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Drive  作者: 夏 小奈津
10/14

第十章 石岡 | 11月


10-1. 辛い幸せ


どうしたらいいのだろう。優しくしたい、傷つけたくない、それなのに石岡は想いを伝えようとするといつも心が急いて手荒くなる自分を止められない。分かっている。自分は彼を強く抱きしめすぎる。穴瀬が苦しいと言うまで離す事が出来ない。本当は苦しいと言われても離したくなくて、力を緩めたかいなにとどめておきたいのに穴瀬はそれすらも許してくれない。


そして、自分の腕から逃げようとする彼を見るたびに、切なくて焦って不安になって、逃がしたくないと思う気持ちが余計に強く穴瀬を縛りつけようともがく。悪循環だ。


穴瀬はどんなふうに抱かれたいのか、それを考えて抱けばいい。ただそれだけのことがどうして出来ないのだろう。


(森川さんみたいに、オトナだったらよかった・・・?)


どうしたら出来るだろう。いつか穴瀬に嫌われてしまう前に、そう思うのにできないことを。



「よく出来てる。仕事にまで影響が無くて助かるよ・・・」


頼まれていた資料を渡し、森川が確認しているのをぼんやりと眺めていた石岡はふと我に返った。森川が唇の片端だけをあげるような苦笑いをしてパスンと資料の束を叩いた。


「考えてもうまく行かない事もあるよ。穴瀬のことでしょ?浮かない顔して」


何もかもお見通しで返す言葉がない。


「いつでも聞くよ?」


そう、優しく言う。


「あなたにだけは話しません。」


「つれないねぇ」


石岡は意地になってしまう。森川が優しい顔を見せれば見せるほど。いつまでもこの人に追いつけないのだと思い知らされてしまうのが嫌だった。


「浮かないカオ、してますか?」


「してるよ。」


「俺、幸せそうじゃない?」


「さあね。辛くても幸せな事もあるだろ、きっと。」


「そうかな?」


「あるさ。今の俺がそうだよ。」


「・・・森川さんが?」


「ん。ま、俺のことはいいさ。」


森川はパソコンに向かって仕事を始める。石岡が森川に背を向けてドアノブに手を掛けたとき、森川が言った。


「ドライブでも行ってみたら?」


森川はパソコンを向いたままだ。


「向き合ってばかりいないでさ。」


森川の横顔が窓からの光を逆光に受けている。ほんの少し石岡を向いて微笑んだ後、仕事に集中し始めた森川はもう石岡を振り向かなかった。




10-2. 安らかな幸せ


(できるだけ車に乗っている時間が多くて、そして目的地も楽しめる場所。男同士で行っても変に目だったりしない所・・・。)


会社から駅までちょっと回り道になるけれど本屋に立ち寄り、旅・レジャーの棚の前に立った。大学生らしいカップルが旅行の計画なのかデートの計画なのかあれこれ言いながら地図や雑誌を手に取っては見せ合っているのを少し羨ましく思いながら、石岡は東京近郊の地図や雑誌に目を走らせていた。大学生のカップルの女の子が「・・・鎌倉・・・・」と言った声が聞こえた。鎌倉ね、いいかな、と石岡も思う。鎌倉・葉山という背表紙の冊子を手にとり、カフェや雑貨屋が載ったページを繰る。


一冊分開いた棚の本の背表紙に「横浜」という文字を見つけて、石岡はそっちを手に取る。


(横浜、か・・・。)


その時、本棚の向こう側に立ち止まってガラスを叩いたのは森川だった。


***


「ドライブにするの?」


「・・・・。何であんなトコにいたんですか?」


「何でって俺だって本読むんだよ、ほら。」


丸いテーブルの上に本屋のロゴの入った袋から本を数冊出して置いた。文庫本の小説とデザイン雑誌だった。森川は文庫本を一冊手に取りぱらぱらと中を見た。はらりと栞が落ちる。石岡の足元に落ちた栞を石岡は木の床から取り上げて森川に渡した。


「ありがとう。」


森川は栞を挟んで本を袋にしまった。袋を自分が座っている席の背において、森川は祈るように手を組んでテーブルに肘をついた。夜が始まった窓の外を、帰りを急ぐサラリーマンとOLが駅の方向へ向かい、ノンビリした足取りはビル街の方向へ向かう人たちだった。


「ダージリンティーでございます。」


黒いベストと黒いバリスタエプロンをかけたウェイターが低い声で言って、白いティーカップを森川の前に置いた。森川は肘を除けてカップを置く場所を空けた。


「ブラジルでございます。」


そう言って今度は緑色のコーヒーカップを石岡の前に置いた。丁寧に砂糖壷とミルクを置いてウェイターが下がって行った。カウンターの中で少し年嵩の男性がコーヒー豆を挽いている。


「横浜にしようと思って」


言わなくてもいい事を言って石岡は緑色のコーヒーカップを手に取った。


「そっか。いいんじゃない?ドライブとしてもいいと思うし、中華街とか、楽しめるよね。」


森川は少し石岡を見て、また窓の外を向いた。白いティーカップから湯気が立っている。石岡は森川の目線の先を追うように窓の外を見る。特に変わった景色でもない。ただ、人が、男も女も早足で、あるいはゆっくりと窓の外を行き過ぎて行く。白いタクシーが一台、人ごみを牛歩で高層ビル街の方へ進んでいく。


石岡はもう一口コーヒーを啜って、カップをソーサーに置いた。森川がぼんやりと石岡を見つめる。


「疲れたなあ」


と森川が言った。石岡はつい吹きだした。本当に疲れた顔をしている森川が可愛らしく思えた。


「なんだよ、失礼だなあ。」


森川はまだボンヤリとした顔をして言う。それから長い指先をもてあますようにして白いティーカップの取っ手をつまんだ。熱かったのか、カップに口をつけた時少し眉根が寄った。


「森川さんて、猫舌ですよね」


「あぁ・・うん、そうだね。・・・何?いまさら・・・。」


「いや、そういや猫舌なんだなあって思って・・・。」


「ん?」


「うん。」


石岡は思う。こんな風に少しずつ誰かを知っていくことも十分に自分を満たしてくれる事を。こんな風に安らかな気持ちで、温かな気持ちで、誰かを知っていくのも悪くない、と。それなのに、どうして同じ自分が、同じように愛する人を穏やかに見守ることができないのだろう。穴瀬が少しずつ自分に向けてくれるものを受け取ることが出来たら、いつも優しく温かく彼を抱きしめることができるのだろうに。どうして自分は穴瀬から何もかもを奪い取ろうとするような愛し方しかできないのだろうか。


石岡がそんなことを考え始めたことを見透かしたように森川は石岡を見つめる。石岡と目が合うと少し笑ってティーカップにふーっと息を吹きかけた。石岡も緑色のコーヒーカップを取って一口啜った。コーヒーが香る。


「お前って・・・」


森川が白いティーカップをソーサーに戻しながら言った。


「はい」


「コーヒーを飲むとき、色っぽいなあ。」


「・・・・!?はぁ?」


熱いコーヒーが喉に引っかかったような気がする。


「なんだろうな。ワイングラスでもないし、水のグラスでも牛乳のグラスでもないんだよな。コーヒーだよな。なんでなんだろ・・・。」


(こっちが聞きたい)


「横浜行ったら、紹興酒じゃなくてコーヒーだよ、石岡。」


緑色のカップに半分残ったコーヒーが、喫茶店の柔らかい灯りを映して揺れている。これからやってくる夜とその空に浮かぶ月のようだった。




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