襲来
レムは、昨夜より考え込んでいる様子の王を案じていた。
昨夜中庭から戻って巻物を見ている時も、いつものように集中している様子はなく、いつも何かに気を取られているような様子だった。
レム自身が驚いたのは、王が女と共に歩いていたことだった。それだけではない。王は、その女と話し、あまつさえ己の城へ連れ帰ろうとしているようだったからだ。
まさか、あの龍王妃に懸想なさっているなどということはあり得ないであろうが…。
レムは首をかしげた。今まで、王は女に関心を示されたことはなかった。というより、人や神に関心を示されたことはなかったからだ。何にも執着せず、どんなに長年仕えていようとも、逆らった途端に簡単に斬って捨てる。そんな王であったのに、今更妃を迎えようなど思われるだろうか。
しかし、目の前の王は、昨夜から休む様子もなく、巻物を一つ一つ手に取ってはみるものの、心ここにあらずでじっと物思いに沈んでいた。もう、空は白んで来ている…夜が明ける。
レムが気を揉んでいることに気付きもせず、ヴァルラムはじっと考え込んでいた。
維月は、龍王妃だった。維心は、自分と同じような激しい気質の王で、それがあのような穏やかな様子になったのは、あの妃を娶ってからだと遠く離れた自分のところにも知らされていた。妃などにほだされるとは、聞くほどにもない王よと思っていたが、昨夜維月を見て思った…何かが変わったように、自分はあの維月と共に居たくてならなかった。そんな思いがわきあがるような女を見つけたことが嬉しくて、どうにかしてつれて帰ることは出来ぬかと考えた。龍王妃であったなら、分かる。維心は維月ゆえに癒されて、そうして世を平定することに心の平安を保ったままで向かえるのだ。何と恵まれた王よ。
ヴァルラムは思った。そして、どうしても手にすることが出来ないことに思い悩んでいた。これから友好関係を築き、そして共に世の平和を目指して行こうと思って歩み寄っている矢先のことであるのに、維月を奪うことなど出来ぬ。しかし、我とて維月を手にして心の平安を得て、暮らしたいと願う…。
ヴァルラムは、ため息をついた。本末転倒ぞ。今、そんなことをしたら、今までサイラスと共に築いて来た世の平和はどうなるというのか。犠牲になった神達にどう申し訳を立てる。我の胸に、収めねばならぬ。我は、ここに龍王との友好のために来た。女に懸想している訳には行かぬ。
ヴァルラムは、巻物を一気に読むべく気を込めた。忘れてはならぬ。戦の影で、泣いた何万もの神達のためにも…。
夜が明ける。
維心は、目を覚ました。山の端から白く朝日が昇り始めているのが見える。隣りで維月が寝息を立てている。昨夜、維月を迎えに行って、同じ場所にヴァルラムの気もするような気がしたが、書庫からの帰り道であったのだろうと気に留めなかった。しかし、維月があれほど長く留守にしていたのだから、もしかして…。
長くと言って、ヴァルラムと話していたのは1時間ほどのことなのだが、維心にとっては長い時間であったのだ。
維月は、いつも日が高くなり始めなければ起きないので、維心はそれを待って、横から維月を抱きしめて、じっとしていた。起きたら、どう切り出して話を聞こう。維心は、そんなことを考えていた。
すると、結界に何かが掛かった。この早朝…維心は、俄かに警戒した。その気が、感じたことのない神のものだったからだ。
すぐに、居間の方から慎怜の声が小さくした。
「王。」
維心は、そっと起き上がって答えた。
「起きておる。」
慎怜の声は続けた。
「結界北より、11人の神が結界を通せと。未だ見たことのない神達でございます。」
維心は、維月を起こさぬようにそっと寝台を降りて着物を羽織った。
「参る。」
維心は、慎怜と共に居間を抜け、他軍神達と合流して北の結界外へと向かった。
「王、あちらはどう出るかと思われますか?」
その金髪に赤い瞳の神は、ふふんと笑った。
「どう出るって?別に我は友に文句を言いに来ただけぞ。我に一言もなく出掛けおってからに。」
一見端整で華やかな顔立ちのその王は、次の瞬間暗い笑いを浮かべた。
「さあ、参ったぞ。何と大きな気よ…冷や汗が出ると我が友も言うておったが、ほんにそうよなあ。」
目の前には、黒髪に深い青い瞳の、それは強大な気をまとう男が軍神達に付き従われて浮いていた。そして、こちらを見て言った。
「我が結界を破ろうとはの。出来ぬことをするでないわ。」
金髪の神は、ふんと鼻を鳴らした。
「入れよと言うておるだけで、別に破ろうとは思っておらぬ。主が、維心殿か。」
維心は頷いた。
「我が龍族の王、維心。主は?」
相手は答えた。
「我はヴァンパイアの王、サイラス。ああ、別に主に用はないのよ。我はただ、我が友に一言あって来ただけぞ。来ておるだろうが。」
維心は、頷いた。
「ヴァルラム殿か。主の話は聞いておる。」維心は、踵を返した。「来るが良い。次からは先触れぐらいは寄越せ。面識も無い宮を訪ねるには、それが礼儀ぞ。しかし主は我が友にそっくりであるから、ま、今回は不問に付す。」
サイラスは眉を寄せた。
「友?何のことか。」
小さく独り言のようにつぶやいたので、維心は答えない。サイラスはどうでもいいかと自分の軍神10人と共に、維心とその軍神について維心の結界内へと入って行ったのだった。
維心が、サイラスと共に宮の到着口に降り立つと、そこに着の身着のままの炎嘉が立っていた。恐らく、気配を気取って戻って来るのを待っていたのだろう。維心は、そんな炎嘉に向かって顔をしかめた。
「あのな炎嘉。主は過保護が過ぎる。我が呼ぶまで待っておれば良いではないか。」
炎嘉は明らかに寝巻きの上に着物を引っ掛けただけの状態で、ふんと鼻を鳴らした。
「主は昔から放って置くと何をするか分からぬからの。」と、サイラスを鋭い視線で見た。「で、何者ぞ?」
維心は、呆れたような顔をしたが、仕方なくサイラスの方を見た。
「ヴァンパイアの王、サイラス殿ぞ。」と、サイラスと視線を合わせてから炎嘉の方を見た。「ここより南の領地の王、炎嘉。我の友人であるから、この宮に滞在しておるのだ。」
サイラスは赤い目を細めてじっと炎嘉を見た。
「…ふーん。まさか、我に似ておるとか申したのはこの王か。」
炎嘉が、それを聞いて維心を見た。抗議するような視線だ。
「何を言うか維心。我はここまで適当な雰囲気ではないわ。見よ、己の目的以外はどうでも良いような我がままの染み出るこの態度。」
サイラスは、ムッとしたように炎嘉を見た。
「適当とは何ぞ?我とてきちんと考えて行動しておるわ。我がままと申せ、我が友ほどではない。あれはどうしておる。我に何の報告もなくサッサとこんな遠方まで少人数で出掛けおってからに。」
維心は、ため息をついた。雰囲気も言うことも、炎嘉にいちいち似ている。炎嘉がサイラスを嫌うとしたら、恐らく同族嫌悪以外の何者でもないだろう。維心が側に控えている慎怜に部屋まで案内させようかと思って口を開きかけると、低い声がした。
「…他所の宮へ来てまで、何を騒いでおるのよ、サイラス。」維心は、その声に振り返った。ヴァルラムが、そこに立っていた。「世話を掛けるの、維心殿。こやつはいつもこうぞ。だが悪気はないのだ。」
サイラスが、足を踏み出した。
「ヴァルラム!主、我に何も言わず危険なことをしおってからに…」と言いかけて、じっとヴァルラムを見た。「…どうしたのだ。何ぞあったのか。いつもより…、」
ヴァルラムは強くひとつ、首を振った。
「大事ない。ただ、こちらの世のこれまでの過程を書で読んで知っただけよ。」と、維心を見た。「早急にまた話をせねばの、維心殿。我も聞きたいことが出来た。すまぬが、サイラスも共に主の話を聞きたいと思うが、ここへ滞在させても良いか。」
維心は、頷いた。
「良い。部屋を準備させる。」と、隅で邪魔にならないように控えていた兆加に頷きかけた。兆加は頭を下げて、側の侍従に頷き掛ける。それを見てから、維心はまたヴァルラムを見た。「では、サイラス殿のことは主に任せようほどに。準備が出来次第部屋へ案内させよう。それまでは、応接間を使ってもらっても構わぬが?」
ヴァルラムは、しばし考えてから、首を振った。
「これにもこちらのことを知らせねばならぬ。巻物を読ませておくゆえ、我の部屋へ一度戻る。」
維心は踵を返した。
「では、後ほどの。」と、炎嘉をせっついた。「ほら炎嘉。そのような格好でこの宮をふらふらするでないわ。宮が乱れる。着替えて参れ。」
炎嘉は不機嫌に維心を睨んだが、それでも従って維心に並んだ。
「我はあれを好かぬ。どこかで見たような気がしての。」
維心は苦笑した。
「であろうの。まあ良い。とにかく、全ては後ほどぞ。」
維心は、放って来てしまっている維月のことも気になって、急いで自分の部屋へと戻って行った。
もう、日は高く昇り始めていた。




