第43話 面影
「雅成だ!開門せよ!」
雅成は馬上から重く厳重に閉ざされた門を前に叫んだ。しばらくすると、門の脇の扉が開いて門番が顔を出す。
「はっ!雅成様!たっただ今!」
そういって焦って中にはいっていく。すぐに門はギィーッと音をたてながらゆっくり開かれた。その瞬間、馬が走り出す。
「雅成様!お待ちください!今、供の者を!」
馬で走り去る雅成の背中に門番が叫んだ。
「いらぬわ!」
そう叫ぶと雅成は振り向きもせずにただただ先を急いで、馬を鞭打つ。程なくして城が見えてきた。城内では早馬が近づいてくるのに気付いて一瞬緊張が走るが、自分達の大将だとわかると違う意味城内は騒然とした。
「おお!雅成様だ!雅成様のお帰りだぞ!」
その知らせはすぐに城中に知られることとなり、雅成が到着して門をくぐりぬける頃には数百の家来が母屋の入り口まで並び、急な主人の帰宅を出迎えた。
「ご苦労」
雅成は一言いうと、馬から下りる。そして馬上で眠ったままの紫織をこわれものを扱うように大切に抱きかかえておろした。その様子に周りが一瞬ざわつく。
「雅成様!お戻りいただけましたか!」
背後から少し年老いた白髪の身なりの良い男が雅成の傍に来て、膝を折った。雅成はその声に紫織を抱いたまま振り返った。
「うむ、忠行、心配かけたな」
雅成は頷いてその老人・忠行に一瞬目を細めていたわるような視線を向けた。忠行は嬉しそうに首をふる。
「めっそうもございません。私にそのようなお気遣いはもったいのうございます。私は雅成様がご無事であるなら、それで良いのでございます」
そういって頭を丁寧に下げる。
「ところで、その御方は?」
忠行は雅成が胸に抱く紫織に視線をやった。
「ああ、この御方は、紫の神子様だ」
「なんと!」
周りが一斉に大きなどよめきがおこる。
「誠でござりますか!あの・・・あの・・・暗黒の世に我らを救うてくださるというあの紫の神子でございますか!」
忠行が慌てて思わずよろめいた。
「大丈夫か、忠行。そうだ、嘘偽りない。我が目で確かめた。この姫は紫の神子御方であるぞ。ただ、足を怪我をしておる。すまぬが梢に言って、部屋を用意してはくれぬか」
「お怪我をなされていらっしゃるのですか」
「うむ、それと青按先生を呼んでくれぬか。転んで足をくじいたと伝えてくれ」
「はっ!ただ今」
忠行はそういってもう一度きびきびと頭を下げるとすぐに走って消えた。雅成はその姿を見送るとふうっとため息をついて、胸に抱くしばらく眠っている紫織の顔に優しく視線を落とした。
「紫織殿、もうしばらく我慢してくれ」
そう囁くと雅成は母屋に向かって歩きだした。
『…紫織…紫織…』
紫織は沈む意識の中どこか遠くに声を聞いた気がした。なじんだ声…。あれは誰だった?
『紫織…』
『…誰?…ああ…和沙…?』
『そうだよ、和沙だよ…』
紫織がぼんやりする意識の中、ふっと和沙が目の前に現れた。和沙の姿は全体にぼんやりとしていて、まるで幻影のように美しく透明な微笑みを紫織に向けた。
『心配しないで…。紫織は1人じゃないよ。だから泣かないで。近くにあの人がいるよ。わかるでしょ?あの人…聖護…?』
紫織は目を細めると首をかしげて少し記憶をたどる。そして確かに聞こえた聖護の声を思い出した。
『聖護…』
『そうだよ。紫織のこととても心配してる。いずれ会えるから、だから心配しないで。それに、僕も…』
『和沙が?ここに?』
和沙は微笑みながらも首を振る。
『違うよ。僕は総真さんやデュリンと一緒にいるよ。きっと僕の仲間が紫織に力を貸してくれるてことだよ。それに僕には紫織も聖護も見えているんだ。だから大丈夫。1人じゃない』
『でも…』
紫織はロザリオをなくしたことを思い出した。
『心配しないで。紫織は紫水の水神に呼ばれたんでしょ?紫の神子として…』
和沙は相変わらず微笑んだまま軽く言った。
『どうしてそれを…?』
驚く紫織に和沙は微笑んだまま頷いた。
『僕の仲間が教えてくれた。僕の仲間も貴女の力を必要としてる…』
『和沙の仲間って?』
『うん、たくさんいるよ。みんなが僕に声をかけてくれるんだ』
『仲間って、和沙…君は何者?』
紫織の質問に和沙は急に顔を曇らせた。
『何者?僕は…何者だろう?わからないよ』
『仲間ってどんな人たち?』
紫織は子供をあやすように問いかける。
『人?人じゃないよ。僕には彼らの姿は見えないけど、彼らは僕に語りかけるんだ。どこにでもいるよ。紫織の家の庭にも』
『家の庭にも?』
和沙はコクリと頷いた。
『こっちでは、彼らは話だけじゃなくて僕に触れて僕を元気にしてくれる…』
紫織はしばらくじっと考えて急に何かに気がついたように顔を上げた。そのとき和沙が慌てて紫織を呼んだ。
『紫織、誰かが来たよ』
『和沙?』
そう呼びかけたときには和沙はもう一度ニッコリと微笑むとすうっと消えていった。
「失礼します」
静かに響く男の声にビクっとして紫織は目を覚ました。そして襖が開くような音がしたので、紫織は体を少し起こしかけた。
「紫の神子様、お目覚めですか」
次に細くて優しい女の声がやや近くからかかる。その声に振り向くと天蓋から下がる薄い絹の向こうに女の姿が見えた。そしてその傍に男が近づいてその女の横に座った。
「お加減はいかがですかな。紫の神子様」
紫織は瞬間はっとする。半透明の薄い絹がさえぎり、顔がよく見えない。紫織は目をこらして無言のままその男の姿を見つめた。
「ああ、失礼。私は雅成様の主治医の青按と申します」
「医者…?」
男は頷いたようだった。
「そう、貴女は少し発熱していたようです。今の気分はいかがですかな」
男は穏かにゆったりとしたトーンで紫織に語りかけた。紫織はその声に心が震える。この声は…。 はやる気持ちを抑え、紫織はとにかく起き上がって体を青按の方に向けた。
「失礼しました。私は紫織と申します」
「紫織様ですか。美しいお名前ですね。美しく高貴な貴女によく似合います」
この声は確かに…。紫織の鼓動がはやくなる。ふと、青按の隣で待機していた女が失礼しますと天蓋から下がる薄い絹を引いて布越しではなく、直に青按の顔が見えるようにしてくれた。その瞬間はっとした。青按は紫織の父祐一郎の面影にそっくりだったのだ。紫織は驚いてじっとまじまじ青按を見つめてしまった。ふと紫織の背後から女が白い薄い着物を紫織の肩にかけた。紫織は青按に気をとられていたので驚いてビクッと体が動いた。
「申し訳ございません!」
すっと下がって女が頭を下げる。
「いえ、ぼんやりしていたもので…。ありがとう」
紫織は申し訳なさそうに女に言った。女は一瞬とまどったような顔をしたが、そんなとんでもございません、と小さな声で恐縮して応えた。
「熱が下がっているか見させてもらいますよ」
ふと青按がそう言って、紫織の傍にやってきて額や首に手を当てる。ヒンヤリとして気持ちいい。薬の匂いなのか、土や草を感じさせるなつかしいに匂いがする。この香りに触れると紫織は妙に落ち着くのだ。
幼い頃、寂しくて悲しくて泣いていても祐一郎がやってくると紫織は途端にふわっとこの香りに包まれる。まるで魔法にかけられたように心が落ち着きを取り戻すのだ。紫織は間近で紫織の肌に優しく触れてくる青按に幼い日々の父の面影を重ねていた。祐一郎も紫織がよく熱を出すとこうして手をあててくれたものだ。紫織はまるで父が傍にいるかのような感覚に次第に心が穏かに静まっていった。そんな様子に変化に気づいてか、青按が紫織に優しく微笑みかけた。
「大丈夫のようですね。熱は下がっています。でも、どうやら貴女はとても繊細な方のようですね。熱は心の問題…。違いますか?」
「えっ…」
紫織はじっと青按をじっと見つめる。青按も目をそらさない。その優しく厳しい瞳が在りし日の父のように語りかける。紫織、強くなりなさいと…。そしてもう一度紫織に笑いかけた。
「心細さ、孤独感…」
言い当てられて紫織は目を剥いた。青按はまたふっと笑うと言葉を続けた。
「貴女は1人ではありません。貴女自身の心の問題です。貴女自身が心を開くことで、1人ではなくなるのですよ。大切なのは心を閉ざさないことです」
紫織は父と同じ言葉を口にする青按にさらに驚いた。
「あの…貴方は…?」
青按はまたニッコリと笑うと失礼しますよと紫織の足元に移動して少し布団をめくって紫織の足に触れた。
「足の状態は冷やしたので赤みはだいぶ引いてきたようです。でも、当分負荷をかけないよに安静にしてください。薬をかえておきますね。佳澄殿、その薬箱をこれへ」
佳澄と呼ばれた女は返事をするとすぐに青按が持ってきた薬箱を青按の傍にもっていった。青按はその薬箱からなにやら取り出して紫織の足に刷り込み、また布をかぶせて包帯を巻いた。
「では、もう少しおやすみください。私は明日また見に参りますゆえ」
そう言うと丁寧にお辞儀をして青按は帰って行った。紫織はしばらく青按が出て行った襖をじっと眺めていた。
「紫の神子様。先程は驚かせて大変申し訳ございませんでした」
紫織は声のするほうに振り返った。そこには深々と頭を下げる佳澄と呼ばれる女がいた。
「いいんだ。頭を上げて」
紫織が声をかけると佳澄はほっとしたような顔で顔を上げた。この女はよく見るとまだあどけない少女のような顔をしていて、年頃は近いように見えた。
「あの・・・、申し遅れました。私は側女の佳澄と申します。これから紫の神子様のお世話をさせていただく者でございます。よろしくお願いします」
そう言ってもう一度深々と頭を下げる佳澄に紫織が問いかける。
「佳澄さん、君はいくつ?」
「えっ?」
佳澄は思わぬ問いかけに頭を上げてきょとんとした顔をした。紫織がクスッと笑う。瞬間、佳澄は真っ赤になった。
「あ、あの…、13です。今年、こちらへご奉公に上がらせていただいたばかりです」
「ああ、じゃあ、同じ年だ。」
「紫の神子様もですか?」
紫織は微笑ながら頷いた。
「私は紫織でいいよ」
「はっ、はい!紫織様。至らないと思いますが、何なりとおっしゃってください。あ、あと、私のことも佳澄と呼んでください」
そう言ってまた頭を今度は床にこすり付けそうなぐらいに下げる。紫織は初々しい佳澄の様子にすっかり癒されてまたクスクス笑った。
「あの・・・、紫織様は笑ってらっしゃる方が綺麗ですね。その紫の瞳は水晶みたいでキラキラして・・・。きっと神様だからですよね」
佳澄は赤くなってテレながらも少し頭を上げて紫織に視線をやって笑った。驚いたのは紫織だった。怖いとか冷たいとかその蒼い瞳は不気味だとか言われることはあっても、そんな羨望の眼差しで綺麗だなんていわれたことはなかった。あとにも先にも蒼い瞳も紫の瞳も怖がらず綺麗だといってくれたのは聖護だけだった。紫織は一瞬聖護に思いを馳せる。
「紫織様?」
佳澄に呼びかけられてはっと我に帰る。
「私は神様ではない。ここでは紫の神子といわれているが、佳澄と同じ人間。ただ少し、人と違う力があるだけ」
「私と同じ?滅相もない」
「なぜ?私は佳澄と同じ血のかよう人間だ。年も同じ。だから普通にして欲しい。」
「普通に?」
「そう…、あまりかしこまらないでもいいんだ」
佳澄はい不思議そうに頭をひねるが、コクリと頷いた。
「よくわかりませんが、紫織様が望むなら、なるべく努力します」
そう言って佳澄は満面の笑顔で笑った。
「失礼します」
再び、青按が消えた襖の向こうから声がした。現れたのは見知らぬ女だった。部屋に入ると佳澄に目で合図して、頷くとすっと近づいてきて少し距離を置いたところで座った。
「お初にお目にかかります。私は女官をまとめる梢と申します。先ほどから雅成様がご心配なされて様子を見て来るようにとおおせつかり、参りました。お加減はいかがですか。青按様のお話ですと調子は上向きとのお返事をいただいておりますが」
下げていた頭を上げて紫織の目をじっと見つめる。30前後だろうか、見た目は小柄で華奢な感じだが、意志の強そうな女性だった。
「はい。おかげさまでだいぶ」
「そうですか、それはよろしゅうございました」
梢がほっとしたようにな顔を見せた。
「雅成様が神子様のお顔が見たくてそれはもうそわそわしていらっしゃったんですよ。私の顔を見るたびにどうしてるって本当に子供みたいにおっしゃって…」
梢がクスクス笑いながら明るく雅成の話をする。この元気で明るい雰囲気は涼子先生に似てるなとふいに紫織は思った。
「それでは、こちらにお呼びしてもよろしいですか?」
紫織は少し微笑んで頷いた。