第48話 悲しみの瞳
「ハアーッ!」
ドドドドド…
砂埃を上げて早馬の一段が山道を駆け上がる。雅成は先を急ぐため、身体をやや前かがみにしながらも馬に鞭を打つ。馬の走るリズムに合わせて雅成の鎧がジャッジャッと音を立てて揺れる。そんな振動に耳の鼓膜を打たれ続けたせいか、頭痛がする。馬で異動する振動も随分負担がかかるのか、体はだるく重く疲労感が募る。それでも紫織は表情を変えることなく、ただひたすら振り落とされないように雅成の身体にしっかりとしがみついた。雅成からは緊迫した様子が伝わってくる。道中、話はしないものの、雅成は紫織の体をぐっと寄せたり、しっかりと抱き込んだりと紫織を気遣うしぐさを時々して見せた。紫織はそのたびに雅成の体がから伝わる熱とたくましい男が放つ汗と雄の匂いに心臓が高鳴るのに戸惑うばかりで、周りの様子を伺う暇もなく、とうとう加陀の領地へと入ってきた。雅成が太くたくましい声を張り上げて号令をかけて止まると、側近達も馬のスピードを緩めて雅成の傍にやってきた。
「直丞!惟高!私について来い。諸久以下はここで待機だ。何かあれば惟高を走らせる!」
「御意!」
側近全員が声を揃えて軽く頭を下げて雅成に敬意を払う。雅成はその様子を確認すると馬を反転させ山の頂近くに見える加陀の屋敷を厳しい視線で見上げた。
「ゆくぞ!」
「はっ!」
雅成の合図に直丞と惟高が威勢よく応える。雅成は力強く馬を走らせると一気に加陀の屋敷の近くの陣屋前に到着した。雅成達が近づいたことで警備の者が警戒して辺りは物々しい雰囲気に包まれた。
「雅成様、私が参りましょう」
直丞がそういって雅なりの前に馬を進める。
「加陀幸信はおらぬか!」
「誰だ!親方様を呼び捨てにするとは!」
警戒して集まってきた警備兵の中から190はありそうな猛者が刀を抜いて構えて、訝しげに獣が威嚇するような視線を向けながら現れた。
「久しぶりよのう。和賀兵伍」
直丞は目の前にぬっと現れた大男を威圧するように見下ろすと、その知的で端正なやや神経質そうな顔を一瞬冷たい微笑を浮かべる。威嚇するように横柄な態度で現れた兵伍はすぐにはっとして顔色を変えた。
「これは、奥義直丞殿!」
そう叫ぶと、そのがっしりとした大きな体をかがませ、跪いて頭を垂れた。
「このような山の中まで、いったいいかがなされましたか」
「いかがなされましたかだと?白々しい。この騒ぎに雅成様が酷くご立腹であるぞ!すぐに幸信のところへ案内せよ!」
「なんと雅成様御自らお出ましとおっしゃるか!」
「いかにも!」
そう野太い声で吠えると、直丞は少し馬を横に移動させその随分背後に待機する雅成の姿を兵伍に見せ付けた。兵伍は青ざめて、もう一度頭を垂れる。
「親方様はこちらにはおいでではござりませぬ。屋敷にて指揮を執られておいでです」
「幸信は家中か。では、幸信に伝令を!この戦を今すぐ止めよ!雅成様が早急に面会したいと!」
「御意!」
兵伍は謙って更に深く頭を垂れて返事を返すとすぐに立ち上がって命令する。
「親方様に伝令を!急ぐのだ!雅成様がおでましと!戦をすぐに停止しろと!」
「はっ!」
どこからともなく、緊迫した返事が飛んできた。
「我らは屋敷に向かう」
「はっ!」
兵伍がもう一度その場に跪いて頭を垂れて返事をするのを確認すると直丞は馬を手綱を引いて反転させ雅成のもとへ駆け戻る。
「雅成様、幸信は家中にございます、まずは伝令を飛ばしました。戦をすぐに停止せよと」
雅成は真顔で大きく頷いた。
「よし、では屋敷へ参るぞ」
「御意」
雅成は直丞と惟高をともなって頂近くの幸信の屋敷へと向かった。
雅成達が幸信の屋敷に着く頃には早々と伝令から伝えられ、門を開けて家守の家臣たちが並んで待ち構えていた。中の年長者1人が前に進み出て、非様づいて頭を垂れた。
「雅成様、直々のお出まし、光栄にございます。伝令より用件は伺っております。中で幸信様がお待ちでございます。私がご案内いたします。これへどうぞ」
「うむ」
雅成は自ら馬を降りて、紫織を大事そうに抱えておろす。加陀の家臣たちは雅成が連れる黄金の髪をした紫織の姿に視線を集中させ、驚いたようにしきりになにかつぶやいている。
「紫織殿、歩かぬほうがよい。私が連れて参ろう」
雅成がふっと柔らかい表情で紫織に声をかける。
「いえ、自分で…」
そういって地面に足をついた途端ガクッと雅成に倒れかかる。雅成は危なげなく紫織の体を支えた。
「ただでさえ、馬は慣れぬのに早馬で随分無理をさせた。歩かぬほうがよい」
そう言って、そのまま紫織を抱きかかえた。紫織は一瞬ぱっとほほを赤く染めた。その様子になにか言いたげな表情をしつつも案内役の家臣はそのまま何も言わずにまっすぐに幸信のところへ案内をする。家臣は屋敷の中をまっすぐ謁見の間に進み、一段高くなった上座へ雅成たちを誘導した。中央に雅成が紫織を抱きかかえたまま座り、その両隣に少し間を空けて直丞と惟高が座った。下座の中央には既にに幸信が豪族らしく胡坐をかいて座り、手は拳を握りこんで太腿の上に置かれ、恭しく頭を垂れていた。
「雅成様、何ゆえこのような山奥にまでおでましに?田津との戦をやめよとおっしゃるか!」
幸信は雅成に敬意を払うように恭しく頭を垂れてはいるが、その言動はいたって反抗的でいかにも血気さかんな豪族らしい荒々しさをかもし出す。年の頃は直丞と同じぐらいではあるが、直丞の知的で少々神経質そうな繊細な印象に対して、幸信は見かけも雅成に劣らず体が大きく、日焼けしてつややかな小麦色の肌に猛々しく髭をあつらえて、まるで仁王のような風貌をしている。雅成はしばし無言でじっと幸信を見ている。返事がないのが気になって幸信が頭をあげた。一瞬、雅成の腕に抱えられる紫織の姿に気付き、驚いた顔をしたが、すぐに気を取り直して雅成に視線をやった。
「何故黙っておられるのか?」
幸信が鋭い目つきで睨み返す。
「幸信、なぜこのようなことに?戦はさせない。すぐに田津に調停を申し入れろ」
「なんと?田津の者はこれまでに我らの領地を侵犯し、山間の村で傍若無人な振る舞いをしてきたのでございます。何度か取り締まりをと田津に申し入れたものの、一向になされないままに、とうとう隣同士の村で諍いが起こり、我らの領民が何人も田津の者に殺されたのですぞ。今、我らがひけば領民の気持ちは収まりませぬ」
「民が殺された?」
幸信は大きく頷いた。
「何があったのだ?」
雅成は表情を変えることもなければ幸信から目を逸らさない。しかし、幸信は雅也が自分の話しに耳を傾けてくれると思い、急に姿勢を正して丁寧に話しはじめる。
「突然夜襲を受けたらしく、風戸村の川向の民は全員死亡しておりました。その中には女子供もまじっていたと聞いております」
雅成は一瞬悲しそうに表情を曇らせたが、すぐに元に戻すと幸信に問いかけた。
「突然?その前になにかそのようなことが起こりうる事件や兆しはなかったのか?」
「特にはございません。あるとすれば既にご承知の通り、このような天候と相次ぐ災害で農作物は大きな被害をうけておりますゆえ、食料の奪い合いや盗み、強盗、殺人と、我らもずっと手をうやいておりました」
「やはりか…」
雅成が深いため息をついた。
「雅成様?」
「この辺りもか。諏佐の都でも同じだ。民は取り付かれたように争い、狂ったように人を殺める…」
雅成の腕に抱かれて静かに目を閉じていた紫織がピクッと動くのを感じて急に言葉を呑み込んだ。
「紫織殿?いかがなされた?」
紫織は目を開けて紫の瞳で天井をじっと見つめた。
「人が血を流している…多くの叫び声…雅成殿!」
紫織は蒼白の顔で震えながら白く細い指で雅成の腕を強く掴んだ。
「魔物が笑ってる…、雅成殿!私を連れて行ってくれ!」
雅成の腕を振り払って立ち上がろうとする紫織を雅成がなだめる。
「紫織殿?落ち着くのだ!何があった?」
雅成が尋常じゃない紫織の様子に驚きながらも紫織を強引に自分の腕の中にねじ伏せる。紫織は目を見開いて宙を仰ぐように必死で白い腕をを伸ばす。
「だめだ!争ってはいけない!殺しあってはいけないんだ!」
「紫織殿?」
雅成は紫織の言葉にはっとして幸信を鋭い眼光で睨みつけた。
「どういうことだ?」
一転して緊迫した空気に幸信は氷つく。
「…何が…でございますか…?」
「戦は停止しているはずじゃないのか?田津の奇襲か?」
雅成は片膝を立てて腰を上げて乗り出すようにして眼光鋭く幸信に迫る。とっさに幸信が叫んだ。
「雅成様!その姫は何者にございますかっ!」
その時紫織が幸信の方に顔を向けた。
「えっ…?紫の瞳…?」
幸信は目を剥いた。
「この御方は紫の神子である!我らの救世主だ!神子に異変が起きている。どういうことだ!戦は停止中ではなかったのか!」
「紫の神子?暗黒の世に現れて我らを救うというあの伝説の神子でございますかっ!」
幸信は驚いて這って雅成の傍に来て紫織をまじまじと見上げる。
「いかにも!幸信!どういうことか!応えよ!」
雅成は傍に来た幸信の前にさらにのりだして荒々しく大声で迫る。幸信はそのあまりの迫力に腰を抜かしたように後ろに飛びのいた。
「ま…雅成様…、…戦の…停止の伝令はもとより出してはおりませぬ」
「なんと!」
雅成の顔が険しくゆがむ。
「愚か者めが!」
雅成は幸信を激しく一喝するとすぐに立ち上がってきびすを返した。
「惟高!諸久の下へ走れ!戦を止めるぞ!直丞はこのばか者を連れて来い!」
「はっ!」
惟高と直丞がさっと同時に片膝をついて頷いた。
「紫織殿、大丈夫か?」
紫織はぶるぶると震えながら頷いた。白磁のような肌は血の気が引いたようにやや青みを帯びてひんやりとしている。雅成は紫織が伸ばしてくるその腕を掴んだ。
「大丈夫…。私を早く…、みんなのもとへ…。魔物が人を狂わせている…。雅成殿!早く!」
紫織は紫の瞳をまっすぐに向けて訴えてくる。再び強く光を放つ紫の瞳に雅成は吸い込まれそうなほどに惹きつけられる。
やはり私はこの瞳から目を逸らせない…
雅成にはその透明で神秘的な紫の瞳の中に、やりきれない悲しみや苦しみがにじんでいるように思えた。