逝くということ
ヴァルラムは、さっき見た光景を頭に描きながら、また黄泉の空間を歩いていた。自分には、ああして迎えに来てくれる者など居ない。父と母は、来るのだろうか。それとももう転生していて居ないのか。
ヴァルラムは、たまらなく維月が恋しくなった。もう二度と会えぬのだ。生きていれば触れられなくても、遠く気を感じることぐらいは出来たはず。月を通して、その存在を感じることも出来たはず…。
そう思うと、足が前に進みづらくなった。また、あの空間が遠のいた気がする。なぜだろう、自分のための空間が、側まで来ていたように思うのに、こうして生きていた場所を思い浮かべて振り返ると、また遠くなったと感じた。しかし、自分の行く場所はそこしかないはず。
ヴァルラムは、足を速めた。
すると、遠く向こうの方に、光が見えた。点のように見えるが、それが自分のための空間だとヴァルラムには分かった。
あれか…。
ヴァルラムは、その光を見つめて一歩一歩足を進めた。なぜだが、何かが自分を引っ張るような感覚がする。しかし、行かねばならない。
すると、上から声がした。
「…これほどに留められておるのに、さすがに主は意思が固いの。」
ヴァルラムは、びっくりして声のする方を見上げた。そこには、どこか維心に似ている神が浮いていた。ここでは、我も身が重くて浮き上がれぬのに。
ヴァルラムは不思議に思いながら、立ち止まった。
「留められるとは、どういうことか?」
相手は、答えた。
「主の命を取り替えそうと、必死に主の友が気を補充し続けておる。しかし、主が」と、先にもう四角く見えて来ている空間を見た。「あの門をくぐればそれも徒労に終わるがの。足が重いであろう?友の思いが主を引っ張っておるのよ。」
ヴァルラムは、サイラスを思った。おそらくサイラスが自分を見つけて、必死に助けようとしているのだろう。
「しかし、我はもう死んだ。戻るにも道が分からぬ。我は、どちらにせよあちらへ行くよりないのだろう。」
相手は、頷いた。
「その通りよ。このままでは、の。」と、下へ降り立った。「我は主と話しに参った。我の前世の息子の妃がどうしてもと頼むのでな。我はここの番人をしておる。名は、張維。」
ヴァルラムは、じっと張維を見つめた。見たことのある顔立ち…何よりこの一度見たら忘れない、美しい深い青い瞳の色は、龍王のそれと全く同じではないか。では、もしかして頼んだのは維月。息子の妃…これは、維心の、父か。
「主の息子とは、維心殿か。」
張維は、頷いた。
「そう。我の子であるのに大変に優秀で、地の王として君臨する龍王よ。しかしこれが頑固で困った性質での…」と、ヴァルラムを見た。「そうそう、主、どこかで見たことがあると思うたら、維心に似ておるのだ。」
張維は、わざとそう言った。ヴァルラムは、下を向いた。
「似ておるとて…我には妃は居らぬし、あのように一人に執心してそのために一族を簡単に殺すなど、出来ぬがの。」
張維はヴァルラムを見た。
「そういえば、主の種族はどうした。主とて、跡継ぎもないままにこうして命を捨てて参ったのではないのか。己の一族、主無しでどうやって生きて行けると申す?王の器になるような神は、確かおらなんだよの。」
ヴァルラムは、首を振った。
「主の息子が、妃のために殲滅した。我の結界は簡単に破られてしもうたわ。我は、守りきることが出来なんだ。」
張維は、ふーんととぼけた顔をした。
「おかしいの。ならば黄泉が大混雑して、我もこんなことをしておる暇などないはずなのに。確か、今ドラゴンの城は月の結界が守っておるはずであるぞ?何も居らぬのに、なぜにそんなことをする必要がある?」
ヴァルラムは、驚いて顔を上げた。月が、我が城を?
「どういうことだ…なぜにそのような。」
張維は、フッと笑うと手を翳した。
「本来、このようなことはせぬ。特別ぞ、見るが良い。」
張維の手の下には、丸い空間が現れた。そこには、上空から見たヴァルラムの城が映し出されていた。それは、確かに何かの結界で覆われていた…気を感じられないので、それが何の結界なのかは分からなかった。
城の中に場面が変わった。アキムが、何かに指示を出している。何やら宮を大清掃しているようだ。侍女侍従達も、皆忙しなく立ち働き、誰一人不安そうにしている者は居なかった。何より、皆生きて元気にそこに居た。
ヴァルラムの顔を見て、張維はまた画面を変えた。
次に現れたのは、イリダルの白い城だった。
そこを包む結界は、既になかった。軍神達が大勢膝を付いている前に、大量の剣が詰まれてあった。イリダルの軍神達は、誰一人として剣を腰に挿してはいない…つまりは、投降したのだろう。
その前には、維心が甲冑を血に染めたまま、炎嘉と共に立っている。そして、その前には、レムを先頭にドラゴンの軍神達が並んで、イリダルの軍神達の方を向いて整列していた。レム…無事か。維心殿は、ドラゴンを討ったのではなかったのか。
ヴァルラムが食い入るようにそれを見ていると、張維が翳していた手を下ろした。その丸い映像も、それと同時に消えた。ヴァルラムは、ハッとして張維を見た。
「…制圧したのか。イリダルを討ったのか。ドラゴンは、皆無事だったのだな。」
張維は、頷いた。
「我が息子は地の王と申したであろうが。いくら妃が大事でも、他の方法があるなら簡単に一族を滅したりせぬ。地に影響のあるほどの悪いものであれば、根こそぎ消してしまったであろうがの。」
ヴァルラムは、ただ頷いた。では、我はあれを置いて来てしまったのだ…皆、これからどうやって大陸を押さえて行くのだろう。サイラスが、表に出て来なければならなくなる。維心殿も助けてくれようが、どこまで押さえられるものか…。
ふと顔を上げると、遠い黄泉の門の光の中に、父と母が居るのが見えた。ヴァルラムがそちらを見たのを感じて、手を振っている。ヴァルラムは、その懐かしい姿に思わず重い足をものともせずに駆け出した。
「父上!母上…!」
遠い昔の記憶しかない。
父が出征して行った後ろ姿を、今でもはっきりと覚えていた。その姿は、今のヴァルラムによく似ていた。母は、相変わらず美しかった。その母が、涙を流してヴァルラムを見上げた。
『ああ会いたかった…。ごめんなさい、父上を亡くして、我は動転していたのです。あなたが居るのに、遺して来てしまった…。』
父が、それを庇うように言った。
『我が戦場でしくじったゆえのことぞ。しかしまさか、主が王になるとは思ってもいなかった。確かに、気が強く頼もしいとは思うておったが…。』
ヴァルラムは、頷いた。
「我は、父上を亡くしてどうしても地を戦のない世にしたかったのです。」
そう言ってから、ヴァルラムは気が付いた。そう、そして己を殺してたくさんの逆らう種族を根絶やしにして来た。そして、サイラスと共に地を抑え付けて誰も歯向かえぬようにして、戦のない世を作り上げてしたのに…。このままでは…。
そんなヴァルラムの心に気付かず、父は言った。
『主はようやった。皆が平安にしておる様は、羨ましい限りであった。我も母も、またあの領地へ転生したいものと、主を誇りに思うておったのだ。』
母が、手を差し出した。
『さあ、こちらへ。我らが案内しまするから。』
ヴァルラムは、その手をじっと見つめた。我は、死ぬわけには行かぬのに。だが、戻る道も分からぬ。どうしたらいいのだ。
ヴァルラムは、いつの間にか張維が側に浮いているのを感じた。
「どうするのだ。主次第よ。行きたければ逝くが良い。」
ヴァルラムは、張維を見上げた。
「しかし、逝く以外の選択肢はない。我は戻り道が分からぬと申したであろう。それとも、主が案内してくれるのか。」
張維は首を振った。
「それは番人の仕事ではない。我はここの番をするのみ。」と、何かを気取って暗い後ろの方角を見た。「おお、やっと来たか。間に合わぬかと思うた。」
ヴァルラムが驚いて張維が見る方向に目を向けると、遠くから段々に誰かが近付いて来るのが分かった。背の高い姿…あれは、維心殿にそっくりだが、違う。
「将維よ。」張維は言った。「我の孫。そして維月であるな。」
ヴァルラムは、その名に必死に目を凝らした。維月…維月が来たのか。我を迎えに…?
将維に手を引かれた維月が、ヴァルラムを目にして叫んだ。
「ああ、ヴァルラム様…!張維様、ありがとうございます。」
張維は、苦笑した。
「遅いの。我は別に話しておっただけであるが、こやつはほんに維心に似ておるわ。なので、やりやすかった。どうすれば生きる気になるのか、分かったからの。」
ヴァルラムは、驚いて張維を見た。そんな風に思っておったのか。
維月が言い訳がましく言った。
「あの、すぐに来たのです。将維が、呼ばずとも来てくれていたので。ですが、こことあちらの時間の流れが違うので、少しズレが…。」
張維は、手を振った。
「ああ、分かっておるわ。我の方がここには詳しいであろう?」と、将維を見た。「相変わらず、王座を退いても主はここへ来れるのであるな。頼もしいことよ、将維。」
将維は、頭を下げた。
「は、またお会い出来、光栄でありまする。」
張維は、将維を見て微笑んだ。
「主らしいわ。不機嫌である理由、我は知っておるぞ?」将維は、ためらいがちに張維を見た。張維は続けた。「何も知らぬと思うておるわけではあるまい?まあしかし、維月は月。競争率が高いのは仕方のないことよ。おとなしゅう己の順を待っておれ。これに自覚がないゆえ、これからも増えるやもしれぬしの。」
将維が眉を寄せたので、維月は慌てて首を振った。
「まあ、張維様!そのような…ありえませぬから。」
張維は、ため息を付いた。
「ヴァルラムを前によう言うたことよ。では、連れ帰るが良い。」
維月は頷いて、ヴァルラムに手を差し出した。
「さあ、ヴァルラム様。将維や維心様は、こちらの道を知っておりまするの。命を司っておりまするから。共に帰りましょう。」
ヴァルラムは、その手を見てから、門の中から心配そうに自分を見る両親を振り返った。
「父上、母上。いずれお目に掛かりまする。しかし今は、戻って世を治めねば。」
母は悲しげにしたが、父はうなずいた。
『おお、それでこそ我が息子よ。いま少し、頑張って参れ。』
ヴァルラムは、微笑んで軽く頭を下げると、維月の手を握った。維月は、その手をしっかりと握り返して憮然としている将維に言った。
「さあ将維、戻りましょう。」
将維は、張維に会釈した。
「では、お祖父様。失礼致します。」
張維は頷いた。
「ま、ほどほどにの。」
そして三人は、そこから消えて行ったのだった。




