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Drive  作者: 夏 小奈津
11/14

第十一章 穴瀬 |進行

11-1. 平穏

穴瀬は自分でも意外だったが、ドライブのデートというのは生まれて初めてだった。誰かとデートするようになったばかりの頃は自分も相手も車の免許はもっていなかったし、大学時代は車より電車が多かった。その後に続いた恋愛はとても長かったけれど、二人でどこかに出かけたりするより艶っぽい食事をするばかりで、年に一度位ちょっとした旅に出かけた先で車に乗ることもあったけれどドライブではなかった。


ファーストフードのドライブインで朝限定のハンバーガーと飲み物を買った。石岡のハッチバックの車にハンバーガーとポテトの匂いが充満している。穴瀬は時折ポテトをつまんで、石岡の方に差し出したりポテトを数本手に石岡の口に放りこんでやったりした。


たった二人きりの空間にいるのに、石岡が穴瀬を見つめていないというのは新鮮だ。石岡はいつも穴瀬の前に立ちはだかるように彼を見つめて彼を抱きしめて放さない。息が詰まるほどの彼の愛情を穴瀬はいつも息苦しくなって背くように石岡の胸を押してしまう。目をそらしていれば石岡はそれを追うように穴瀬の顔を覗き込んだ。そして照れる事無く言う。穴瀬の心も身体も欲しいと。


緑色の看板を追って追い越して石岡は時折鼻歌を交えながら機嫌よく車を走らせた。中空を走るような高速道路の右に左に、ビルも看板も学校もお堀も逃げるように後ろに去って行く。先ほど石岡が追い越したカップルの空色のハッチバックが石岡達の車を追い越して行った。宅急便の車を追いかけるようにカーブを切って白いセダンに追いつく。毛足の長い犬が外の景色を飽きもせず眺めている。子ども達が後部座席からピースサインを送っている。穴瀬がピースを返そうかどうしようか迷っているうちに、石岡はセダンを追い越して行った。石岡が車線を器用に変更しながらサービスエリアへとピットインした。



男子トイレの前に設けられた喫煙スペースを避けるようにしてデッキの白いプラスチックの椅子に座った。こんな所にまであるシアトル系のコーヒーショップのテイクアウトのカップを二つテーブルの上に置いて穴瀬は石岡を待った。トイレを出て渋滞情報のパネルの前に行った石岡はまだ戻らない。まるでトミカのように車が綺麗に並んでいるのを穴瀬は少し眠い目で見ていた。カップルや家族連れやら老夫婦が車の左右のドアを開けて出てくると二つの川が合流するように寄り添って穴瀬が座っているデッキの方へ小さな波が押し寄せてくるようにやってくる。そして、デッキの際まで来ると波が弾けるようにして、トイレに向かう人が居たり売店に向かう人が居たりして、またプツプツとあわ立つように人が寄せたり返したりするのだった。自分と石岡が車を降りてきたときにも、ここに座っていた誰かが、二人が寄り添って波寄せるのを見ていたのだろうか。その人の目には自分たちはどんな風に映っていたのだろう。


プラスチックの椅子を引いて、石岡が穴瀬の横に座った。


「ありがとう」


石岡はおざなりではないお礼を言って紙カップを手にした。少しの間二人はそこに座って紙カップのコーヒーを飲んだ。石岡はいつになく穏やかに穴瀬の横にいて寄せては引き波立つ駐車スペースを眺めていた。



11-2. 咀嚼


山下公園からノンビリと散歩してあるいた中華街の日が暮れて、軒先の電球が店内の食材や雑貨を浮かせるように照らしている。中華街独特の色使いで赤や黄色や緑のネオンが灯り、ざわついた大きな通りも寂しげな小さな路地も異世界の様相を呈していた。


石岡が大きな口をあけて一口に口に入れようとした小籠包の汁を滴らせている。入りきらない一口をもう一度口に押し込むと、唇の端から油っぽい汁が一筋流れたのをナプキンで丁寧にふき取った。あの油に濡れた唇と同じ唇が自分の首筋に喰らい付くのかと思う穴瀬は背筋をゾクリと何か走ったのを感じた。同じようなことを森川と食事を共にする時にも感じた。自分を愛撫する唇が食べ物を咀嚼するときの色気。森川も石岡もエネルギッシュな食べ方をする。でも、どちらかといえば森川の方が少し上品だし、石岡は少し荒い。でも、その荒っぽさがどこか知れないところを刺激する。


規則的に咀嚼していた口がペースダウンしたかと思うと、ざくりと音を立てて止まり、石岡はまたナプキンで口元を拭った。そしてもう一度咀嚼して飲み込むと、穴瀬を覗き込むように見る。


「どうしたの?」


穴瀬はビールのグラスに手を置いたまま石岡に見とれていた自分に気付いた。


「君を見てただけだよ。おいしそうに食べるなって思って」


「美味しいよ。もちろん、もっと美味しいものを知っているけど。」


そうやって石岡は悪戯っぽく笑った。同じ事を言ったらもっと色っぽく聞こえる人物をよく知っているけれど、石岡が言ってもどこか子どもっぽさがある。オトナぶりやがって、と思う穴瀬は石岡よりもそんなに年上だろうか。ひとつ、ふたつ、と歳を数えてビールを飲んだ。


石岡は酢豚のパイナップルだけを除けて食べて、今度はそのパイナップルを口に運んでいた。


「面白い食べ方をするんだね」


「うん?酢豚?うん。肉とパイナップルを一緒に食べるのは嫌だけど、パイナップルはパイナップルで食べれば嫌じゃないから。」


「ソースがついてても?」


「うん。これは、これでいい。」


穴瀬は自分の酢豚の皿からパイナップルだけをつまんで食べた。甘いパイナップルの汁が口の中に広がった。肉料理に果物を合わせる大胆さは日本料理にはないよな、と黄桃を巻いた生ハムを食べながら言った森川を思い出す。何かというと森川を思い出すのは、穴瀬という記憶の容れ物にまだ石岡が満ちていないからだ。森川と重ねた逢瀬の分を石岡が超えるまであと何回肌を重ねるのだろう。こうして少しずつ塗り替えられている穴瀬の記憶の層は目に見えないけれどそれでも確かに石岡を映している。パイナップルをもう一口食べながら穴瀬は確かにそう思った。


中華街の目抜き通りの二階の窓から見えるのは、雑居ビルのような窓や、赤い枠の料理屋の窓、そして眼下に人の頭が蠢いている。薄暗いような電球の下で豪華すぎる店内の飾りが古めかしい。小分けにした料理を次々に片付けながら、石岡が幸せそうに微笑んだ。穴瀬はどこか現実ではないような不思議な空間にいる二人のことをいつまでも忘れられないような気がした。





11-3. 転機


プリンターから出てくる見積書を待ちながらふと昨晩の石岡を思い出す。夜になってますます混みあっている中華街で、中華街を出るまでのほんの少しの間だけだったが、石岡は躊躇いもなく穴瀬の手を引いて歩いた。『はぐれないように』と、穴瀬の手を取ったとき、彼の目がそう言ったのを思い出して穴瀬は不思議な気持ちがする。手を繋いで歩いたその事よりも、手を取られた瞬間の事を思うと胸が掴まれるようになるのは何故なのだろう。


中華街を出る頃、人ごみが途切れて石岡はそっと手を離した。さり気なく携帯電話を弄って時間を確認するために手を離した、という離し方だった。駐車場へ向かいながら、彼の手は何度も穴瀬の手に触れそうになるのに、石岡はもう穴瀬の手を握ったりはしなかった。


「穴瀬さん」


事務の女性の声に我に返る。


「あ、はい?」


「出てますよ、プリンター。私のも出てると思うんだけど。」


「あ、ごめ・・・」


穴瀬はプリントを確認して自分の分だけを取り、残りを彼女に手渡した。プリントした見積書を歩きながら確認する。チェック箇所を何度も確認してクリップをしながらまた石岡のことを思い出す。


夜の高速道路をノンビリと走らせて石岡は真っ直ぐに穴瀬を家まで送り届けた。家の前で助手席側の窓を開けて手を振った石岡の笑顔はどこかいつもと違っていたような気がする。なにか吹っ切れたような、さっぱりとした笑顔だった。


プルルルルルルル・・・


内線が鳴った。見積書のクリップを弄くりながら用件を聞いて切る。穴瀬は見積書を部長の席に置きしな、所長室へ向かった。



****


所長室のドアを静かに閉めると、廊下に敷かれたカーペットのシミをひとつ見つけた。所長室にコーヒーを運んだ誰かが零したシミなのだろうか。今まで何度だってこの部屋に入ったのに、新しそうではないそのシミを見たのは初めてだった。


自席に戻ると踊っていたウィンドーズのロゴは気をつけをするようにモニターのどこかに隠れてしまい、先ほど作業をしていた見積書の画面が何事も無かったかのように現れる。モニターの下に置いた携帯電話をチロリと見て、どうしようかな、と思うがその時、外線が穴瀬を呼んでいると事務の女性が独特の声色で向こうの席から告げた。


商談の約束を一件取り付けて電話を切ると、穴瀬は先ほど部長のデスクに置いた見積もり書をOUTという箱から取り上げて、クリアファイルに入れると自分のアタッシュに突っ込んだ。ホワイトボードに直帰、と書いて営業所を出る。


携帯電話をコートのポケットの中で転がしながら、何て言ったらいいだろうかと何度も考えた。





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