第36話 守護者
少女が聖護を凝視している。
「今のは何…?」
少女の反応をみて聖護は一瞬心を締め付けられるような息苦しさを感じた。おもむろに化け物でも見るような青ざめた表情に聖護は顔を曇らせた。
「ああ…。大切な人を守るために神から与えられた力だ」
「神ですって…?」
少女はそのきれいな額に伸びる細い眉をしかめた。そして何かを思い出すように思いをめぐらせている。しばらく黙っていたかと思うとふっと顔を上げた。
「あなたもしかして紫の神子様?」
「紫の神子?」
今度は聖護がその言葉に眉間にしわを寄せた。たしか、修二の家で紫織に覆いかぶさってきた男が紫織を見て確かに紫の神子様といっっていたのを思い出した。とすると、ここは亡者の世界なのか?あの時、紫織を追って2階の奥の部屋からここへ飛ばされてきたということか?あの後も纏わりつく亡霊たちは自分にではなく、紫織を見て紫の神子様と皆縋っていた。どういうことだ?紫織は本当に紫の神子と言うことか?としたら、あの部屋に行ったとき紫織は既にいなかったことを考えると、紫織もこの世界に飛ばされてきている可能性が高い。聖護はそう考えると顔を上げてしっかりと少女を見据えた。
「何?」
少しひるむような感じで不安げに少女も聖護を見返した。
「紫の神子とは何者だ?」
聖護の漆黒のような瞳にじっと見据えられて息を呑んだ。この瞳は有無を言わさない突き刺すような瞳だ。少女は深く息を吸って気を取り直すと口を開いた。
「暗黒の時代に現れる伝説の神子よ。この紫水の人々を救うといわれているわ」
「伝説の救世主…か」
「そう…。この紫水の土地には日文と諏佐の国があるの。昔は仲良くいい付き合いをしていたらしいわ。今は、反目し合って互いに鎖国状態だけど。200年程前から、この紫水の土地では異変が起こるようになったの。もともとこの土地は季節の変化があり、紫水湖の恵みで文化や生活も豊かな土地だったの。ところが、あるときから一年以上干ばつに泣いたり、雨が一年降り続けたり、街では悪い病気や狂った人達によって凶悪な犯罪がはびこるようになって、人々は不安と恐怖と貧しさに怯えて暮らすようになったらしいわ。それまで紫水の水神様に感謝し、年2回盛大に祭ってきたのに紫水は紫の湖と化し、生物も住めない、飲めない水と化してしまったの。この水に触れると体が凍り、死んでしまうのよ。だから人々は口々に紫水の神の崇りだと言うようになったのよ。それでいつからか、生贄を差し出すようになって…。その後、成人前の民1人を生贄として紫水の神に与えたところその年は何事もなく穏かになったの。それから毎年生贄を与えるようになったのよ。ところが、60年目にそれでは治まらなくなったって…。今のような地震や洪水などの被害が絶えず、再び人々は恐怖にさらされたの。その時の史書には多くの民が災害で亡くなり、疫病も蔓延し、人々の心は荒んだと記されているわ。神と話ができるという神官が王自ら生贄となることを神が望んでいると告げたことで、その時の王が民のためにと紫水に身を投げたわ。そうしたらなにもなかったようにもとの豊かな土地に戻ったというの」
そしてそれまで無表情で淡々と語っていた少女の目が曇り、悲しい色を映し出した。
「今年が…その60年目なの…」
聖護がはっとする。すると少女が立ち上がって右足を一歩前に出し、少し膝を折って頭を下げた。
「私は日文の国の女王、日文埜彩華と申します」
「女王?」
少女が顔を上げるとさっきまでの少女のようなあどけなさは消え、人を圧倒するような知的で気品のある女王の顔があった。少女は聖護をじっと眺めて頷いた。
「あなたは紫の神子様なんでしょう?」
聖護は少女の顔をじっと見つめて顔を曇らせる。
「…残念だが、違う…と思う。紫の神子は俺ではなくておそらく俺の大切な友人の方だろう」
「友人?その人はどこに?」
聖護がため息をついて首を振った。
「わからない…。無事なのはわかっているのだが…」
「もしかして、さっき言っていたあなたが守っている大切な人?あなたは紫の神子を守る守護者なの?」
「守護者…そう、そうかもしれない。でも…」
聖護が何かを思い出そうとするように目を細めた。
「でも…?」
「いや、なんでもない」
聖護は軽く頭を振って何かを書き消した。その様子に彩華は気付いたが、あえて触れることはせずに話を続けた。
「そう、では、紫の神子は存在するのね。ねえ、城に戻りましょう。そして、紫の神子を探しましょう」
彩華は少し希望が見えたのか、先程までの暗く影のある印象が消え、女王らしい顔つきで少し微笑んだ。
「あなた、名前は?」
「俺は聖護」
「そう…聖護、では、私とともに参りましょう」
聖護はしばらく考えたが、紫織を探すにもあてがない。この彩華という日文の女王に出会ったのも何かの縁と思い、街に降りていけば何か紫織の足取りもつかめるかもしれないと聖護は彩華に同行することに同意した。
二人はしばらく無言で地震によって崩れた道なき道を探るように降りていく。この辺りは勾配が多い上、足場が悪くなかなか前には進めない。この分では日が沈むまでにたどりつけるのか、ふと聖護は立ち止まって天を仰ぐ。
「大丈夫よ。日は沈まないわ」
聖護の気持ちを読んでいるかのように後ろから声をかけた。
「えっ?」
「やはり知らないのね。本当にどこからきたのあなた」
聖護より先を歩いていた彩華が慣れた足取りで近づいてきた。
「この2〜3日太陽が沈まず、ずっとこのままなのよ。実はね、今は子の刻よ」
「子の刻?」
聖護はおぼろげな記憶をたどった。そう言えば、昔は十二支にたとえて方角やら時間やらを表現していた。とすると零時頃となる。
「もしかして夜中か?」
彩華はため息をつきながら苦笑して頷く。
聖護はもう一度空を仰いだ。春のおだやかな空だと思ったが、太陽が沈まないのであれば、人々はたまったものじゃない。聖護は改めてこの土地の異常性を感じ、重い気分になった。紫織、今おまえはどうしてる?この世界に本当にいるのか?ふと心で紫織に問いかけた。おまえ何かあるときの胸騒ぎや危機感は何も感じられないということはおまえは無事だってことなんだよな。
彩華はじっと空を見上げて何か思っている聖護の姿になぜか釘付けになった。彩華は先ほどの聖護が不思議な光を操る時の顔を思い出していた。今は少し大人びた普通の少年のような顔をしているが、あの時は別人のような厳しく威圧感のある大人の顔だった。しかも人ではないようなオーラを纏っていた。まるで何かが乗り移ったように。紫の神子様の守護者と言うが、見慣れない着物といい、彩華にはわからないことだらけで、紫の神子を探すという希望は見出したものの、本当は不安で一杯だった。生贄になるはずが、今こうして城に戻るために生きて歩いている。彩華は罪悪感が心に募っていた。民を守るべき女王が責務を果たさずに山を降りているのだ。本当に紫の神子様はいるのか…。彩華は聖護を眺めつつ自問自答していた。
「さて、いくか」
ふと、聖護が振り返ったので彩華ははっとして一瞬足元がぐらつく。聖護がとっさに彩華の腕を掴み体ごと腕で受け止めた。
「大丈夫か?足元気をつけろよ」
そう言って腕の中の彩華を見下ろして笑った。彩華は一瞬心臓がはねるのに驚いてとっさに離れた。なに?今の?今でも心臓が破裂しそうな勢いで打ち付ける。体が熱い。
「どうした?顔が赤いけど、調子でも悪いのか?」
「えっ?…ううん、別に。歩いてたから暑いのよ」
「ああ、そうだな、ずっと歩きづめだったものな。俺のぺースじゃだめだよな。君は女の子なんだし」
彩華は返事をせずに驚いた顔で聖護を見ている。
「あ…、ごめんな。君は女王様だったな。失礼。女王様、少し休みませんか」
聖護が照れくさそうに微笑んで彩華の方に向き直った。基本的に男に対しては厳しいが、女に対して優しい。小さな頃から母に女の子は力が弱いんだから庇ってあげなさい、男の子なんだから女の子を守ってあげなさいと手厳しく教えられた。おかげで女の子に優しくするのは当たり前の習慣になっている。とはいえ、光陵学院は男女別になっているので、何かの行事で女子部と一緒にならない限りはあまり接点はないのだが、聖護は年齢関係なく、女の人には優しい。空手の師範も弱きを助けるのだ、それが本物の強さだと常に説く。周りがそうなので、いつも間にか男でも女でも弱いものに自然と手を差し伸べる。
「あ…そんなこと…大丈夫。この辺は庭みたいなものだわ。先を急ぎたいの。いきましょう」
不意に聖護が優しい表情で彩華を見たので、彩華は一瞬戸惑って動揺を見せた。彩華はさらに火照るのを感じて赤くなった顔や胸の高鳴りに気付かれないように、ぷいっと前を向くとすぐに歩き出して聖護から離れた。聖護は少し彩華の態度に首をかしげたが、彩華のいじっぱりのような気の強さがかわいらしく思えて、少し微笑むと彩華の後ろを守るようについていった。しばらく歩くと、聖護はふと視界の隅に光を感じた。
「ちょっと待ってて」
そう、彩華に声をかけると聖護は道をはずれてその光を探して丘を登っていく。随分勾配のきついところだが、聖護は普段から鍛えられているので簡単そうに一気に駆け上った。そして光ったものを探す。この辺のはずと目を凝らして見回しているともう一度それは光を放った。近づいてみるとそれは蒼い数珠のついたロザリオだった。
「これは…」
これは見覚えがあった。紫織が魔物を退治する時に時折使っているロザリオだ。紫織が1人でいる時にロザリオを大事そうに眺めてじっと何か考えている姿を聖護は何度か見ていた。随分と思い入れのあるロザリオなのだろうと気にして見ていただけに間違いはない。それにこのロザリオは自分の持っているロザリオによく似ていた。母はよく、数珠は聖護がこだわって青色にしたのだといっていた。その自分のとよく似たロザリオだけに聖護の記憶に鮮明に焼きついていた。
「紫織…この近くにいるのか…?」
聖護は辺りを見回したが、人の姿がないとわかると大きくため息をついてじっと遠くを眺めた。