片割れ
アーラは、今日も一人空を見上げていた。
母のアンジェリーナは、大変に美しい女だったらしい。だが、アーラを産んで亡くなったのだと、アーラを育ててくれた、ジーナが教えてくれた。ジーナは、たまたま隣りに住んでいただけの、母の親友だったらしい。自分にも娘が居るからと、一緒に育ててくれて数十年、アーラは大変に美しく、母そっくりに育った。
父はというと、どうもはっきりしなかった。どうも、東の方から来たらしい神で、美しく穏やかで、他を包み込むような気を発していたらしい。そんな父に一目惚れした母が、それは毎日毎日、父に自分を娶って欲しいと必死にアピールしていたそうだ。いつ居なくなってしまうのか分からないようなそんな神を愛した母は、それでもそんなに言うのならと応えてくれたその神の子を、腹に宿らせた。それが、アーラだった。
しかし、その神はなぜか、妻と子という感覚はないようで、あまり関心を向けていなかったようだ。時々に母に会いには来るが、案じてというより、こちらへ来たついでに、思い出したからといった感じで、見ていたジーナも歯がゆかったのだという。だが、母のアンジェリーナは嬉しそうだった。その愛する男の、子を産めるのだと、それはアーラが生まれるのを待ち遠しくしていたのだそうだ。
しかし、出産のその時、アンジェリーナは見る見る気を喪失して息絶えた。生み出すまでは、何の問題もなかった。それなのに、アーラを産んだ途端に、眠るように息を引き取ったのだという。
父は、出産の終わった頃にやって来て、アンジェリーナを見て言った…だから、主には我の子は産めぬだろうと申したのに、と。そこに、悲哀はなかった。ただ、事実を淡々と述べているように見え、ジーナは恐ろしくなって、アーラと名付けて自分が育てると申し出た。父は、ジーナを見て驚いたような顔をしたが、我には関係のないこと、主が決めよ、と言って、そこを去ったのだという。
アーラは、ため息を付いた。自分を、娘とも思ってはいないような父だろう。だが、一目会いたい。空から来るという父は、この数十年、アーラの前に姿を現したことはない。だが、アーラはその父に、死ぬまでに絶対に会いたいと毎日空を眺めては、祈っていたのだった。
「維心様。」
維月が、会合から帰って来た維心に気付いて駆け寄って来る。維心が会合に出ている間、庭で若い侍女達と駆け回っていたらしい。庭へと迎えに出て来た維心を見て、乱れた髪で飛びついて来た維月を、維心は大事そうに受け止めてほつれた髪を直してやった。
「ほんに主は…時にこのように子供のようなことを。もう落ち着かねばならぬ歳であるぞ?いつまでもそうではならぬ。」
それでも、目は愛おしそうに細められている。維月は、微笑んだ。
「はい。ですがたまには気ではなく体を使って動かねば。鈍ってしまうように思ってしまって。エネルギー体とはいえ、やはり地上におるのですから…。維心様には、もうお仕事は終わられましたか?」
維心は、頷いた。
「もう、本日は終わった。さあ、中へ。着物を換えねばの。このように埃っぽくなってしもうて…王妃であるのに。維明も維織ももっと落ち着いておるのだから。母の主がこれではの。」
維月は頷いて、維心を見上げた。
「はい。」と、じっと維心を見て、ふふと笑うと身を摺り寄せた。「維心様…。」
維心は、今その着物が埃っぽいと言っていたのに、そんなことには構わず維月を抱きしめた。
「どうした?そのように甘えて。離れて居たとて、ほんの一刻ほどであるのに、困ったヤツよ。」
維月は維心に抱きつきながら、その温かさにホッとして維心の胸に頬を摺り寄せた。
「維心様…こうしておると安心するのですもの。大好き。ふふ。」
「我がままな妃を持つと苦労するの。」維心は言いながら、維月を抱き上げて歩き出した。「しようのない。では、中まで運んでやろうぞ。存分に触れておるが良いわ。」
そうやって戻って行こうと歩いていると、不意に上から何かの気配が降りて来た。維心が、サッと維月を下ろして背後に回し、見上げると、そこには大氣が浮いていた。
「あー主らは。いつ見てもなぜにそれほどべったりと身を側にしておるのだ。鬱陶しくはないか。」
維心は、ホッとして大氣を見て言った。
「先触れでも寄越さぬか。主も碧黎も十六夜も、いきなりやって来おってからに。なかなかに気取れぬから、我も驚くではないか。」
大氣は、面倒そうに宙で胡坐を組むと言った。
「来たいと思った時に来る。して、我の問いに答えておらぬぞ。」
維心は、ため息を付いた。どうしてこう、こやつらは一方的なのだ。
「側に居たいからこそおる。それでは答えにならぬか。」
大氣は、首をかしげた。
「うーん、どうであろうの。我はそんな気持ちになったことがないゆえなあ。側におるのは分かるのだ。碧黎と陽蘭がそうであろう。だが、主らは側に居るだけではないであろう?身をくっつけておる…そのように。」
維月が、維心の背にしがみついて自分を伺っているのを指して、大氣は言った。維心は、そんな維月を前へ回し、自分の袿の中へ入れて守るようにした。
「こうしておったら安心なのだ。お互いにの。離れ離れになってしもうたらと思うと不安になるであろうが。こうしておったら、滅多なことでは我らを引き離せぬからの。」
大氣は、眉を寄せた。
「…このように平穏であるのに?」
維心は、頷いた。
「どうせ主には分からぬわ。碧黎にでも聞くが良い。ま、あれも分かっておるのか疑問であるが、主よりはマシであろうて。」
すると、何の前触れもなく突然にパッと碧黎が目の前に出て来た。維心はびっくりして、思わず維月を抱きしめた。どうしてこの地や大気や月関連の命は、いつもこう急なのだ。
「主らな!ちょっとは遠慮せぬか!驚くではないか!」
維心が叫ぶと、碧黎が言った。
「我が居らぬというのに、名を連呼するゆえ気になって仕方がないであろうが。どこなり見えておる我が、無視できると思うてか。で、何が大氣よりマシだと申す。」
維心が、大氣を指した。
「こやつが我らの仲を知りたがるゆえ、話しておったが理解出来ぬようでの。主、教えてやるが良いわ。我らはそう暇ではないゆえ、中へ戻る。」
維心が維月を腕に中へ入ろうとすると、碧黎がそれを止めた。
「待たぬか。」と、大氣を見た。「あのな、大氣。主分かりもせぬのにあっちこっちへ首を突っ込むのはやめよ。確かに独り身の主が、相手を欲しがるのは分かるがの。」
大氣は、じっと碧黎を見た。
「前に言うたの。我らの親は、なぜに主には片割れを与え、我には与えなんだのかと。不公平よ。お陰で我は、主に出遅れてしもうておる。そのような存在というものに、憧れる気持ちはあるよの。」
碧黎は、はーっと息を付いた。
「ならば、己で探せばよかろう。世のほとんどの神や人は、そうやって相手を探す。我らのように初めから決められておるなど、あまりないのだ。己で選べるのであるから、主、恵まれておるぞ。我ら、選べなんだ。」と、慌てて維月を見た。「維月、母に言うでないぞ。」
維月は、維心の腕の中で何度も頷いた。こんなことが知れたら、また家出だなんだと大騒ぎになるからだ。
《でも、親父に隠し子でも居るんじゃねぇかって、最近のお袋は神経尖らせてるぞ。よく独りでポンポン外出するんだろうが。ほんとに居るんなら、バレねぇように気を付けな、親父。》
空から、十六夜の声が割り込んだ。どうやら、大氣や碧黎が龍の宮に居るのを気取って、月から見ていたらしい。
維月が、それは聞き捨てならないと碧黎に言った。
「え、お父様、私達の他に、どこかにお子が居られますの?!」
維心は、絶句して碧黎を見つめた。確かに、何千年生きていようとも、碧黎の姿は若い。自分達と同じように、30代半ばぐらいの姿なのだ。不死なのだから、当然だった。それに、碧黎ほどの力を持っていれば、他に妃が居てもおかしくない、というのが神世の常識でもあった。しかし、碧黎はぶんぶんと首を振った。それが、どんなことなのか理解しているからだ。
「ない!あるはずはないであろうが!そんなことが陽蘭の耳にでも入ったら、大変なことになる!主ら、定かでもないことをあれの前で言うでないぞ!」
維月は、とにかく口をつぐんでただただ頷いた。維心も、真実がどうであれこの話題だけは出さぬでおこうと心に決めていた。十六夜が言った。
《恐ろしくって、オレから何か言えるはずなんかねぇじゃねぇか。お袋はよう、維月の原型なんだぞ。》
維心が、ぶるっと身震いした。恐ろしい。我にはそんなことは今までないし、これからもないが、絶対にそんなゴタゴタは嫌だ。維月がどんなに怒るかと思うと…というか、怒りもせずに黙って出て行くかと思うと。
しかし、大氣は平気な顔をして言った。
「そんなもの。主の方が気は強いではないか。あれは片割れとはいえついでのような存在であろうが。何が恐ろしい。分からぬわ。」
維心と、碧黎が顔を見合わせた。十六夜が、気の毒そうに言った。
《そうか。わからねぇんだな。お前…まだ、愛してる女ってのが居たことがないからだろうな。》
碧黎が、頷いた。
「こやつのせいではない。」と、大氣を見た。「やはりもう少し、神と接してみよ、大氣。さすれば、見つかるやもしれぬし、分かるやもしれぬぞ?我がそうであったからの。地の底に居た時には、全くこんな世界はわからなんだ。だが、今は分かる。この方が確かに変化に富んで面白いと感じるの。時に恐ろしい思いもするがの。」
大氣は、よく分からないながらも、頷いた。自分には、決められた片割れが居ない。だから、探さなくてはいけないのか。そんなもの、面倒で仕方がない。最初から決めておってくれたほうが、我だって楽だったのに。
そうして、大氣は龍の宮に滞在することになったのだった。




