学び
龍の宮の居間で、維月と二人で座っていた維心は、維月がふと、顔を上げたのを見て自分も空を見上げた。そしてそこに、維織を抱いて舞い降りて来た十六夜を見て、維心があからさまに嫌な顔をした。また何か面倒を持って来たのではないのか。
維月が維心のそんな様子に苦笑して庭へ出て、二人が降りて来るのを見守っていると、維心も渋々ながら後ろから庭へ出て歩いて来た。維織が、維月に頭を下げた。
「維心様、お母様。御機嫌よう。」と、顔を上げて、維心が不機嫌そうに立っているのを見て、言った。「維心様、ここのところご機嫌が良いようだったのに、今日は何だか不機嫌そうですわね。」
維心が、それを聞いてますます眉を寄せた。ヴァルラムの体からこの自分の体に帰ってこのかた、やけに馴れ馴れしい臣下が増えていて、維心はそういった輩を一喝してまとめて罰したりした。それを見た若い臣下たちは震え上がり、維心の機嫌を伺うようにびくびくとしているのを日々感じていた。それは、中身がヴァルラムの時のことだろう。そう思うと、皆が皆ヴァルラムの方が扱いやすかったと言っているようで嫌だった。
十六夜が、フッと笑った。
「維心、子供は正直なんだぞ?お前、ちょっとは大らかな気持ちになったらどうだ。維月が側に居るってのによ。ヴァルラムを見習えっての。」
維心は、十六夜を見てフンと鼻を鳴らした。
「そのようなこと。我は維月以外に愛想良くしようなどとは思わぬだけぞ。それにの、主がこうして来ると決まって面倒事を持って参るだろうが。だからよ。」
十六夜は、ああ、と言う顔をして維月を見た。
「維月、親父がとんでもねぇことを言い出してよ。それのことで、話に来たんだ。」
維月は、眉を寄せた。
「え、とんでもないこと?お父様がとんでもないことを言うのって、いつものことじゃないの。何を今更焦っているのよ。」
維織が、十六夜そっくりの顔で割り込んだ。
「私の、婚姻ですわ、お母様。」
さらっと言う維織に、維月と維心は仰天した顔をした。
「え、婚姻?!」
維月は、そのまま言葉に詰まっている。維心も、不機嫌だったのはどこへやら、そんな維月を支えて慌てて十六夜に言った。
「ならばこんなことをしておってはならぬ。中へ。話を聞こうぞ。」
そして、まだ固まっている維月を引きずるように中へと入って行く。
十六夜も、維織を連れてその後をついて、維心の居間へと入って行った。
「それでな、親父は維織にヴァルラムの子を産ませて、その後こっちへ帰って来たらいいと言うんだよ。」
十六夜が、ことの次第を二人に話した。維織は、それを聞いて言った。
「でもお母様、私は別によろしいのよ。そのかた、こちらの維心様と同じようにご苦労をなさったのでしょう。だったら、私も癒して差し上げるぐらいしようと思うわ。お母様だって、そうでしょう。お父様がいらっしゃるのに、こちらへ長くいらっしゃるのは、そのためと聞いておりますもの。」
維心が、じっと黙っている。維月は、十六夜と目を合わせて、フッとため息を付いた。
「あのね、維織。私達がこうだから、あなたは世間の常識を知らないとは思うけれども、普通は、本当に愛した一人のかたに嫁いで、そしてその結果として子を成して、二人で育てて終生生きて参るものなのよ。私は維心様もお父様も、両方を愛してしまったから、こうしてどちらへも参る生活をしているだけで。子を成すためにだけその間一緒に居るなんて…前世の私はね、人であったからその前に何人も子供を生んでたし、十六夜との間に蒼の月の命を産んでたし、それなりに経験があったから分かってこちらへ最初嫁いだけれども、あなたは何も知らないでしょう?そんな状態で、あちらへなんて…しかも、子供を産むだけで行くなんて。私も、とてもいいとは言えないわ。」
維織は、首をかしげた。その様が、あまりにも今生の記憶のなかった頃の維月に似ていて、十六夜は逆に心を痛めた。もっと、普通に育つ環境においとけばよかった。
「では…お父様は駄目ってお聞きしておるし、お祖父様も駄目だそうだから、維心様に教えていただいてからあちらへ参りまするか?」
維心が、それこそ仰天して身を退いた。今にも立ち上がって飛び出しそうな感じだ。維月が、驚いて言った。
「え、あなた維心様が好きなの?」
維織は頷いた。
「はい。お父様とお祖父様と同じぐらい好きでありますわ。なので、維心様ならばいいかなと。」
維月は、十六夜を見た。十六夜が言った。
「維織、それは恋愛の好きじゃないな。肉親だ。そんな感じで普通は、その、ああいうことはしないんだよ。」
維織は眉を寄せた。
「え?」
駄目だ。恐らく維織には、まだ理解出来ないのだ。
維心が言った。
「何と言われても、主がもし恋愛のように我を思うておると申しても、我は主の相手など出来ぬ。それでなくとも維月以外は身がそうならぬというのに。十六夜にそっくりな娘など、無理に決まっておろうが。他の方法を考えよ。」
十六夜は、維織に教え諭すように言った。
「維織、お前って肝心なことが分かってねぇんだよ。もっと恋愛感情ってのを理解して、自分を大事にしなきゃならねぇぞ。オレは大概維月の時も苦労したが、前世の記憶を戻したから事なきを得たんだ。」と、維月を後悔いっぱいの目で見た。「思えばオレ、最初ここに維織を預けたら良かったんでぇ。自分の娘だから自分で育てようと思って、あっちで世話しててさ。お前はいちいち里帰りしてこなきゃならなかったし。そのうちに大きくなって来て、お袋が何でもやってくれるからそっちに任せっぱなしになって…結果がこれだ。」
維月は、十六夜を慰めるように言った。
「仕方がないわよ。まだこの子は15歳だもの。間に合うわ。神世では赤ちゃんでしょ?今からでも大丈夫よ。」
維心は、頷いて十六夜を見た。
「そうよ。ならばしばらくこちらへ預けてはどうか?こちらには、龍のみならずたくさんの神が出入りする。それらと接しておるうちに、これもいろいろ学ぶのではないか。あちらは、何と申しても地と月が守っておるのだからの。普通の宮ではないのは確かよ。」
維月も、頷いて十六夜を見た。
「ええ。十六夜さえ良ければ、私がしばらくこの子の面倒を見るわ。神世の常識も学べるし、ここはとても良い宮よ。維心様の守りの中だから、危険もないし。」そして、維心を見上げた。「それにしても…父もとんでもないことを言い出したことですわ。このように幼い維織に、子を産ませようなど。」
維心は、そんな維月の肩を抱いて頷いた。
「昔から突拍子もないことを言うやつであったがの。せめてもう100年は待たねばの。良い、我が宮を使えば良いのよ。」
十六夜が、維織の頭を撫でた。
「ほんとになあ。人の世でだってまだ子供だぞ。とにかく、ここでしばらく生活しな、維織。お母様も居るし、維心も居る。困ったって面識のある龍が多いから、ここなら暮らしやすいだろう?」
維織は、少し不安そうな顔をしたが、頷いた。
「はい、お父様。お父様も、よくこちらへいらっしゃって。」
十六夜は、すぐに頷いた。
「ああ、来るよ。月に居るんだから、あっちへ話せば聞こえるしな。」と、維月を見た。「頼んだぞ。あっちに置いてて嫁にやられるより、よっぽどいいからな。」
維月は、苦笑して頷いた。
「任せて。私の娘なのに。」
そうして、十六夜と維月の娘、維織は、龍の宮に滞在することになったのだった。
しかしそれが、それからどれほど長く続くかは、その時の維心にも維月にも、十六夜でさえも分からなかったのだった。




