第52話 王の祈り
翌日、昼頃に彩華は田津を従えてやってきた。佐久也も今まで同様彩華の傍で同行している。しかし、身なりを整え、聡明な少年と変貌し、彩華の傍に控える姿は凛としていて大人びていた。
「彩華殿、よくぞいらしてくださいました」
雅成は紫織と聖護を伴って表門まで彩華を出迎えた。彩華は自ら手綱を握っていた馬から勇ましく軽々と飛び降りて雅成に近づいた。雅成はすぐさま軽く跪くと、彩華の手を取り、その甲に軽く唇を押しあてた。彩華はその勇ましいいでたちに似つかわしくないほど、優雅な仕草で雅成の歓迎を受け入れた。
「雅成殿、ありがとう。あの書簡、まさしく私と同じ考え。うれしく思います。1日も早く和平の協定を結ばねばと急いで飛ばしてまいりました」
彩華は雅成を見上げて上気した顔をにっこりと和らげて、頭を下げた。
「あなたなら、わかってくれると思いました。私も同じ気持ちです。さ、中へどうぞ」
雅成はそう言って、彩華を屋敷の中へと促した。一行が落ち着いたころを見計らって、全員が謁見の間に会した。彩華は部屋にあらわれるとすぐに聖護と紫織に近づいて行った。
「あなたが、紫の神子…」
「はじめまして。彩華女王」
紫織が軽く頭を下げた。
「彩華でいいわ。本当に紫の瞳…。伝説どおり…。そう…あなたが、聖護の…」
そういって、ふっとさみしそうな表情を見せた。
「彩華殿?」
背後から雅成が声をかけた。
「えっ?あ、いえ、なんでもありません。それより、和平の話を進めましょう。そのあとでこれからのことを話し合いましょう」
やや慌てて振り返るとにっこり笑った。
「いかにも。しかし、その前に神子たちを送り出さねばならない」
「え?」
彩華が思わぬ雅成の言葉に一瞬聖護に視線をやった。
「俺たちは今から深山にはいる。あの山のどこかに神剣があるらしい。紫水の地を救うには魔物にとらわれている水神を助けなければならない。その神剣があれば、水神を解放できるらしい」
「深山?あの山はだめよ!あの山に入って出られたものはいないわ!危険よ!」
彩華は立ち上がって感情をむき出しにして聖護に向かって投げつけた。
「紫水の地を守るにはそれしかないんだ。大丈夫だ」
聖護は漆黒の瞳をまっすぐに彩華に向けた。彩華も視線をじっと合わせる。しばらくして、何かをあきらめたようにふっと視線をそらすとゆっくり腰かけた。
「止めても無駄…ね。わかったわ。でも、聖護、絶対に帰ってきてね」
聖護は彩華から視線をそらさずに真顔で頷いた。そして彩華も頷くと紫織に向きなおった。
「紫の神子…どうか、紫水の地を民を救ってください。よろしくお願いします」
「彩華女王、頭をあげてください。私たちは神の意志でここに来たのです。大丈夫です。必ず紫水の地に平和が訪れます」
その言葉に彩華が頭をあげると、そこにはどこまでも透明に澄んだ紫の双眸がやさしげに見守っていた。彩華は一瞬、その瞳のあまりの美しさに心を奪われた。
「彩華殿?いかがなされた?」
彩華の様子が気になって、雅成が声をかけた。
「えっ?あ、はい…。あ、ごめんなさい。それで、いつ出発なさるのですか?」
「間もなくです。準備がありますから、私たちはこれで」
そう言って紫織が立ち上がると、聖護も紫織を守るように立ち上がって一緒に部屋を出て行った。彩華は二人をじっと何か言いたげな顔で見送った。その様子を見ていた雅成が彩華に声をかけた。
「彩華殿…、もしや、聖護のことを…」
「えっ?いえ、なんでもないのです。さあ、和平の話を…」
「隠さなくてもいい。私も神子に惹かれているのだ。しかし、かなわん事だがな…」
「雅成殿?」
雅成がふっと遠い眼をして笑った。
「お互いに思いが届かぬな…。確かにあの二人は運命で結ばれている…」
「雅成殿…」
彩華は隣に立った、雅成の顔をしばらく見ていたが、大きく息を吐くとあきらめたように頷いた。
間もなく、出かける準備を整えた紫織と聖護は加陀の屋敷の門の前にいた。深山に入るという二人に彩華は白龍丸をつれていくようにと取り計らった。白龍丸は彩華以外の人にはあまり懐かないのだが、聖護は別のようだった。もとから主人だったかのように自然に受け入れている。聖護の方も、馴れた動きで白龍丸を自由自在に扱っているようだった。危険が多いであろう深山に自ら出向こうとする二人に、彩華は白龍丸を同行させて少しでも動きやすくとの思いから自ら申し入れたのだ。白龍丸は頭のいい馬である。何かの時にも役に立つことも多かろうと、彩華はなんとか無事に帰ってきてほしいと願った。
白龍丸に乗った聖護は勇ましい若武者のように鎧に剣を携えている。その聖護の腕に抱えられるように紫織も馬に同乗している。紫織は白い着物に薄い紫の布をすっぽりかぶっている。深山は霊山のため。あらかじめ聖護が布を清め、神気を宿しておいたものだ。紫織の体力を考えて、なるべくエネルギーの消耗をさせないようにとの聖護の配慮だった。
「気をつけてね」
彩華が聖護を心配そうに見上げた。聖護は彩華と視線を合わせると黙って頷いた。彩華も頷くと名残惜しそうに聖護をじっと見つめたあと、紫織に視線を移した。
「神子…必ず、ご無事で」
紫織も彩華と視線を合わせて頷いた。
「私たちはここでそなたたちの帰りを待っている。必ず、戻ってくると信じているぞ」
雅成も彩華の後から紫織を見上げて声をかけたので、紫織は雅成にも視線を合わせて頷いた。それを確認して頷くと、雅成は聖護に視線を移した。二人は目を合わせてしばらく沈黙する。そして雅成が口を開いた。
「聖護、神子を頼む」
聖護は一瞬表情を和らげると大きく頷いた。
「では、彩華殿、雅成殿」
そう言って、紫織が頭を軽く下げると、それが合図で馬を進めた。二人の遠ざかっていく姿を雅成と彩華は見えなくなるまで見送った。
無事に帰れよ…紫織殿…
無事で帰って…聖護…
残された二人は心の中で繰り返し強く祈るばかりだった。