帰還
次の日、明けて来る日を、維月は維心と二人で天幕の外で浮き上がって眺めた。地平線が見えて、そこから太陽が上がって来る…維月は、感嘆の声を上げた。
「まあ…!なんて美しいのでしょう。こんなに広い地があるなんて。」
維心は、微笑んで頷いた。
「この辺りは、我らと似た種族である、ドラゴンの種族が治めておる地に近い。」維心は、そう言って地の彼方を指差した。「地平線の向こう、数百キロもその種族の領地よ。この辺りは、ちょうど境界外になるの。あちらの城…我らで言う所の宮に滞在するように勧めてもろうたが、我は早く帰途に着きたかったゆえの。夕刻にあちらを出て、こちらまで来た所で天幕を張らせた。本日の夕刻には、月の宮へ行くつもりでおったのだ。」
維月は、微笑んで維心を見上げた。
「では、私もこのまま共に参ります。」維月は、維心に身を摺り寄せた。「せっかくにこうしてお会いしたのだもの、離れたくありませぬ。」
維心は、大事そうに維月の髪を撫でた。
「そうよの。我もそのような心地ぞ。では、共に参ろう。飛びながら、この辺りの事を話そうぞ。主が居れば見せたいと思うような景色もたくさんあった。蒼にも十六夜にも、戻ったら話さねばならぬことがたくさん出来た。整理して、次の神の会合には説明せねばならぬ。いつもの会合では間に合わぬゆえ、恐らく数日に渡って行わねばならぬの…我が宮で執り行うと思うが、良いか?」
維月は頷いた。
「はい。お出かけになってしまわれるより、宮に居られて他の神々で騒がしい方が私は良いですわ。いつも共であったので…こうして離れておると、落ち着きませぬの。」
維心は、フッと笑った。
「なんぞ、落ち着かぬだけか?」
維月は、膨れたように横を向いた。
「もう、分かっておられる癖に!そういう意地悪な所は、前世より変わられませぬわ。」
維心は笑いながら維月の背を抱き寄せた。
「またそのように拗ねて。わかっておるよ、本当に怒っておるのではないの?」
維月は、うらめしげに維心を見上げた。
「まあ、私の扱いに慣れてしまわれて。そうですわ、拗ねておるだけでありまする。維心様のおっしゃる通り、落ち着かぬだけではなく、寂しいのですわ!もうっ、月に戻って先に帰ってしまいまするから。」
維心は、声を立てて笑いながら、維月を離さなかった。
「素直になるが良いぞ、維月。久方ぶりに会うたのに、主が我から離れられると思うてか。そうであろうが…ん?」
維月は、真っ赤な顔をした。
「もう、維心様の意地悪!もうよろしいわ、月の宮でお待ちしておりまするから!」
維月は、姿を光に戻して行く。維心は慌てた。手が光りを突きぬけて空を切る。
「あ、こら維月!分かったゆえ!こちらに居れ!共に帰ると申したであろうが!」
ほとんど光に戻り掛けていた維月は、ふふと笑って人型に戻った。少し離れた位置に浮いている。
「維心様だって、私と離れたらお寂しいでしょう?ふふふ。」
維月は、方向を変えてすいっと天幕の方へと飛んで行く。維心はそれを追った。
「維月!ほんに主は…、」
維月は、きゃあきゃあ笑いながらこちらを振り返りつつ先に飛んで行く。
維心は、苦笑しながらそれを追った。
ふた月ぶりの王の龍の宮への帰還に、臣下達は全て到着口に集まって待ち受けていた。龍の宮の守りは健在で、それは月の宮の蒼と、十六夜が維心の張っている龍の結界を補助する形で維持していたからだった。いくら維心でも、遠く離れた宮をそれほどに長い間守っておくのには意識を集中せねばならず、未知の場所へ行くのに注意力がそがれるのは避けたかったからだ。
おかげで宮は、維心の留守の間も滞りなくそこにあった。維心が軍神達と共に到着すると、将維と共に立っていた維明が進み出て言った。
「父上、つつがなくお戻り頂きまして、安堵いたしておりまする。」
維心は頷いた。
「留守中、我の名代は問題なく務められたか、維明よ。」
維明は、頬を紅潮させた。こんなませた口調で話しているとはいえ、維明はまだ15歳、神の世ではほんの赤子の歳だった。姿も、維月の月の命を継いでいるので早めに育っているとはいえ、人で言うところの高校生ぐらいの大きさだった。それでも、神世にしてみれば異例の早さだった…維心ですら、この歳の頃は、まだ人の5歳ぐらいの姿であったぐらいだ。
そんな維明が、神世の王の王である龍王の、名代など簡単に務められるわけもなかった。維明は答えた。
「お祖父様に手助け頂き、やっとこなしましてございます。」
お祖父様とは、将維のことだ。将維は、転生する前の維心の子ではあっても、今はそれが逆転して維心が将維の父になる。つまりは、今生での維心の息子である維明にとって、将維は祖父になるのだ。
維心は、頷いて将維を見た。
「世話を掛けたの、将維。主、せっかくに月の宮で隠居生活をしておったのに。」
将維は、微笑んだ。
「いえ、我もこうして久しぶりに戻っておって、維明と過ごせて楽しゅうございました。維明は大変に利口であるので。」
こちらもこちらで、前世の記憶があるので維心を父と思って話している。つまりは、大変にややこしいことになっているのだが、臣下達はもう、それを理解して慣れていた。維心は、輿から維月の手を取って下ろした。
「維月も連れ帰ったのだ。」
維心は、維月の肩を大事そうに抱いて、将維と維明を見た。二人は同時にパッと嬉しそうな顔をしたが、将維の方は慌てて表情を引き締めた。維心はそれを見て内心苦笑した。ほんに息子達は皆、我にそっくりに生まれおってからに。
一方維月の方も、将維と維明を見て嬉しそうに微笑んだ。
「まあ久しぶりだこと、維明。将維も、せっかくにゆっくりしておったのに、このために戻ってくれてありがとう。」
将維が首を振った。
「なんでもないことよ。壮健そうで安堵した。」
維明が、維月に歩み寄ろうとしてためらった。もう子供ではないと言われているが、やはりまだ子供なのだ。なので維月の方から、維心から離れて維明に歩み寄ると、抱きしめた。身長は、今は維月と同じぐらいだ。
「維明…良い子ね。よく頑張ったこと。」
維明は、真っ赤になった。
「は、母上、臣下達が揃っておりまするのに…。」
嬉しいようだが、やはり、人前で子ども扱いは恥ずかしいようだ。維月は、すぐに離れた。
「そうね。ごめんなさい。」と、維心の方へ戻った。「維心様、居間へ参りとうございます。」
維心は、維月を引き寄せながら微笑んだ。
「そうよの。我も疲れた。」と、将維を見た。「将維、神世の定例会合の準備を急がせよ。此度のこと、我は話さねばならぬ。南の炎嘉も呼べ。三日の拘束になるゆえ、この宮で行い、準備は滞りなくの。」
将維は、頭を下げた。
「は、兆加に急ぎ準備させまする。」
維心は、頷いて歩き出した。
「さあ、会合までは寛ごうぞ、維月。我もやはり己の宮が一番良いわ。」
維月は笑った。
「まあ維心様、先ほどまでは、あちらで見て来た城が珍しい造りであったから、この宮もいくらか手を入れようとか申しておりましたのに。」
維心も笑って答えた。
「そうであったの。しかし、やはりこの宮が一番よ。」
二人は、仲良く並んで奥宮へと歩いて行った。将維は、その姿に前世を重ねていた。ここで皇子として暮らしていたあの頃、いつもこうして二人を見送っていた。今は月の宮で気楽に何の責務もなく生きているが、やはり懐かしい…。
本当は前龍王として今の維心にも意見出来る立場に居る将維だったが、こうして前世の皇子のように過ごすのも悪くはない、と思っていた。