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Drive  作者: 夏 小奈津
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第八章 石岡 | 10月

8-1. 赤提灯


浅草のウィンズの裏側に立ち並ぶ、言葉を選んで言うなら「レトロ」な飲み屋街に、石岡は来たことが無かった。また、こんな所を森川が選ぶのもなんだか似つかわしくなく不思議な気がした。それなのに彼がスタイリッシュな、と表現されるような薄い桃色のシャツと少しビンテージの加工を施したようなデニムのパンツでビールケースの積み重ねられた簡易テーブルとパイプ椅子に座ってビールを飲んでいる姿はやはりここにぴったりと嵌っている。


持ち上げたジョッキを口元に置いたまま動かせずに、森川が今なんて言ったのかもう一度聞き直す必要がある。


「今、何て?」


「君を好きになった、って言った。君に恋している、という意味で。」


聞き違いじゃなかった。ビールジョッキを白いベニヤの天板に置いて石岡は何て返事をしたらいいのか、とそんなことも考えられずにいる。


(一体何を考えているんだ、この人は。)


「あの・・・そうだな・・・そう、俺は」


男だし、といいかけてやめる。そんな分かりきった事、知ってて言っているのだ、森川は。躊躇いもなく。男も、女も、彼の魅力に落ちないわけがない、と彼自身が知っているように。


「穴瀬のことが好きなんでしょ?」


「・・・えっ?」


「知ってるよ。」


森川はジョッキをグイっと傾ける。そして石岡を見つめる。


「知ってるよ。石岡、穴瀬のことが好きなんでしょ?そんで、俺が穴瀬と付き合ってた事も知ってる。」


そうだよね?という目をして森川が小鉢から枝豆をひとつ取った。プツリ、プツリと豆をひとつづつ形のいい唇に放った。



新しい仕事のヒントになるから、と連れ出された休日、下町の博物館のような施設を大小幾つも回って、浅草の今始まったばかりの夜に森川といた。夢のように過ぎた夏休みの三泊四日が本当に夢だったのかもしれないと思うほど、戻ってきた現実は案外手厳しかった。お盆休みではなく、世間が普通に動いていた4日間を取ったのだから、まるで取り残されたように時間の過ぎ方が早いのは当たり前といえば当たり前だった。ここ2週間、週末はぐったりするばかりだったので久々に息抜きができたような気がしたこの休日は、半分仕事だったとは思えない程充実していた。そんな一日のあれもこれも森川が石岡を想ったからこその楽しいひとときだったのだと改めて思う。


石岡はビールジョッキを持ち上げて、そしてまた下げた。言葉を捜しているのに見つからない。それもそのはずだ。何を考えているのか自分でも分からなかった。


「石岡?」


森川が石岡を呼んだ。その声はとても切なげに赤提灯の下で滲んだ。




8-2. 無意識なオトナ


「穴瀬は、俺の事なんか好きじゃないよ、石岡。」


森川は言う。


「最初は、」


森川は石岡から目を離さない。彼の真剣さが真っ直ぐに伝わってくる。


「お前の事、からかってやろうって思った。それから、少しは穴瀬も妬いてくれたりするのかなって思ったり。」


そして、森川は残ったビールを飲み干してジョッキを掲げ茶色く髪を染めた店の女性に「ビール、お替り!」とにっこり微笑んだ。もう無意識にそんなことをやってみせる程大人の癖に、なんでそんなばかげた事を始めたんだろう、と石岡は思う。


「でも、今から思うと、からかってやろうかなって思ったときから本当は、お前のことちょっと好きになってたんかもしれない。」


空っぽのジョッキをコトンと置いて、話を続ける森川は小さな子どものような表情かおをしていた。


「よく分からない、自分でも。穴瀬のことも、もう慣れ合いになっていて、こんなに長く肌を重ねて、少しは情が湧いたりするんだろうって自分の気持ちを確めるような穴瀬の気持ちを確めるような、そんな気持ちでいたのかもしれないって思う。」


茶色い髪の女性がビールジョッキを持って森川の前に置き、空のジョッキを下げて行った。森川はその女性の後姿を少し追ってそれから石岡に目を移した。石岡は、ぐいっと自分のジョッキを仰いだ。汗をかいたジョッキの底から水滴がポタリポタリと白い天板の上に落ちた。


「なあ、石岡、お前がさ、車の運転の話したでしょ?」


「車の運転とエッチの話?」


「うん。あんとき、気付いた。あぁ、俺の好きな人ってもう、穴瀬じゃないんだなあって。車の運転している時、後ろの座席で寝ている穴瀬のことより、お前の事考えてたって気付いて・・・」


森川は、石岡のTシャツの柄を見つめているようだった。それからふと目を上げて、石岡の目線と出合うと、少し笑った。


「だけど、石岡は穴瀬のこと、好きなんだよな。」


森川の笑顔は自嘲的に見える。


「あのね、本当は教えたくないけどさ、俺もオトナだから、少しはかっこいい所も見せないと、な。お前がフラれたとき、俺にチャンスもないなんてヤだからな・・・。石岡、穴瀬さ、脈あると思うよ。化石みたいになっちゃって、凍てついちゃってるからね、あいつのなんつーか、そういうのに使うエネルギー源みたいなとこ。だから多分本人もまだ気付いてないんだと思うけど。」


森川は枝豆に手をのばしてプツリプツリプツリと豆を口にしたあと、枝豆のガラを手にしたままボンヤリとしている。石岡は初めて森川も一人の人間なんだな、と当たり前のことを思った。


「ある時までは、本当に穴瀬のこと、好きだったと思う。バカみたいに独占したいくせに穴瀬に面倒くさがられるのが怖くてがっついてない振りして会いたいのに我慢したりして、そんなことしているうちに、どっちが本当の気持ちか分からなくなってた。」


森川は枝豆のガラを器に置いて、ビールジョッキを持ち上げた。目線で「乾杯」を言うとごくごくとビールを飲んで、ゴトリとジョッキを置いた。大きく息をついた肩ががくんと落ちた。


「なぁ、今日はあいつ、営業所にいると思うよ。今から行けば間に合うと思う。お前は俺みたいな失敗をするなよな。」



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