変化
日々の暮らしは滞りなく、龍の宮も月の宮も、おっとりと過ぎて行っていた。
維月は、また月の宮へ戻って来ていた。ここのところ里帰りして来るのが頻繁で、十六夜も気にしていた…いったい、どうしたのだろう。
「維心と、うまく行ってないのか?」
維月は、湖の畔に座ってぼうっと空を見上げて何でもないことのように答えた。
「いいえ。うまく行き過ぎているぐらい。維心様は、月の宮へ帰ってきますって言ったら、気をつけて参れってすんなり許してくださるし、少し長くここに滞在していたって、困ったものよと苦笑するだけだもの。とっても、穏やかよ。」
しかし、そんな維月の口調に十六夜は眉をひそめた。
「…お前、維心になんか不満でもあるのか。」
維月は、十六夜を睨んだ。しかし、すぐに表情を緩めると、諦めたように肩を落とした。
「十六夜…きっと、私は駄目ね。維心様が穏やかに変わってくださったっていうのに、何か物足りないの。最近では、維心様ではないと思うぐらい…あの、前からあった秘めた激しさが、全く無くなってしまったわ。感じられないの…抑えているという風でもないのに。何が変わったのかしら…でも、それは臣下達もそうみたいで。」
十六夜は、維月を見つめて言った。
「やり易くなったんじゃないのか。いきなり怒鳴られたり、気まぐれに予定を変えろと言われたりしなくなったろうが。」
維月は、首を振った。
「確かにそこはそう。でもね、穏やか過ぎるの。優しいというのかしら…そう、 まるで将維のように、容赦ない沙汰がなくなったから、若い新しい臣下なんかは少し、甘く見始めているみたいな。そうするとね、そういうのって他の宮にも伝わるのよ。龍王は穏やかにおなりで、何でも聞いてくださるだろうって。なので厳しい龍の宮が、結構行儀も知らない神達の訪問も受けるようになって来て…奥宮は変わらないけれど、北北東の対は少し乱れ始めております、と、洪が私にソッと教えてくれたわ。そこは、退役した義心が立つようになってくれて、少し収まってはいるけど。難しいの…あれほどに維心様に手を焼いていた臣下達も、龍王とは荒々しくなければ務まらぬのか、と噂し始めているわ。」
十六夜は、眉を寄せた。
「そうか…維心が龍の気質を無くしたら、龍族は神世に甘く見られるって事なのか。」
維月は、うなずいた。
「でもね、維心様だから。私は大切にするつもりよ?あの…受ける感じは変わってしまって、その、愛情とか分からなくなっても、約束したもの。魂が維心様である限り、お側に居なきゃ。」
十六夜は、驚いた顔をした。
「なんだって?お前…もう、維心を想っちゃいねぇのか。」
維月は、ハッとしたような顔をして、慌てて首を振った。
「え、違うわ!あの、ただ維心様じゃないような気がする時があるだけで。」
十六夜は、維月を真剣に見て両肩を掴んだ。
「違う!お前、誰か他を気にしてるな?オレには分かるぞ。」
維月は、下を向いた。どうしよう。十六夜には嘘を言ってもバレてしまうし…。
「…あのね、私、調印の時、ヴァルラム様に会ったの。」
十六夜は、険しい顔をした。
「ヴァルラムか。確かにお前、ヴァルラムと長く一緒に居たもんな。気を補充されて…それで、維心から心変わりしたのか?」
維月は、ぶんぶんと首を振った。
「そんな!ただ…その時のヴァルラム様は、何だか違ったの。」
「何が違った?」
十六夜が、更に聞く。維月は続けた。
「気を、補充してもらってた時ずっと、あの唇を合わせてたわ。あのね、庭で…会って。その時、くちづけられたの。でも、ヴァルラム様はあんなに激しくなかった。まるで、維心様…。」
十六夜は、呆然と維月から手を離した。維月は、急いで十六夜を見て言った。
「あのね、急だったから拒めなかったの!あの、あのわざとじゃないの!」
十六夜は、維月と目を合わせず他のどこかを見ているような目で言った。
「…ヴァルラムは、何か言ってなかったか?自分が維心だとか何とか。」
維月は、頷いた。
「言ってたわ。訳が分からなくて…その後すぐに維心様が来たし。」
十六夜は、維月を見た。
「…調べてみる。維月、お前は維心をよく見ておけ。」
維月は、驚いた顔をした。
「え?何を見るの?」
「お前の勘が、当たっている可能性を考えろって言ってるんだよ。」十六夜は、立ち上がって維月を抱き上げた。「お前はもう帰れ。オレは、調べる。」
維月は、訳が分からないながら頷いた。
「分かったわ。」
そして、二人は龍の宮へと帰って行った。
サイラスは、ヴァルラムに会うために夜、ドラゴン城を訪ねた。それというのも、ヴァルラムがあまりに厳しいと、アキムから様子を伺って欲しいと頼まれたからだ。
そういえば、自分もいろいろと忙しくてここのところヴァルラムに会っていなかった。調印の様子なども聞こうと、ヴァルラムの居間へと足を踏み入れると、ヴァルラムはもう寝る支度をして、それでも険しい顔で自分の定位置の椅子に腰掛けていた。サイラスは、笑った。
『なんぞ?ヴァルラム、主はまたそのように難しい顔をして。』
ヴァルラムは、顔を上げた。しかし、その目には友に対する思いなど、欠片もなかった。
『…サイラス。このように夜更けてなんぞ。我はもう休む時間であるぞ。』
サイラスは、戸惑った。いつなり、こんな時間になるのは知っていること。サイラスが、夜行性だから、ヴァルラムは困ったやつと言いながら、それでも話しに付き合ってくれていたのではなかったか。
『主…どうした。』サイラスは近付きながら言った。『まるで他人のように。最近は、容赦ない統治だと近隣の城も皆震え上がっておる。ここらはもう、既に主の配下に下って居るのに。これ以上は、皆萎縮するだけぞ。臣下達も、ただ怯えておるではないか。』
ヴァルラムは、ふんと鼻を鳴らした。
『そのようなこと。甘いことを言うておるから、イリダルのような王が現れるのだ。我はそのような輩は許しはせぬ。そうせねば、またあのようなことが起こり、そのたびに龍王に助けを求めよと申すか?あんな小さな島国の、たった一人の王にの。』
サイラスは、ヴァルラムの前に座って気遣わしげにした。
『主…維月か?あれの夫が龍王であるから、龍王ほどに地を完全に統治せねば対抗できぬなどと考えて、そのように厳しく事に当たっておるのか?』
ヴァルラムは、グッと眉を寄せた。
『そんなもの、関係ないわ!』と立ち上がって踵を返した。『もう帰るがよい。我は休む。このように無駄なことを話しておる暇などない。』
サイラスは、慌ててヴァルラムを呼び止めた。
『ヴァルラム!話を聞かぬか!』
しかし、ヴァルラムは奥へと入って行き、それに答えることはなかった。今まで、これほどに強く自分を拒絶したことなどなかったのに。
サイラスは、ただ呆然とそれを見送った。
龍の宮では、炎嘉が維心を訪ねていた。
維月がちょうど帰って来たところで、居間で居るところに入って来たのだ。維心は、炎嘉を見ると言った。
「なんぞ、先触れも寄越さずに。困ったやつよの。」
炎嘉は、驚いたような顔をした。維心からは、憤っているような気も感じない。維月も、それを気遣わしげに見た。
「維心…主、我が言うたことを気にして、こうなっておるのか?」
炎嘉が言うのに、維心は驚いたような顔をした。
「主が言うたこと?…ああ、忘れておることがあるとかいうことか。そうかもしれぬ。だが、主でなくばあのようなことを我には言えぬの。気にしておるかというて、特に気にしてなどおらぬ。」
そう言って、維月の手を取ると、維心は定位置の椅子へと維月と並んで腰掛けた。炎嘉が、怪訝な顔をして維心を見た。
「…維心。我が言うたのは、確かに主が維月維月と世を省みないということであったが、今の主は確かに世のためと判断を下しておるの。しかし、甘いのではないか。我が言うのもなんだが、以前の押さえ込んだ気質はどうした。あれを確かに押さえよとは申したが、ここまで押さえてしもうたら近隣の神に舐められようぞ。そうしたら、もう世のためではないではないか。」
維心は、険しい顔をした。
「我のやり方にとやかく言われたくはない。確かに厳しくするのも必要かもしれぬが、ここまで収まっておる世をこれ以上押さえては萎縮してしまうのではないのか。我は、何も恐怖で押さえつけようとは思うておらぬ。」
炎嘉は、憤って言った。
「だからそれが甘いのだ!ここらの神が、いつなり隙を見ては主に仇名してどうにかして天下を押さえようと考える神達ばかりであることは、主が身を持って知っておることであろうが!」と、息を付いた。「…将維に、甘いというておった主が懐かしいわ。このままではならぬと我は思うぞ。確かに今世を治めておるのは主。主が考えて、何かあれば主が対処すれば良いことであるが、いらぬ戦など起こすでないぞ。我らとて、簡単に部下の軍神に出撃命令など出さぬからの。前世のこと、忘れるでない。」
維心は、炎嘉を睨み付けた。
「分かっておるわ。」
炎嘉は、荒々しく足音を立てながらそこを出て行った。
維月は、どうしたものかとただ案じていた。




