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懸念

維心は、十六夜から聞いてすぐ自分もサイラスの別宮へ来ると言ったのだが、どうせヴァルラムが戻ったらドラゴン城へ戻るのだからと、ドラゴン城で待たされていた。先刻、黄泉の亀裂が閉じたのを感じたので、もう戻っているのはわかっている。

維心は、苛々しながら空を伺っていた。ヴァルラムが自分に似ていて、そして維月を望んでいることを十六夜が知っていたという事実には、憤った。維心はその事実のみではなく、その事実の裏に潜む可能性に危機感を感じて憤ったのだ。何しろ十六夜は、とても大らかというか、月であるせいか生物としての男女の営みについて、軽く考えているふしがあった。その魂や、心を重要視する。なので、維月を自分に許してくれているということもあるので、分かっているのだが、それも維心にとってそれは懸念することだった。

陰の月の維月を、望む神は多い。維月は十六夜と同じ慈愛の月。自分が望んでいなくても、相手が強く乞い、またその生き様に共感すると包み込むような愛情を与えることをよしとする。ただ、その心はいつも、十六夜と維心にあった。それは、維心もよく分かっていた。だが、どうしても許せない。維月が、他の男の側にも居るということが。

今、維月はその十六夜とヴァルラムと共に居る。もしも、その時にヴァルラムが維月を強く乞い、それを十六夜が許したならば?十六夜は、おそらくヴァルラムになら維月を許すだろう。前世の、維心とよく似ているのだ。孤独に世を平定することだけを考えて来た神。ならば、ヴァルラムが乞えば、維月も十六夜もそれを承諾する気がする…そして、もしも維月がヴァルラムを真に愛したとしたら。もしかして、自分など気おされてしまうかもしれない…。

維心は、それを考えると落ち着かなかった。苛々と落ちつかない気持ちで空を見上げていた維心の目に、十六夜の腕に抱かれた維月と、その両隣に将維とヴァルラム、そして、ヴァルラムの隣りにサイラスが見えて来た。

すると、必死に飛び出して来た、ドラゴンの重臣筆頭、アキムが叫んだ。

『王!ああどれほどに案じたましたことか!よく、よくご無事でお戻りくださいました!』

ロシア語だ。蒼が、横で渋い顔をしたのが見える。構えていなかったので、言語を読み取ることが出来なかったのだろう。維心達生まれながらの神は、少々言語が違ったところで相手の言っていることは、その表情と気を読むことでだいたいは理解することが出来る。そして、そのうちに簡単に単語を覚えて話すことも出来るようになる。維心の場合もヴァルラムの場合も、それを過ぎてもう、ほとんどの言語を普通に使い分けて理解していたが、蒼は違った。人として生まれ育ったので、まだやっと英語がやっとな状態であったのだ。

ヴァルラムが、そこへ降り立って答えた。

『おお、心配を掛けたの。我はこの通り無事よ。一度は黄泉の門をくぐりかけたがの。』と、側に十六夜が降り立ち、その腕から維月が降りたのを見てその手を取った。『維月が迎えに来てくれたのだ。』

維月は、ヴァルラムをじっと見上げている。十六夜が、苦笑して言った。

「お前が迎えに来てくれたんだって言ったんだよ。」それを聞いた維月は、ああ、と微笑んだ。十六夜は、ヴァルラムを見た。『維月に話したいなら、日本語か英語で話さないと通じないぞ。こいつ、他の言語を理解するつもりなんて全くないから、その術だって習わなかったんだ。』

ヴァルラムは、不思議そうに維月を見つめた。

「主、同じ月であるのに言語に弱いか。」

維月は、それを聞いて十六夜が自分の悪口を言ったのだと思い、頬を膨らませた。

「まあ!十六夜ったら…あの、はいヴァルラム様。子供の頃、父が教えてくれると言うておったのですけれど、私は外で遊んでばかりいたので…申し訳ありませぬ。」

ヴァルラムは、微笑んで首を振った。

「良い。直に覚えよう。我が教えてやろうぞ。」

「その必要はない。」維心が進み出て、維月の手をぐいと引くと、自分の腕の中へと抱き寄せた。「我が宮では、常に言語は日本語であるし。そもそも龍王妃が、そう度々表へ出て誰かと話すなどということはないゆえの。此度は非常時であるから。」そして、維月を見つめて言った。「おお維月…どれほどに案じておったことか。よう無事であったものよ。」

維月は、維心を見上げて気遣わしげにその頬に触れた。

「ご心配をお掛けして申し訳ありませぬ。でも維心様…これは返り血でありまするか?それとも、どこかお怪我をなさったのでは…。」

維心は、その案じている顔にフッと微笑むと抱きしめた。

「そのように案ずるでないぞ。これは、炎嘉がドラゴンを滅したと思わせるための装飾に必要だと申すから浴びた、イリダルの軍神の返り血よ。誰も我には触れることなど出来ぬ。」と、維月に頬を摺り寄せた。「さあ、宮へ戻ろうぞ。我も風呂にでも浸かってゆっくりしたい。宮の露天風呂を改装させて、まだ入っておらぬだろう?主が望んだゆえ、規模を大きくしたものを。のう、維月。」

維月は、頷きながら十六夜とヴァルラムを気遣わしげに振り返った。

「はい。ですが維心様、こちらも大変であるし、何かお手伝い出来ることがあるのではありませぬか?私でも役に立つことがありましたら…。」

維心は、険しい顔をして首を振った。

「良い。主はそのような責を負わずともの。我が臣下に命じるゆえ、案ずるでない。」と、ヴァルラムを見た。「主には、妃が世話になったの。おかげで月と分断されておったのにもかかわらず、健やかぞ。礼を申す。こちらが落ち着くまで、我も力を貸そうぞ。しかし、これは我が妃。これ以上はこちらへ置いておく訳には行かぬ。このまま連れ帰る。」

十六夜が、何かを言いたそうに口を開いたが、維心の眼光に黙り込んだ。維心は、十六夜がまたヴァルラムに維月をと言い出すのではないかと、危惧しているのだ。それが、十六夜には分かった。今は何を言っても維心は首を縦には振らないだろう。

ヴァルラムが、寂しげに維心と維月を見ていたが、頷いた。

「力添え、感謝する。こちらはイリダルも居らぬことであるし、我と臣下軍神で事足りよう。何かあればまた主の力を借りねばならぬやもしれぬが、そのようなことが無いように祈っておる。」と、アキムを見た。「では、我が重臣達を主の宮へ送る話はそのまま進めようほどに。協定を結ばねばならぬからの。また約定の折り、お目にかかろうぞ。」

アキムは、気遣わしげにヴァルラムを見ている。何も知らないはずではあるが、何かを感じ取ったようだった。しかし、ただ黙っていた。維心は、頷いて維月を腕に踵を返した。

「義心!慎怜!戻る!」

途端に、すぐに義心が、続いて慎怜がやって来て維心の前に膝を付いた。維心は維月を抱き上げると、さっと飛び上がる。それについて、慌てて蒼が、そして将維が飛び上がった。炎嘉が、それを見上げてため息を付いた。

「主も行くか?」

サイラスが、炎嘉に歩み寄って言った。炎嘉は、首を振った。

「いいや。我はもう、あやつの臣下ではない。我は南の王。あれの言うようにはせぬ。」

維心が、付いて来ない炎嘉に気付いて見下ろした。

「炎嘉?戻るぞ。」

炎嘉は、首を振った。

「此度は我は残る、維心。」維心が片眉を上げると、炎嘉は続けた。「忘れてはおらぬか。我は主の臣下ではないぞ。我は我なりにドラゴンと交流しようと思うての。我は龍だが、鳥の王ぞ。鳥は龍とは違う判断をするやもしれぬ。」

維心は、じっと炎嘉を見た。

「…何を言うておる。」

炎嘉は、ふふんと笑った。

「主は、少し考えよ。転生して、忘れておることがあるぞ。」

維心は、怪訝な顔をした。

「またわけの分からぬことを。」維心は、踵を返した。「良い。主は主の良いようにせよ。ではの。」

維心は、飛び去って行った。

その腕の維月が、不安そうな顔をしていたのを、十六夜は見ていた。その十六夜に、維心が小さくなって行くのを見ながら炎嘉は言った。

「どうした十六夜。主は行かぬのか。」

十六夜は、炎嘉を見て言った。

「オレは飛ぶなんて回りくどいことはしねぇよ。帰るなら、月へ戻ってからまた地上へ戻った方が早いからな。それより、お前何考えてるんだ。まさか維心とケンカしようってんじゃねぇだろうな。」

炎嘉は、眉を上げて十六夜を振り返った。

「ケンカ?我はいつなり維心と維月を間に争っておるわ。我が言いたいのは、そんなことではない。」と、十六夜をじっと見た。「のう、主はなぜにあれに簡単に維月を渡す。主の片割れであろうが。まして今生では主と共に育った月の妹だろう。単にあれが、前世維心の転生した魂であるからか?」

十六夜は、少しためらったような顔をした。

「それは…オレ達は前世からずっと一緒にと約束して転生したからな。黄泉でも助け合って仲良く三人でやってたんだ。今更だぞ、炎嘉。」

炎嘉は、ため息を付いた。

「しかしのう…神も人も、転生して違う生を生きると、変わって来るものよ。少なくとも前世の維心は、あのように全ての判断の中心に女が来るなどあり得なかった。維月が現れて、それでも世のことを考えておったものなのに。あの維心は、どうも違うような気がしてならぬ。世を正すにしても、維月と共に暮らす世を、平和に穏やかにと考えておるゆえであると本人が申しておったほど。先を考えると…案じられてならぬ。」

十六夜は、それを聞いて嫌な予感が過ぎった。こんな時は、必ず何かが起こる時。やっと一つのことが終わったと思ったのに、また何か起こるのか。今度は、内輪もめなんじゃないのか。確かに、維心はまだ若いせいか、維月に執着しすぎている時がある。自分は前世から変わらないが、維心は転生したての時も龍としての自分をどうにも出来なくて、一度記憶を封印したほどだったのだ。

十六夜は、炎嘉を見つめた。

「なあ炎嘉。お前、維心にそれ言ったか?」

炎嘉は、ふっと笑った。

「我も尋ねるが、それを維心が聞くと思うか?」十六夜が、険しい顔をしたので、炎嘉は真顔で答えた。「今の維心はまだ若い。なのに己でそれを自覚出来ておらぬ。まだ将維の方が成長しておるの。困ったものよ…1800年生きた記憶を持つ青年の龍ぞ。主、少し考えよ。主しか、維心から維月を取り上げることは出来ぬだろう。必要ならば、維月を月の宮へ篭めよ。それぐらいはせねば、我はこの世が心配ぞ。」

十六夜は、考え込むような顔をして、光に戻り始めた。

「戻る。」そして、光の玉になってから言った。《親父が戻って来るのを感じる。お前が感じるぐらいだから、親父ならとっくに知ってるだろう。一度相談してみるよ。全てはそれからだ。お前の懸念が、当たってなければいいがな。》

そして、十六夜は月へと打ち上がって行った。

炎嘉は、ヴァルラムとサイラスと共に、それを見上げていた。

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