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Drive  作者: 夏 小奈津
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第十三章 穴瀬 | 引越

13-1. 準備


コンピューター関連、精密機械、そういった分野で最近めっきり先進国と言えるようになったインドに、日本車を持ち込もうというANASEの新しいプロジェクト。そんな大それたプロジェクトに自分が関わることになると誰が想像できただろう。ただ言われたことをやっているだけの自分は一体何ができるというのだろう。ただ、そこへ行けというなら行く。そこでやれ、と言われた事をやるだけだ。それでまた、会社がお前はここに要らんと言うのなら日本に戻ってくるだけのことだ。


押入れの奥から箱をいくつも取り出しながら、面倒くさいな、とも飽きもせずにまたそう思う。



かすかに声が聞こえる。怒鳴りたてるような母親の声が聞こえた。穴瀬は大きめのボリュームで掛けていたCDを止めて耳をすませる。階下で母親が大きな声で呼んでいる。


「いーしーおーかーさんがー、いーらーしーてーるーわよーぅ」



石岡・・・・?石岡が・・・?なんで?



穴瀬はドア付近に積み上げた雑誌に躓きながら部屋のドアを開けた。真っ直ぐにあがってくる階段を見下ろすと、玄関に石岡が突っ立っているのが見えた。穴瀬の母親と一緒にこちらを見上げている。


きわめてゆっくりとした足取りで階段を下りた。石岡は少し困ったような顔をして小さく会釈をする。


「ほら、とにかくあがってくださいよ、ね。」


穴瀬の母親がスリッパをもう一度石岡の前に出したが、石岡は穴瀬の顔をうかがうように見上げた。穴瀬が「何しにきたの?」と聞きそうになったとき、石岡が早口で言う。


「あ、の・・・。会社に電話したらお休みだって聞いて、きっと、引越しの準備してるんだと思って。もちろん携帯にも掛けたんだけど、出なかったから・・・」


少し言い淀む。


「手伝いに来た。だけど、迷惑だったら帰るよ。ごめんね。」


声が少し小さくなって石岡は俯いた。こういう石岡を久しぶりに見る。


「迷惑なことがあるもんですか。ほら、あがって。」


見かねた母親がもう一度石岡にスリッパをすすめて、穴瀬を睨みつけるように見上げた。


「助かるよ・・・、ありがと・・・。上なんだけど・・・」


石岡はやっと俯いたまま家に上がった。スリッパが床を滑る。



先ほど崩した雑誌の山を積み上げながら穴瀬は携帯電話に気付かなかった事を詫びた。


「大きな音で掛けてたから気付かなかったんだね。最近掛かって来てなかったから、マメにチェックもしてなかったし。ごめん。」


「・・・・。」


「何か話があったんだろ?だから、会社に電話したんでしょ?何?別れ、話?」


「穴瀬さん・・・」


雑誌を積み上げて紐を掛けている手元を見つめていた石岡が責めるような目をして穴瀬を見た。それなのに、穴瀬を呼んだその声はとても切なかった。


「・・・違う。そんなに簡単な事なの?穴瀬さんにとって、俺たちの事ってそんなに簡単な事?」


石岡は膝をつく。穴瀬よりも背の低い華奢な彼がそうやって膝をついて穴瀬を覗き込むとまるで穴瀬を崇めているように見えた。そして多分それは強ち見当違いな訳でもない。あるいは、あるときまでは?


石岡は穴瀬を見つめて言う。


「そうだね、穴瀬さんにとっては、そうなのかもしれないよね。でも・・・穴瀬さんにはそうなのかもしれないけど、俺にとってはそんな簡単な事じゃないよ。分かってるでしょう?」


石岡は膝の上に置いた拳をぎゅっと握り締めた。


「話したかったよ。俺たちのこと、ちゃんと話したかった。あのままなんて・・・できない。穴瀬さんにとって、そんなに簡単な事なら、それでもいいから、そのこと俺に話して?簡単だって、俺と別れるって、言ってよ」


穴瀬には分からなかった。どうしたいのか、なんて考えたこともない。どうなるんだろう、と考えたことはあった気がするのだけど。


「そんなこと、思ってない・・・思ってない、よ」


やっと言えた一言が穴瀬の喉の奥から絞られるように出てきた。それが今の彼に言える最高の愛の言葉だった。




13-2. 廃棄


長い沈黙が続いた。穴瀬が小学校の高学年になった頃与えられたその部屋で、穴瀬は思春期を迎えて、大学生になって、大人になった。その部屋に積み上げられた本もCDもダンボールに押し込まれた服も穴瀬を作り上げた分身で、そういったものが散乱したその部屋に穴瀬は今石岡といる。真剣だから迷う二人の未来が、二人の口を重くして、空気を重くして、その部屋に沈殿して行った。


階段を上がってくる足音に穴瀬は急いで片づけを再開した。石岡は穴瀬の手元を見つめていた。


野点盆に乗せた菓子とお茶をベッドの上に置いて穴瀬の母親がまた階段を下りていくと、穴瀬はまた手を止めたが、今度は石岡が立ち上がって壁際に置かれたダンボールを持ち上げた。


「棄てるんでしょ?ステって書いてある。」


「うん。」


「外に出してくるね。」


石岡はダンボールを二つ抱えて階段を下りていった。ダンボール、ゴミ袋、棄てるもの、棄てないもの、一つ一つを丁寧に穴瀬に確認する。事務的に。「これはいる?」「これは棄てるの?」「これはどうする?」


俺の事は?


今に、そう言い出すのではないか。穴瀬はそんなことを思いながら石岡が突き出す物を確認する。それはいる、持って行く、置いていく、棄てる、・・・・。


石岡のことは?


持っていけない。置いていく?待たせる?待っててくれる?それとも・・・棄て、る?


石岡のことは・・・


持っていけない訳じゃない。じゃあ、連れて行く?一緒に来いって・・・?そこまで・・・。



「俺の事・・・」


「えっ?」


穴瀬は古いビデオの箱を片付けながらその一本を手にしたままビデオテープの背のシールを見てぼんやりしていた。


「俺の事、考えてくれてるの?」


「あ、ああぁ、うん。」


「本当?」


「うん。」


「・・・ぼんやりしてたから、考え事してるんだなって思った。俺の事だったらいいのに、って思ったの。」


「うん。そうだよ、お前のことを考えてた。」




13-3. 選択


お前のことを考えてた。そうだよ。

けしてそらしたりしない、石岡の目が穴瀬を見つめている。その目は、悲しそうでもあるし、嬉しそうでもある。穴瀬の心の中を見よう、見ようとして見ることができない哀しさを湛えた目。そして、彼を見つめ続けることに喜びを感じている目。



「穴瀬さん?あのね、もう、いいよ。」


「何が?」


「もう、十分。それだけで、十分。」


「だから、何が・・・?」


「・・・俺、今日、来て良かった。穴瀬さんが、俺の事、ちゃんと考えてくれてるんだなって分かっただけで。面倒くさいって言ってたのに、穴瀬さん、俺と付き合ってくれたんだもんね。本当は、それだけでもスゴイんだから。」


石岡は真っ直ぐ過ぎる目で穴瀬を見つめる。


「俺が、考えるよ。面倒な事を持ち込んだのは、俺だもんね。俺が、けりをつけるよ。だから、穴瀬さんは何も考えなくていい。これ以上、俺のことで悩んだりしなくていいよ」


石岡は笑っている。つらそうに。でも、確かにその口元は微笑んでいた。


石岡は、穴瀬から目をそらすと、少しの間静かに佇んでいた。穴瀬の言葉を待っていたのかもしれない。でも、穴瀬は何をどういったらいいのか、分からない。そして彼の表情もけして饒舌ではない。


部屋も大分片付いたからそろそろ帰るね、というようなことを言って部屋を出て行った。最後に、また電話するよ、言った。その声はいつもデートの最後に彼が言う口調だった。階段をきしませながら石岡が下りていく。大きな声で穴瀬の母親に挨拶をする声が聞こえた。台所から玄関に走る足音。母のヨソイキの声。古い玄関の扉が開いて、閉まる。


これでいいのか?


ビデオテープの文字を見つめて穴瀬は自分に問う。中学生だったろうか、この文字は。


これで、いいのか?


二人の事を、彼だけに押し付けて、その答えを自分の答えにして、それでいいの?本当に?


穴瀬はビデオを段ボール箱に投げるように置いて部屋を出た。ドアの下に石岡が履いてきたスリッパがあったのを踏みつけて、階段を大きな音を立てて降りていくと母親が台所から大きな声を出した。


「ちょっと!!もう少し静かに降りなさいよ!!??いつも言ってるでしょ???」



いつもじゃないよ。最近は静かだった。かあさんがいつもそうやって怒鳴っていたのは、俺が小学校の頃だよ。


アルミ製を急いで開けると門柱に当たった門扉が大きな音を立てた。門を飛び出して、坂の下へ転がるように走って行く。大きな通りの手前で、紺色のピーコートに手を突っ込んで少し背を丸めるようにして歩いている石岡を見つけた。


「石岡!!!いしおか!!!」


振り向いた石岡が一瞬驚いた顔をして、そしてとても嬉しそうに笑顔を見せた。少し眉毛を寄せたその笑顔はいつになく大人っぽい。


「いしおか・・・」


息せき切って穴瀬は呼吸を整えながら伝えなければいけない事を頭の中で繋げる。


「穴瀬さん・・・。」


「二人の事だから・・・」


「・・・うん。」


「二人で考えよ・・・う?」


「・・・・うん?」


「俺も、考える・・・から。」


「・・・穴瀬さん?」


「ちゃんと、考えるから。・・・な?」


「・・・うん。ありがとう。」


「簡単なんかじゃ、ないよ?面倒くさいよ。」


「うん。そうだよね。本当に。」


「だけど、面倒くさくても、お前とって、思ったから、だから、こうなったから、」


「うん。うん。」


「面倒くさいけど、考えるよ。この先どうしたらいいのか、ちゃんと」


「う・・・・」


石岡が、泣いている。男泣き、とかじゃない。大人の男が泣いている姿を穴瀬は生まれて初めてみたような気がする。


「泣くなよ・・・」


「うん。」


「なぁ?」


「うん。」



石岡はいつまでも拳の表と裏で目元を擦っている。しゃくりあげている男をどうしていいのか分からず、穴瀬は苦笑いをして頭を撫でた。


「な?」

「・・うん・・・うん・・・」




13-4.駆動


これは、棄てる。

これは・・・・置いておく。

これは・・・棄てる。

これは、もって行く。

これは、置いておく。

これは・・・・・


好きだった漫画。好きだった小説。何度も読み返す本。好きだったアーティストのCD。よく聴くCD。返し忘れたDVD・・・。

人から貰ったハンカチ、靴下、ネクタイで見につけなかった類。使わなくなった腕時計。いつの間にか着なくなったシャツ。膝が薄くなり始めたパンツ。古臭くなったジャケット。


いつから恋愛が面倒くさくなった?多分最初から。自分を所有したがる彼らになんの期待も与えないように、なんなら嫌な印象を与えるくらいにしないと、いつでもだれでも勘違いをして、どんなに面倒くさかった事か。ちやほやされて気持ちいいなんて思ったこと一度もない。


気持ちのよい距離を保ち続けた森川との恋が終わらせて、確かにこの面倒に飛び込む決意をした。自分とは違う、熱意のある男たちを好きになったのは、彼らの中に確かにあるエンジンと同じように自分の中にも自分を突き動かすエンジンがきっとあるのだと、知りたかったから。彼らがいつか自分のエンジンを掛けてくれるような気がしたからのかもしれない。


森川の優しいアクセルはいつも穴瀬を快感の渦へと連れて行った。いつも同じルートを通って、同じスピードで、その泉へ連れて行く彼の優しいドライブ。不安がない、心地よいドライブ。


そして、そのエンジンよりも自分は、もっと荒いエンジンを選んだ。不安定なエンジンは、いつか発火するのではないかと思うほど激しく、山道というよりも崖のような道を荒々しく真っ直ぐに頂上を目指す。頂点から見下ろす景色を、石岡はどんな風に見ていたのだろう。いつも、いつも、次の山を、次の山を目指して、彼の身体を抱いた男。左右に振られる体が痛い程のドライブ。


そう、自分で決めた事。面倒くさいから逃げた日も、森川と食事する事にした日も、森川と寝ることになった日も、会い続けた年月も。そして、石岡が穴瀬を待っていたあのテーブルで、面倒をはじめる一言を発したのは自分の方だったのだ。


待っていて、と言えるほど自分の気持ちに自信はない。

一緒に行こう、と言えるほど自分の気持ちに自信がない。

でもいつか、もう一度やってみよう、と言えるなら、インドから帰ってきたその足で彼に会いに行く事もできるだろうか。彼を泣かせるのかもしれなくても、正直に、まっすぐにぶつかってみたらいい。彼がいつも穴瀬にそうしてくれたように。




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