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Drive  作者: 夏 小奈津
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第五章 石岡 | 9月 夏休み二日目


5-1. ざわめく気持ち


一日中海で遊んだ夕方、海の落日はやけに赤い。誰も何も言わない。三人が三様に思いをめぐらせながら、今まで自分たちが居た海の底へと沈んでいく太陽を眺めていた。熱かった砂はもう熱くない。体温のようなぬくもりだった。太陽が沈みきったのか、それともまだうっすらと一皮の太陽の光が残っているくらいで、森川が立ち上がった。


「いこ。」


穴瀬と石岡がそれに続く。石岡は沈みきったと分かるまでその太陽を見つめていたいのに、ほんの少し惜しい気持ちを拭いきれず、何度も、何度も、地平線を振り返りながら、二人の背を追って行った。


紫色に染まったペンションが見え初めて、やっと、石岡は駆け足で二人に追いつき、ふと今夜の部屋割りが気になった。


「ねえ、グーパーしましょうよ、今夜の部屋割り。」


追いついて隣に並ぶ石岡を振り返りながら森川が


「はー?やだよ、荷物移動すんの面倒くさいじゃん。」


と面倒くさそうに答えた。


「不公平でしょ?」


とくにそう思ったわけでもないけれど、言い出した手前、グーパーまで持っていかないといけないような気がして石岡は食い下がってみた。


「なにー?お前、一人がいいの?」


森川が言う。


「そうじゃないけど・・・」


(そうじゃ、ないけど)


「ふーん」


森川は少し首をかしげて石岡を見つめた。


「俺と穴瀬になっても、ガッカリしないでよね」


「へ?」


そして握り拳を出して言う。


「グーパー?グーチー?チーパー?」


「俺は何でも」


穴瀬がやっと口を開いた。


「じゃ、グーパーでいいか?あ、待って。俺は移動なしでもいい?二人が移動してよ。年上だから労わって。」


「分かりました。じゃ、俺が出るか、俺と穴瀬さんが交代するか、ですね?」


「いいよ、分かった」


穴瀬が石岡と森川を交互に見ながら答えた。

森川が拳を振り上げる。


「せーのっっ」


そして、三つの手がペンションの玄関前でその夜の部屋割りを決める。


「移動ナシね・・・」


森川が玄関を開けて入っていった。


「ナシだね」


穴瀬が応えて森川に続き、ドアを押さえた。石岡は、ホッとしたような、ざわめくような気持ちで、自分の握りこぶしを見つめていた。



5-2. 問わない疑問


結局泥のように疲れてみんな寝てしまうのだから、部屋割りなんて特にどうという事も無い。ペンションの白いタオルで頭をこすりながら、石岡は、シャワーを待ちながら寝てしまった森川を見ていた。


『俺と穴瀬になってもがっかりしないでよね』


あの時、森川がそう言ったのはどういう意味だったのだろう?そもそも、何であの時自分はグーパーしようなんて言い出したんだろう。


少なくとも一人になりたかった訳ではなかったけれど、森川と穴瀬が同じ部屋ではない事が少し不自然な気がした。もしもあの時、森川と穴瀬が同じ部屋にになっていたら、自分は隣の部屋で今頃何を考えていたのだろうか。そしてもし、穴瀬と石岡が同じ部屋になっていたら・・・?



水上スキーに乗った穴瀬が風を全身に受けながら目を細めていた顔を思い浮かべた。それから、浮きボートの上で彼がどれほど恍惚と波に身を預けていたか、燦々と降り注いでいる太陽と海の狭間に見た、彼の真剣な横顔と石岡と目があったときに微笑む彼のこらえたような笑顔が幾度も石岡の脳裏に去来した。


森川は、知っているのだろうか。

石岡が穴瀬を目で追ってしまうことを。そして、石岡以上にその目線の意味を?


ただ美しいものを追ってしまう人間の性なのではないのだろうか。それとも、それ以上のものを求めて、石岡は穴瀬を見ているのだろうか。


胸が鳴る。トトン、トトン、トトン、トトン、とそれは規則的に石岡の胸を内側から打って、石岡は頭を拭いていた手が止まっている事にようやく気付いた。タオルを膝において、自分の胸を押さえた。石岡の心臓の音が、部屋に響いているように思われる。耳を澄ますと、森川の小さな寝息と遠く波の音が聞こえた。ザンッと音を立てて石岡はベッドに横になって、森川を起こすほどの音ではなかったか、少しの間森川を気遣ったが、その様子を伺いながら、いつしか、石岡はゆっくりと眠りについたらしかった。




5-3. 夜更かしの続き


ほんの少し頭を出した太陽は、ナポリタンを作る時のハムを思い出させる。切った後に、もう半分にしようかどうしようか悩む、ハムの端っこ。石岡はあのハムのような太陽をできるだけ近くで見てみたくて、パジャマにしていた白いTシャツとスエットの半ズボンに前の日に砂浜に持っていったパイル生地のパーカーを持ってそうっと部屋を出て行った。パーカーからさらさらと昨日の砂が落ちた。


覚えた通りに、ペンションの前の道をだらだらと下りて大きな車の通りを左の方へ曲がる。朝早い街道には、人も、車もない。木々が夜の闇をまだ抱いている中をだらだらと海辺の方へ下っていくと、不意に景色は開ける。ハムのような太陽の端っこが、先ほど部屋で見たときよりも明らかにすこし大きくなっていた。青紫の雲が朝日を押し出すようにして地平線の上の太陽の周りに棚引いている。


静かな砂浜に下りると、ビーチサンダルを履いた足元は少し慣れるまで不安な気持ちを隠さずにぎゅうと鳴った。もう一歩、もう一歩、と海に近づいていくと、所在無い不安はもうどこかに行ってしまうのだ。石岡は太陽の大きさを確かめながら砂浜を踏みしめて歩いていった。


オレンジ色に染まっている石岡の歩く砂浜の行く手に青い人影が見えて、石岡の足が止まった。穴瀬だ。両腕を後ろについて砂浜に座っている。近づいて話しかけてもいいだろうか。それとも、このまま引き返そうか。青い人影が少しずつ朝に洗われてその姿を顕にして行く。


穴瀬が両手を叩きながら石岡の方を向いた。石岡は意を決して穴瀬へ近づいて行く。


「おはよ」


「おはようございます。早いですね」


「夜更かしの続きだよ、俺はね。」


穴瀬は石岡を見て笑った。いつも立ち上げている前髪が額に掛かって、一重の目が朝日を眩しそうに受けているその表情は、まるで別人のようにいつもよりもずっと穏やかに見えた。


「眠れなかったんですか?」


穴瀬の横に座る。座ってもいいのかな、と思った気持ちをできるだけ見せないで「当然」という顔をしてみせる。


「うん、なんだか。考え事してた。」


石岡は穴瀬の顔を見れない。太陽の大きさをもう一度測りながら言葉を捜していた。言葉が見つからない。何を考えていたのか、と聞いてもいいのだろうか・・・。やっと石岡が穴瀬を見たとき、穴瀬はまたほんの少し石岡を見て、昇ってくる太陽に目を戻した。


「仕事のこととか、森川さんのこととか・・・」


石岡の胸が大きくひとつ鳴った。穴瀬に聞こえはしなかったろうか。


「森川さんの、こと・・・?」


「森川さんが独立したのは、今の俺と同じ年だったんだよ、30歳。」


穴瀬は右手で左腕についた砂を払いながら言った。石岡は何も言わずに穴瀬の腕を見ていた。


「サラリーマンなんかつまらない、って言って。」


石岡は太陽の大きさを確認する。もう、半分以上の太陽が顔をだしていた。


「森川さんは、なんでつまんないなんて思ったんだろうって考えてた。俺は、つまらなくない。サラリーマンでいい、って思ってる。でも・・・」


「でも?」


朝日を受ける穴瀬はとても綺麗だった。石岡は、体育座りをした自分の膝に頬を乗せて穴瀬を見つめた。今は、太陽の大きさよりも、穴瀬の姿だけを目に焼き付けていたいと思った。


「でも、これでいいのかなあってちょっと思ったりして。」


穴瀬は石岡が好きなあの出し惜しみをするような笑顔をもう少し皮肉っぽくゆがめて笑った。


「なんだろね・・・。俺は、面倒なことが心底嫌いで、面倒に巻き込まれないように、ってそれしか考えてないし、何かやりたいって思う事があるわけでもない。面倒に巻き込まれても手にしたいものがないから、こうやって生きているんだろうな。つまらないのかもしれないけど、これで満足なんだよ。」


波が、寄せて、そして引く。


「満足、してるんですか?」


「ん?」


「だって、満足してるなら、これでいいのかなって思ったりしないんじゃないかなって。心のどこかが満足してないから、なんか違うって思うんじゃないのかな・・・。」


(もっと・・・)


石岡の呟きにも似た言葉を拾うように聞いている穴瀬が、いつになく優しい顔をしているのを見て、石岡はどうしようもなくこの人に惹かれていることに気付いた。ずっと、この人を見ていたいと思うのは、ただ美しいものを愛でたいという気持ちなんかではなくて、この人の内側で燻っているものも、のたうち回っているものも、すべて包含した穴瀬という人一人を、慈しんで、そして、めちゃくちゃにしたいと思う気持ちだった。つまり、彼に触れて、撫でて、自分の腕に抱いて、そして、彼が悲鳴を上げるまで、と。


「面倒に巻き込まれても、そこから逃げ出したくないって思える程欲しい物が、いつか穴瀬さんの前に現れたら・・・」


(もっと・・・)


もっと何を欲しているのだろう。もっと穴瀬を知りたいと思うから、もっと色んな事を話してほしいと思う。もっと満たされていて欲しいと思うから、何が欲しいのか教えて欲しいと思う。何が欲しいのか、それが分からないというのなら・・・。


穴瀬は朝日の中で神々しいくらいに美しかった。その目は遠く遠く、朝日を、もしかしたら朝日の向こうを見つめていて、穴瀬の満たされない何かを捜し求めているのかもしれなかった。石岡は、自分がこの人を満たす何かを与えることができたらいいのに、と思う。心からそう思う。殆ど祈りに近い気持ちでそう思っていた。




5-4. 悔し泣き


「どこ、行ってたの?」


森川が寝返りを打って、石岡と目が合った。

寝ていると思っていたのに、石岡はその唐突な問いにほんの少し戸惑ってしまう。


「あ、森川さん、起きてたんですね。おはようございます。海、行ってました。朝日が昇るところを見て来ました。」


「そっかー。なんだよ、起こしてくれたらいいのに。」


「だって、森川さん、よく寝てましたよ。」


森川がぐうっと背伸びをしてベッドの上に半身を起こした。朝日を背に受けた彼の裸体がシルエットのように浮かんだ。森川は男から見ても確かにかっこいいと思う。


(穴瀬さんは、この人に、この腕に、抱かれているのだろうか)


その問いはもう何度も石岡の頭をぎって来たものだったけれど、その朝、その問いはこれまでとはまったく違う意味をもって石岡を縛り付ける。森川のたくましい腕や肩や胸は急に生々しさを帯びて、彼の胸を締め付けた。


「いしおか?」


森川が彼を呼ぶ。石岡はいつものように素直に返事をすることができずにただ森川を見据えた。


「おまえ・・・」


森川がベッドの端に座りなおして石岡を見つめ返した。


「どうした?なんか、あった?」


森川は怖い。何もかも分かっていて、こんなふうに優しく石岡に接してくる。石岡がいま何を考えていたのかも、きっと分かっているくせに。


ちがう、そうではないと分かっていた。石岡の穴瀬に対する気持ちに森川が気付いていたにせよ、たったいま石岡が思っていることまで魔法のように分かっている訳はなかった。ただ、石岡は、自分がどうにかしたいと思っている相手がこの男に抱かれているのかと考えて胸が辛くなっているのに、その人に気遣われている自分はなんて情けない奴なんだろうと思うから切なかった。


敵うわけがない。


悔し涙だった。どうしようもなく、堪えることができずに、涙は石岡の頬を零れて落ちていく。ポタリ、ポタリ、と石岡のビーチサンダルの足に二粒あたって、石岡はぎゅうっと握り締めた拳で、溢れる涙を拭った。





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