愛おしい
大氣は、どうしても月の宮へ移る前にこのことは言っておいた方がいいだろうと思い、それをまず維月にではなく維心に話した。維心は、それを聞いてスッと眉を寄せたが、頷いた。
「…そうであろうの。」維心は、意外にも知っているかのように言った。「我も、時に眉をひそめることがある。何しろ、あれは昔から、維月が呼べばすぐに飛んで来て…普通の父より、遥かに維月に甘かった。親子でなければ、疑うておったところよ。しかし、碧黎は今のまま親子で良いと言うておるのだろう。ならば、我も何も言うまい。これを維月に伝えたところで、維月が戸惑って今の親子関係がギクシャクしてしもうては困る。そうなると、碧黎は維月を側に置きたいからと、次は娶ると言い出すやもしれぬではないか。」
大氣は、確かにその通りだと思った。碧黎は、今のまま父として維月に慕われるのを望んでいる。だが、自分の対のように思っているなどと知れたら、維月は構えて碧黎から遠ざかるかもしれない。そうなってしまったら、確かに維心の言うように、自分の側に置こうと、娶ろうとするかもしれない。
「十六夜にも、言わぬ方が良いか?」
維心は、考えるように顎に手を触れた。
「そうであるな…主、月の宮へもうすぐ移るであろう。そこで申せ。それで良いであろうぞ。くれぐれも、維月には申すでない。あれはそういうことを気にするのだ。今まで、それはたくさんの男が維月を望んで来ての。そのたびに我も面倒であった。しかし、よう我に言うてくれたことよ、大氣。主、神世のことをよう理解して参っておるの。感心したぞ。」
大氣は、ため息を付いた。
「仕方がないであろうが。己の妻がこの世で生きておるのであるから。しかし、慣れて参ったら複雑で面白い。単純なのは変化がなくて退屈しておったところであるから、我も楽しんでおるよ。」
そう言うと、大氣はそこを出て行った。維心は、維月が庭に居るのを結界内であるので気を探って見ながら、それを聞いていなかったことを確認し、表情を緩めた。ほんに面倒なこと…しかし、維月は我のことを愛おしいと思うてくれておるのだから。
維心は、楽しげに庭を散策する維月を見ながら、その幸せに一人微笑んだ。
すると、そこへ碧黎がやって来たのが見えた。維月は、父親なので喜んで駆け寄る。碧黎はそれを嬉しそうに抱き止めると、何やら話している。父親と言っても自分達と姿は何も変わらない。知らないで見れば、確かに夫婦のようだ。維心は、さすがに今話を聞いたばかりで良い気はせず、庭へと出て行った。
「維心様!」
維月は、維心の姿を見ると嬉しそうに碧黎から離れて維心の方へと飛んで来た。維心は、腕を伸ばしてそれを受け止めると、維月を抱きしめて微笑んだ。
「そのように急がずとも…離れて居ったとてほんの一刻のことであろうが。困ったヤツよ。」
維月は、まるで子犬のように維心をきらきらとした目で見上げている。
「だって…いつもはお連れくださるのに、今日は大切な用だからと置いて行ってしまわれたのですもの。お話は、もう終わりましたの?」
維心は、頷いた。
「終わった。なので迎えに参ったのだ。さあ、居間へ戻ろうぞ。」
維月は頷きながら、碧黎を振り返った。
「では、お父様。」
碧黎は、苦笑して頷いた。
「ほんにのう、父よりも夫よの。ま、嫁がせた娘であるし。しょうのないことよ。」
維心は、碧黎を見た。
「主も、少し考えた方が良いであろう。その娘が、大変に気に病んでおるのだぞ?いつまでも夫婦仲が悪いのも、考え物ぞ。」
碧黎は、スッと表情を変えた。それは、思っていた以上に冷たい、しかし無表情であった。
「…維心。主にも言うておかねばならぬの。我らのことは、我らのことぞ。主は、己のことを考えておったら良いのよ。」とこちらへ歩み寄って来て、維月の頭を撫でた。「我らは、普通の親子ではない。主らが言う、血の繋がりはないのだ。同じ命の繋がりとして、こやつと一緒に生まれた十六夜でさえ維月を娶ったであろう。炎嘉と、主のようなものよ。同じ種類の命ではあるが、血の繋がりなどない。なので我が、維月を娶ることすら可能であるのだぞ?」
維月が、驚いたような顔をした。維心は、あえて避けたことなのにと、眉を寄せた。
「…何が言いたいのだ。」
碧黎は、フッと笑った。
「言葉のままぞ。なので、親子というても、家族というても、主らの常識とは違うということだ。主らの世に住むにあたって、主らの常識に合わせてそのようなふりをしておるだけで、我と陽蘭の仲が悪いからとこやつらが気に病むことなどない。我らは本来、自由ぞ。そのような理に縛られる主らとは違う。夜を共にしたら娶って側に置かねばとか、一度婚姻関係になったから終生世話をせねばとか、そんな決まりもない。居たいから側に居る。嫌ならば離れる。至極単純よ。我慢などせぬ。その必要もない。我らはそういう命…だからこそ、地を背負い、だからこそ、大きな力を持つ。そして、不死なのだ。」と、維心をじっと見つめた。「主の責務など、我から見たら軽いものよ。我が与えたものなのだぞ?神という命に、耐えられぬような責務は与えぬわ。たかが地を治めれば良いのであろうが。だからその力を、我が、与えたのだ。」
維心は、グッと黙った。自分は、碧黎に作られた命。自然に発生したのではない。初代龍王維翔の魂を元に、力を加えて完全体として生み出された魂。それは、ここまで生きて来て知った事実だった。こうして人型になって生活するようになったが、それでも碧黎は地という強大な命であることには、変わりないのだ。
維月が、心配そうに維心を見上げている。維心は、そんな維月に無理に微笑み掛けた。
「分かっておる。我は、主の責務が円滑に進むために作られた命よな。あくまで、主の補助として。」
碧黎は、頷いた。
「思い出したなら良い。主には、我に指図する権利はない。」碧黎は、そう言うと、浮き上がった。「我は主から維月を取り上げようなどと思うてはおらぬ。そうするのは簡単ぞ。しかし、そうはせぬ。安堵するが良い。しかし、我に指図しようとするなら話は別ぞ。そのようなこと、夢考えるでないわ。我に敵わぬのは、身に沁みておろうが…主は、愚かではないはずぞ。」
碧黎は、スッと宙で消えた。維月が、それを見て思わず叫んだ。
「お父様?!」
しかし、応答はない。訳が分からないまま、維月はおろおろと維心を見上げた。
「いったい、何のお話でしたのでしょう。維心様、どうしてお父様はあのように怒っていらっしゃるの?」
すると、維心が答えるより先に、後ろから声がした。
「維心、もしかしてやばいのか。」
維心がその声に振り返ると、十六夜が、そこで浮いていた。月から聞いていて、慌てて降りて来たようだ。維心は、首を振った。
「いや…」と、維月を見て、言った。「少し機嫌が悪いだけぞ。維月、このように埃っぽくなって。そら、湯殿に参らねばの。」
維月は、自分を見てびっくりした。そういえば、あちらの茂みに潜り込んで、侍女達と野うさぎを追っていたっけ…。
「まあ!」維月は、慌てて維心から離れた。維心の袿が汚れてしまう。「あの、ではすぐに着替えて参ります。居間でお待ちくださいませ。」
維心は、苦笑して頷いた。
「急ぐでないぞ。またあちこちぶつけることになるゆえな。」
維月は頷いて、スッと浮き上がると宮へと急いだ。十六夜は、それを見送って言った。
「維月に、言えないことか。」
維心は、頷いた。
「碧黎がの。大氣より聞いたが、維月を対のように思うと申して。今の親子関係のままで良いと本人は申しておるようであるが、このままでは陽蘭のこともあるし、我が今、夫婦仲が悪いのはと、水を向けてみたのだ。さすれば、あのように。」
十六夜は、フッと息を付いた。
「…まあな、薄々気付いてはいたけどよ。」
維心は、驚いたように十六夜を見た。
「気付いておった?」
十六夜は、頷いた。そして、歩き出しながら言った。
「居間へ行こうや。」維心が歩き出したのを見て、それに並んで歩きながら、続けた。「だってよ、オレ達の命ってのは、元々対とかそんなの関係なくってな。大氣みたいに単体のほうが自然なんだ。オレも親父もお前達に言われると気ままなんだが、これが本来の気質。こんな気ままなのに、何かに縛られるなんて面倒だろうが。」
維心は、しかし顔をしかめた。
「だが、陽蘭はどうだ?あれは始めから我らと同じ感覚であったではないか。」
十六夜は、首を振った。
「あれだって、違う。お袋は、最初から人と暮らしたりして、ああいう世に慣れてそれを心地よいと思って、それを自分の価値観にしてるからああなだけで。本来同じだ。それに、親父より力が弱くて、いつも隣りに居たから依存するのに慣れてる。親父だって、同じ命が隣りに居たから、交流してただけ。そのうちに、人や神の価値観が入って来て、一緒に居たい、だから愛情って思ってただけで、そんな観念はオレ達にはねぇ。そもそも、男女ってのも怪しいところがあるぐらいだ。」
維心は、そんな根本的なところにまで、と仰天した。
「何と。では主は女かもということか。」
十六夜は、手を振った。
「ああ、いやオレは男だけどよ。維月が女だからな。でも、維月が男だったらオレは女だったかもしれねぇけど。」
維心はますます眉を寄せた。
「…よく分からぬが、維月が女でよかったことよ。」
十六夜は笑った。
「お前にとってはそうだろうな。オレは維月だったらどっちでも良かったし。自分が女になりゃいいんだからさ。」
維心は、急に理解した。つまりは、そういう感覚なのだ。
「そうか、主らはそういうことにこだわらぬのだな。」
十六夜は、頷いた。
「そうなんだよ。オレ達は、男女なんか関係ねぇ。そもそも、子供を産んだりとかいう機能が、元々なかったんじゃねぇかなと思うんだ。親父も言ってたが、必要に応じて何でも出来るが、元々無かった機能もあるんじゃないか、ってな。オレと維月も、普通にお前達と同じことしてるのに、子供が出来たのは、前世蒼の月の命と、今生の維織だけ。どうも、必要な時にだけ、そうやって出来るんじゃねぇかなって思うんだよな。親父とお袋だってそうだろう。オレ達のほか、一人も出来てねぇんだからな。お前は前世6人、今生1人の合計7人も作ってるのにさ。」
居間の前に到着し、維心はその窓を気で開けながら考え込む顔をした。
「…だから、主らはそういうことにあまりこだわりがないと?」
十六夜は、頷いた。
「そう。元々、必要を感じないからだ。だが、オレも維月も、人世も神世も知って、そうすることが愛情表現みたいな感じになっちまってるから、だからするんだけどな。維月を見ろ、前世人だったからオレが維月にあわせてあれをするようになってさ、今生、前世の記憶がなかった時、酷かったろうが。しちゃいけねぇと言わないと、求められたらしなきゃならないもんだと思っちまうぐらいだからさ。」
維心は、それには何度も頷いた。
「ああ、そうだったな。」と、居間へと足を踏み入れて定位置に腰掛けた。「つまり、碧黎が言うように、主らは形だけ家族だということか?」
十六夜は、渋々ながら頷いた。
「そうだ。家族じゃなく、実際は同族なんだ。大氣もそうだぞ?」と、十六夜はため息を付いた。「親父も、最初は面白いから、家族ごっこしてたんだろうけど、お袋に嫌気がさしちまって、そんなのも面倒になったんじゃねぇかな。確かにあの二人の命を元に出来た命だから、オレ達はあの二人に似てるんだが、それも同族だから似てるってこともある。だってさ、大氣とオレの人型って似てねぇか?」
維心は、言われてまじまじと十六夜を見つめた。確かに…大氣は白いような青い髪だが、十六夜は青銀色の髪だ。顔立ちのすっきりと整っているところも、確かに十六夜と大氣の人型は似ている。維心がそれを知ってびっくりしているのを見てから、十六夜は続けた。
「だろう?オレ達は、同族なんだよ。似てて当然さ。」と、フッとため息を付いた。「だからな、親父が維月を選んだって、オレ達サイドから見て何らおかしいことなんかないんだよ。それに、神世から見ても親父が維月を選んでたって、別に問題ないだろ?だって、ああいうことをしたがらねぇからな。ただ、側に居るだけで。」
維心は、複雑だったが頷いた。確かにそうなのだが。
「確かにそうなんだが…あまり、いい気はせぬの。」
十六夜は、苦笑した。
「分かるよ。だが、オレからしたら別なんだ。」と、急に表情を固くした。「…維月を、月でなく地に変えちまう可能性があるからな。」
維心は、目を丸くした。確かに、月に上げたのは碧黎。ならば、下ろすことも出来るのか。
「え…では、主の片割れはどうなるのだ。」
十六夜は、固い表情のまま答えた。
「お袋じゃねぇか?入れ替えちまって、対にしようと考えるかもしれねぇ。お前はいい。地上から来ようが、月から来ようが維月は維月だ。だが、オレにしたら大問題なんだよ。維月がオレの、半身じゃなくなるんだからな。」
維心は、呆然と十六夜を見た。そんなことがありうるのか。だが、ありうると十六夜が言っているのだから、あるのだろう。碧黎が月にしたのだから、月から下ろして地にするのもお手のものなのかもしれない。
維心は、今知った事実にただ呆然と思考を巡らせようとしていた。だが、あまりに大きなことに思考がついて行かなかった。




