表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Drive  作者: 夏 小奈津
4/14

第四章 穴瀬|飽和


4-1.退屈


この夏誕生日が来て三十歳になった。新卒で高級車ディーラーのANASEに就職して7年だ。両親も数少ない友人達も穴瀬をよく知っている人は皆事務職や公務員が向いているのではないかと言った。でも、毎日同じ人と何時間も時間を共にしなければいけない煩わしさを思うととてもそんな気持ちになれなかった。ある程度自由が利く外回りの仕事がしたい、とその時の穴瀬は考えたのだった。思えば大学の就職課でANASEの求人票を見た時改めて同じ名前だなあと思ったあの一瞬、彼のその後が決まったのだった。


森川に出逢ったのは穴瀬が大学3年生の夏休みで、就職活動を始めた友人達と飯を食いに行こうと言ったとき、何か縁の廻り合わせでそこに森川がいたのだった。その頃森川は一流会社の開発部で企画の仕事をしていた。着慣れない就職活動のスーツを着た友人達の中で、腕まくりをしたワイシャツ姿の森川はとても凛々しく魅力的だった。サークル活動や就職活動で日に焼けた友人達、いつもビルの中で仕事をしている森川。どちらかと言えば、友人達の方が野性的に見えたはずなのに、森川は安いパスタ屋のテーブルの角席にいて、大人になってしまえばいくらも変わらない年齢差を圧倒的に見せることに成功していた。そしてその後、森川とは友人を交えて何度がご飯を食べたりして、そのうちに二人きりで会うようになった。



サラリーマンはつまらない、と森川は言った。それは、森川が26歳とか、27歳とかの頃だったと思う。穴瀬は就職したばかりだった。不慣れな仕事に振り回されていた穴瀬は気だるいベッドの上で、そんなものだろうか、とだけ思ったのを覚えている。森川は大体、愚痴っぽいことは言わない。その時もただの感想とか事実を言ったまでという様子だったはずだ。でも、多分、あの頃に森川はもうすでに独立する事を考えていたはずだった。


森川の30歳の誕生日に新宿のホテルの最高階にあるレストランに行った。そして高いシャンパンを開けて「起業祝いだ」と言った。あの時の清々した笑顔を今もはっきりと覚えている。あの夜、あのホテルのスイートに泊まって、何もなかった。二人きりで逢うようになって、そういう関係が出来てから初めて、そしてたった一度、何もなかった夜だった。


サラリーマンはつまらない、だろうか?ノルマを課せられた毎日。淡々と黙々とできることをやる。ノルマを超えられる月もあるし、届かない月もある。集中できる日があってぼーっとする日がある。テンプレートを弄って何枚も作る見積書。上司に相談しながら操作する売上伝票。ぶっきらぼうに頼むDMのリスト。無愛想に飲むお茶。つまらなそうに振舞う歓迎会、壮行会。逢瀬の為に定時に仕事を終える月に一度の夕方。


やりたいことなんか何もない。面倒に巻き込まれないように、それしか考えてない。この7年間、つまらないなんて思いもしなかった。サラリーマンがつまらないなんて、どうして森川は思ったんだろう。


繰り返す毎日がつまらないというのなら、あるいは、報われない事がつまらないというのなら、どうして森川は、穴瀬を抱き続けるのだろう?


(こんなに、つまらない男・・・)


隣の部屋でシャワーを使っているのは、森川だろうか、石岡だろうか。

遠く、潮騒が聞こえる。




4-2.空似


水を使った後の気だるさはどこか「こと」を終えた後のベッドの上の気だるさに似ているといつも思う。


ウェイクボードを巧みに乗りこなす森川が何度も失敗しては向かっていく石岡を笑いながら見ている。そして、自分を笑っている森川に、石岡はおそらくあのふくれっ面で抗議しているのだが、波の音とボートのモーターの音に消されて何を言っているのか森川に届いているはずも無い。ただ、その二人の姿はとても微笑ましく映った。穴瀬にはできない人間関係の結び方だと分かっている。


冷えた体をビーチチェアに横たえて、そんな二人をぼんやりと眺めていた。



学生時代の森川の事は知らないし、サラリーマン時代の森川の仕事振りも実際に目にした訳ではないけれど、そして、石岡が働いている所をじっくり見ている訳でもないが、森川の若い頃は、もしかしたら石岡のような感じだったろうか、と思う。


まだ半分学生時代の奔放さを残してはいるが、どんなにくだらない仕事にも前向きに取り組む姿。荒々しく見えることがあるほど熱っぽい。失敗も成功も自分なりに正面から受け取り、悔しがって涙を浮かべたり、喜びに拳を震わせたりする。


似ているようでいて違うと思うのは、石岡の感情の瞭然さは確かに彼の本心から少しの躊躇いもなく表現されているようだけれど、森川の感情は巧みに操作されているようなところがある。たとえば「これが好きだ、これが気に入った、とても嬉しい」という気持ちが、石岡の場合には彼の心の底から迸っているのだけれど(おそらくそうなのだけど)、森川が同じように迸るような喜びを表現したとしても、それすら、それは多分計算されつくした真っ直ぐさなのではないか、と穴瀬は思う。でも、いつか、石岡もそうなるのだろうか?


女達のなかに戯れて、まだ少年のような彼の前髪が熱い汗に濡れて、あの時、お盆の縁をぎゅうっと握り締めたあの手が長い髪をまさぐったり白い背を抱いたりして、そうやって時を重ね、いつかあの男も、自分の気持ちを巧みに表現するという武器を使うようになるのだろうか?


右へ左へ振られながらバランスをとってウェイクボードを乗りこなす森川。何度放り出されても何度でもウェイクボードに向かっていく石岡はボードに乗っている時間が少しずつ長くなっているようだ。


こうして見ていると二人は少しも似ていない。背が高くがっちりとして、何でも器用にこなす森川と華奢といって良いくらい細い石岡は背もあまり高くない。波が来れば何度でも海に落ちる。それでも、石岡のあの喰らい付き方が森川も若い頃はああだったろうか、と思わせる。自分にはない、彼らだけが持つ何か。


(いつからか、どこからか、何かが違ってきている。)


諦めたのだろうか、あれほど飽きもせずに向かっていったウェイクボードをやめて、石岡が海から上がって来る。迷いもせず、彼は、真っ直ぐに穴瀬のいるビーチパラソルへ向かってくるのだった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ