第38話 時空の扉
七海とデュリンは2階の奥のへ屋の前に立っていた。
「ここなんだな」
七海はデュリンが頷くのを確認すると、ドアを開けてあけて中へとはいった。部屋は真っ暗闇だった。それでも扉を開けた途端に埃っぽくカビっぽいような匂いが七海の鼻をかすめる。デュリンは七海の足元にぴったりと寄り添ったかと思うと急に紫の光で辺りがうっすら明るくなった。足元を見るとデュリンが大きな瞳から光を放っていた。少し驚いたがデュリン自体信じられない存在なので、七海は光のもとがデュリンだと確認するとすぐにデュリンから顔を上げて部屋の中を見回した。
部屋の中には誰もいない。周りを見回すとガラスケースの中に鎮座する美しい壷やら大きさがまちまちな古い色褪せた木箱が積み上げられている。年代がかかった桐の箱には墨で表になにやら字が書かれていた。その横に今にも動き出しそうな鎧が見える。壁際には墨絵が大きく描かれた屏風もある。どうやらここは骨董品を保管してある場所のようだった。いかにも怪しげなものが集まっているような光景だからじゃないが、七海でもなんだかこの部屋に漂う気が他とは違っていることははっきりと感じていた。
七海は部屋に入るとまっすぐ奥の立派な鞘におさまった刀のほうに向かった。七海はその刀に妙にひきつけられたのだ。その刀は装飾が少し変わっていた。鞘には紫水晶のような石がはめ込まれていて金色で重く重厚な装飾がされている。どう見ても儀式用で実用性がなさそうだった。柄の部分も色褪せて黒っぽくはなっているが、金糸が織り込まれた紐がまかれていて、素人目に見ても位の高い人しかもてないような刀だった。七海はその刀の前に立つと息を呑んだ。その刀の前に立つだけで息苦しく、心臓が激しく七海の胸を打ち、首の後ろや手のひらにひんやりとベタつくいやな汗をかいていた。
「なんなんだ。これ」
「これが、俺が言ってた刀だ。七海でもわかるのか。異様な気だろう?」
デュリンが七海の半歩後ろで応えた。
「この感じ…、おそらく時空を超えるゲートになってると思う」
「ゲート?」
「そう、ゲート。俺達は自由自在に時空を移動できるんだ。俺達が住んでいた国にはいくつもこんな気を放つゲートがいくつかあった。でも、これはただのゲートじゃない。ちがう種類のエネルギーも発っしている。俺には触れない種類の…。」
デュリンは全身の毛を少し逆立たせて体をぶるっと震わせると、おどおどして七海を見上げた。
「触れないって?」
「要するに、俺達は魔族だから、神気に触れられないんだよ。神気は猛毒だから。溶けて死んでしまう」
「神気?でも、なんでこの刀に?」
「わからないけど、あいつが通った形跡は感じる。ここにあるのはもっと違う種類の神気も感じるけど。」
「あいつ?あいつって誰だ?」
「あの聖護とかいう、紫織様の傍に偉そうにいつもいるやつだよ。」
「聖護か?」
デュリンが頷く。七海はその涼しげで知性的な顔の眉間にしわを寄せてじっと考え込んだ。その横でデュリンは小さな声でブツブツ吐き出すように言った。
「あいつに近寄らないのは強烈な神気が漂ってるからなんだ。なんであんなやつと紫織様は一緒にいるのかわからないよ。」
「デュリン!」
突然大きな声で七海が叫んだのでデュリンはおどろいて七海の足にしがみついてその真っ白な毛をピンピンに総毛だたせた。
「何しがみついてんだ?デュリン」
七海が足下にへばりついているデュリンを見下ろす。今にも吹き出しそうだ。
「おまえが脅かすからだろうが!どうしたって言うんだよ!」
デュリンは七海を見上げてうわずった声で言い返した。
「おまえ、結構臆病だな」
七海はデュリンを見下ろながら、いじわるそうににんまりと笑うと、デュリンを両手で抱き上げた。
「おまえが言うことがほんとうなら、おそらくそのゲートをくぐって紫織も聖護もどこかの世界にいっちまったってことだよな。おい、デュリン、どうしたらあいつらは引き返せるんだ?自分で帰ってこれるのか?」
デュリンは首を振った。
「わからない。紫織様が以前にゲートを使ったことがあるならわかるだろうし、ないなら…」
「ないなら?」
「帰り方を知らないから戻れないかもしれない。帰り方を知っていても俺みたいにいくつもの時空を超えてしまって帰るルートがわからなくなって迷子になる可能性もある。」
「なんだって?じゃあ、紫織と聖護は帰ってこれないかもしれないってことか!」
七海が思わず、デュリンを抱く腕に力をこめる。
「うぐっ!な…な…み!くるし…っ!」
はっとして七海は力を抜いたので、デュリンが七海の腕から飛び降りた。
「ごほっ!…ごほっ!七海…酷いよ!」
「あ、ああデュリンすまない。つい…」
七海はそう言いながらも心ここにあらずで、何かを考えているようだった。しばらく頭を傾げて薄く目を細めた。何か記憶の奥の物を探して引き出しているようだった。七海は小刻みにペンで空中に何かを描くようなそぶりをすると、突然はっと顔をあげた。
「デュリン、諏訪先生だよ!」
「えっ?」
デュリンは耳をピクピクっと立てると落ちそうなぐらいの大きな紫の瞳で七海を見上げた。深い紫の水晶のような瞳には七海が写っている。
「あの二人のことを知っているのって諏訪先生しかいない。何か知ってるかもしれない」
「ああ、涼子先生?」
「ああ、そうだ。とにかく諏訪先生に連絡しよう」
そう言って七海はポケットから携帯をだして検索しはじめた。七海は光陵学院の事務局の電話番号をプッシュして医務室につないでもらった。たまたま涼子は検診後の再検査の生徒の面談を終えて、帰ろうとしていたところだった。
「どうしたの?七海くん?」
「あ、諏訪先生、たいへんなんです。今、熊谷修二の家にいるんですけど、すぐ来てくれませんか。修二も修二の家族も全員、霊に精神エネルギーを吸い取られたみたいで意識がないんです。それに・・・、その様子を見にはいった聖護も紫織も姿が消えてしまったんです」
「えっ?なんですって?消えた?」
「はい。そうなんです。どうしたらいいかわからなくて…、とにかく先生にと思って…」
七海の切迫する声に涼子はすぐに行くからと電話を切ると熊谷修二のプロフィールを検索して走り書きでメモに住所を書きとめた。それから慌ててPCの電源を落とすと走って病院棟の自分のロッカーへと向かった。涼子は慌てて白衣を脱ぎ捨てバックをわしづかみにすると駐車上へと走りだした。途中、バックから携帯を引っ張りだして、総真に電話した。
「総真?たいへんなの。紫織くんが聖護くんと一緒に消えちゃったらしいの。すぐに来て」
「なんだって?どういうことだ?」
そろそろ紫織を迎えに出られるようにと準備していた総真はすぐに車のキーを握ると走って廊下に出た。すると玄関の前でまるで待っているかのように和沙がアビスを抱いて立ってじっと総真を見つめていた。
「紫織のところにいく」
和沙ははっきりとした口調で総真に告げた。その表情はいつもとかわらず無表情で感情は見えない。それなのにあの透明なエメラルドのような瞳を見ていると、中身は小学生レベルだとわかっていても、なぜか総真は何かあるような気がしてならなかった。しばらくじっとお互い見つめ合う。独特の空気が総真を包む。いつの間にか深い森の中にいるような不思議な感覚に陥っていた。しばらく総真は和沙の瞳に見入られていたが、やがてあきらめたように大きくため息をついて一歩前に出た。
「わかった。では、いこう」
総真は和沙とアビスを後部座席に乗せると、すぐに涼子に聞いた熊谷修二の住所をナビにインプットした。総真は不安で焦る気持ちを押さえつつ、すばやくエンジンをかけると、すべるように門をくぐり抜けた。