出会い
維織は、また毎日を同じように過ごしていた。
女神達と話して、散歩して、お茶飲んで笑い合い、そしてその日は暮れて、部屋へ帰って休む。今日も、それと同じことをして部屋へ帰るところだった。
あの、七夕に見たヴァルラムの城には、あれから大挙していろいろな宮からの茶の誘いや婚姻の打診などがあったらしいが、それは即座にすげなく断られてしまったらしい。最初、女神達は皆一様に沈んだ様子だったが、それも一時のこと、またすぐに他の神のことで話題は持ちきりだった。
実は弟の維明も、かなりの人気を誇っていた。しかし維明は次代の龍王であり、この龍の宮の第一皇子で、女神達には敷居が高いようだった。維明本人が、誰の誘いも受けないし、浮いた噂の一つもなく、いつなり訓練場に篭っているとあっては、諦めるよりなかったようだ。維心そっくりの維明に、皆維心を重ねて、最初から無理だという思いのほうが強いというのもあるらしい。
維織は、そんな話を反芻しながら南の庭から近道して自分の部屋がある対へと向かっていた。
いつも通る回廊の入り口が見えて、そちらへ向かって芝を踏みしめていると、側に何か、懐かしいと感じる気があるのに気が付いた。お父様か、お母様…?
維織は、そちらへ向かって足を向けた。
すると、大きな杉の影、その気の持ち主は浮いていた。月を見上げて、それは美しく、維織はどこかで見たような姿だと思いながら、呆然とその神を見上げた。
すると、その神は維織の気配に気付いてこちらを見た。維織は、驚いた…どうしよう。知らない神と、二人で話はいけないと言われておったものを。
しかし、その相手は維織をじっと見つめてから、言った。
「おお…維織か。」
維織は、びっくりした。そこに、なぜか親しみを感じたからだ。
「あの…私をご存知でいらっしゃいまするか?」
相手は、頷いてこちらへ降りて来た。
「知っておる。そうか、あの頃主は小さな赤子であったわ。覚えておらぬのも、道理よの。我は、大氣。主の祖父の、友よ。」
維織は、口を押さえた。聞いたことがある。では、これは私達と同じ命なのだわ。
「大氣様。覚えておらぬで、申し訳ありませぬ。」
大氣は、首を振った。
「良い。我もあれからあちらへ顔を出しておらなんだ。いろいろと考えることがあって…いろんな地をぶらぶらと訪ねて回っておったのよ。」
維織は、大氣が懐かしいと思ったのは、赤子の時に会ったことがあるからと思いつつ、その親しみのある気に和んで、微笑んだ。
「まあ。どのような地でありまするか?」
大氣は、側の岩に腰掛けた。
「興味があるのか。では、主も座るか?話して聞かせようぞ。」
維織は、頷いた。そして、その日は夜更けるまで、そうやって大氣の話を聞いていたのだった。
ヴァルラムは、毎日を淡々とこなしていた。
あれから、不思議なことに心が軽い。あれほどサイラスに心配されていた、維心の記憶というものが、跡形もなくなっていて、すっきりとした気持ちだった。維心の記憶がなくなれば、いつもの生活に戻るだけで、ヴァルラムにとってそれは特別苦しいことでもなかった。常、そういう風に暮らして来たからだ。
そういえば、ここ最近は維月のことも考えておらなんだ。
ヴァルラムは、そう思いながらあちらの地の報告を読んで窓の外を眺めた。維月は、どうしているだろう。確かに慕わしいが、遠い地に住む月の女。今更、この手にしようという思いは、ヴァルラムの心にはもうなかった。生きて来た中で、癒されてそれは楽しい時間であったかもしれないが、段々に遠くなるような気がしていた。
「王。」
レムの声が、ヴァルラムを現実に引き戻した。ヴァルラムは、レムを見た。
「何ぞ。」
レムが、顔を上げた。
「は。一度、旧イリダルの領地、ベンガル族の視察を。あちらもこの百年の間に落ち着いて、それは穏やかになり申した。人に下ったイリダルは、とうに寿命を迎えて世を去りましたが、人はその知恵をもらい、大切に守って生きておる由。あちらは、人にも神にも過ごしやすい地になっておりまする。」
ヴァルラムは、遠くを見るような目をした。城の地下牢で、維月と共に囚われたとき、共に過ごしたあの記憶がつらくてならなくて、足を向けることがなかった。
「そうよな…ここからすぐであるのに、我はそう出かけてもおらなんだ。あの城には、いろいろと思うところがあったゆえ。しかし、参ってみるかの。」
そう言って立ち上がったヴァルラムに、レムは深く頭を下げた。
「は!では、お供致しまする。」
そうして、二人は一路、ベンガルの領地へと飛んだのだった。
そこは、確かに穏やかな気に包まれた、和やかな雰囲気の土地へと変貌していた。
本来、大変に穏やかで優しい気質の神が集っていたこの地。イリダルの父の代からおかしくなっていたが、本当は癒しの地であると皆に賞賛される場所だった。
その頃のことを思い出し、ヴァルラムは遠く地平線までを見た。
「レム。この辺りはほんにようなったもの。我も安堵したわ。これも、龍王が力添えしてくれたお陰よの。臣下にこの報告と、礼を記した書状を送るよう申せ。」
レムは、頷いた。
「は、早急に。」
そのおっとりとした雰囲気に、自分まで癒されるような気持ちになりながら、ヴァルラムが低空を飛んで市中を見回っていると、森の外れにも数軒の小さな家々が立っているのを見つけた。湖から続く、細い川の近くにあるその集落は、田舎の風情がヴァルラムには珍しかった。
「あれは?」
ヴァルラムが言うと、レムが頷いた。
「は、あれは一般の神でありましょうな。城仕えではないでしょう。ここらは気が豊富でありまするので、城へ仕えずともああして生きて行くことが出来まするから。」
ヴァルラムは頷いた。
「珍しいの。暮らしぶりを見てみたいもの。」
レムは、驚いた顔をしたが、頭を下げた。
「は、では、訊いて参りましょう。」
そして、サッと降りて行くと、一軒の家の戸の前に立った。すぐに、すっと開いた戸口に、初老の女が立った。そして、レムが何やら話すと、驚いたような顔をしながら、ためらったように頷いたのが見えた。すると、レムがこちらへ引き返して来て、その女は慌てたように戸を開けたまま中へと取って返すのが見える。レムは、ヴァルラムの前に膝を付いた。
「王、あの家の者が、良いとのことですので。ですが、王がお知りにならぬほど、小さな家でありまするが、よろしいでしょうか。」
ヴァルラムは、頷いた。
「良い。暮らしが知りたいと申したであろう。」
レムは、ヴァルラムを先導して、その家の戸口に再び立った。中から、先ほどの初老の女が慌てふためいた風に戻って来て頭を下げた。
「これは、王。このような場所へお越しと聞いて、大変に驚きましてございます。急なことで取り散らかしておりまするが、どうぞ。」
ヴァルラムは、軽く会釈した。このような小さな家に住んでおるとはいえ、この女は礼儀に通じておるようだ。
中へと入って行くと、そこはすぐに居間だった。側に、水を使う場まで一緒についている。思えば、城ではあるまいに、生活の必需品を一緒に詰めるとこうなるのか、と、ヴァルラムは関心した。他にも部屋はあるようなので、恐らく休む時だけ各々の部屋へ引き上げるような形なのだろうな。
ヴァルラムがそう思っていると、粗末ではあるが、綺麗に拭き上げられた木製の椅子を勧められた。
「どうぞ、お掛けくださいませ。」
ヴァルラムは、慎重に座った。自分は、大変に体格がよく、重量がある。壊してしまってはいけないと思ったからだった。
「あの…すぐに、お茶を。」その女は、緊張気味にそう言うと、側の戸を開いて言った。「さあ、手伝って。」
ヴァルラムが他にも誰か居るのかと顔を上げると、そこには見たこともないほどに美しい顔立ちをした、しかも大変に珍しい気の若い女が立っていた。レムもヴァルラムも驚いていると、先の初老の女が言った。
「これは、我の養女であるアーラと申します。この隣りで住んでおりました我の友が出産で亡くなったので、育てておりまする。」
そう紹介すると、初老の女は、そのアーラという女と共に水場へと立った。ヴァルラムは、驚いていた…こんなところに、こんな気の女が。あれは、維月の気とよく似ている。しかし、もっと近いような。維月が憧れに近い感じがしたが、アーラはもっと身近な感じがする。なぜだろうか。
ヴァルラムが、その気に驚いて黙っていると、茶を入れたカップを持って、アーラが近付いて来た。そして、ヴァルラムの前に茶を置くと、緊張気味に、しかし恥ずかしげに退いた。ヴァルラムは、軽く会釈すると、その茶を口へ含んだ…アーラの気が混ざるような、そんな茶は、ヴァルラムを癒して喉を流れて行った。
レムが、言った。
「こちらは、元はドラゴンの領地であるの。」
初老の女が、頷いた。
「はい。それが、何度かの戦で境界辺りでありましたので、あちらへこちらへと変化して…今は、落ち着いて生活できておりまする。」
レムは、頷いた。そして、ヴァルラムを見た。
「王…では、そろそろ。」
まだ来たばかりであったが、大体において、臣下達は王が庶民の中に居るのを嫌がる風潮にあった。レムはそうではなかったが、アキムがうるさいだろうとの配慮から、そう言ったようだ。
ヴァルラムは、頷いた。
「では…我は戻る。茶を、馳走になったの。」
アーラが、真っ赤になって慌てて頭を下げた。
「は、はい…。」
ヴァルラムは、満足げに頷くと、レムと共にそこを出て、飛び立って行った。
それを見上げながら、アーラの隣りに立っていた、ジーナが言った。
「突然のことで驚いたけれど、本当に美しい王だこと。こんなところへ来られるような、身分のかたではないのにね。」
アーラは、頷いた。
「ええ。でも…我には、父上が来られたのかと思うて、夢が見られたわ。ずっと、我の父上はどんなかたかと思うておったのだもの。母上が心の底から思うておられた神なのだから、きっとあんな風に美しいかただったんだろうなあって…。」
ジーナは、苦笑した。
「我はあまり好きではなかったけれど、確かに姿は大変に美しかったわ。あなたは、父上と同じ眼の色をしておるのよ。その青い色…。」
アーラは、微笑んだ。
「まあ、本当に?」と、空を見上げた。「一度だけでも、お見上げしたいなあ…。」
アーラは、ヴァルラムが去った空を見上げてそう言った。その美しさには、ジーナも見とれた。これほどの娘、こんな所で埋もれてはいけない。もっといい生活が出来るのに。我らとは、きっと違う血が流れているのだ。
ジーナは、どうにかしてアーラに、いい生活をさせてやれないかと、考え込んだのだった。




