抵抗すれば、地は大変なことになるだろう。維心とケンカした時ですら、大変なことになったのだ。碧黎は続けた。
「ま、側に居れば我は満足よ。あれの価値観を考えても、我が自分を望んでおるなどと知ったら、恐らく今のようには接してはくれまいし。父としてでも良いのだ。あれが我を慕って、寄って来るのであればの。それに、我は主のこともかわいいと思うておるのだぞ?自分が発祥の命であるのだからの。つまりは、今の状態を変えるつもりはない。変わるのは、我と陽蘭の関係だけぞ。あれだけは、どうしても受け入れられぬ。今の状態ではな。そのうちに気も変わるやもしれぬし、気長に待ってくれれば良いわ。」
十六夜は、慎重に頷きながら、しかしそれでは駄目だと思っていた。今はそれで良くても、必ずそれでは物足りなくなって来る時が来る。自分が、そうだった。維月を見ているだけでいいと思っていた、月から降りる術も知らなかったあの頃、それでもどれほどにつらかったことか。絶対に叶わないと思いながら、それでも維月を求めてやまない自分の心に、それは苦しんだものだった。碧黎は、そんな我慢はしない。欲しいと思ったら、自分になど話さずに隙を見て維月を月から下ろしてしまうだろう。
しかし、当の碧黎は、涼しい顔で空を見上げていた。十六夜は、また維月と話し合わなければ、と心底思った。




