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第3話 白衣の美女

心地よい風がやわらかく肌に触れた。すがすがしい新鮮な緑の匂いとともにかすかに馴染み深いフェノールの匂いがする。聖護が目を開けると目の前にはおぼろげに白いまぶしい世界が広がっていた。


「どこ…?え?」


視界がぼんやりしている。手にさらっとした綿の感触があった。


「…ベッド?」


「須崎くん、気がついた?」


女性の優しい声が耳に入ってきた。


「え…?」


うまく反応できないでいると、白衣の女性が明るい笑顔で上から覗きこんだ。覚えがある。


「諏訪…せんせい?…医務室?」


「そおよお。わかるんなら大丈夫ね。ふふふ。」


そう軽い口調で言うと、聖護の顔を軽くぱんぱんと叩いた。手はひんやりとしていた。

 諏訪涼子は光陵学院大学付属病院の医師で、今は病院での外来とこの医務室を兼務している。ここは中等部と高等部の男子部のエリアにあるため、やってくるのは全員男子生徒である。涼子は28歳だったが、見かけはもっと若く見え、かなりの美人である。決して派手な服装はしていないが、垢抜けた華やかさがあり、モデルばりのセンスとスタイルはどこにいても目立つ。当然男子学生の中ではかなりの有名人である。涼子は少しウェーブした長い黒髪をさっくりと纏め上げ、ややクールで知的に見える四角い横長のレンズに黒ぶちセルの眼鏡をかけている。聖護がそんな姿をぼんやり見ていると、涼子は優しくふっともう一度笑いかけた。


「須崎くんみたいな運動神経抜群な男の子でもよけられないことがあるのね。ふふふ。」


「えっ?俺のこと知ってるの?」


聖護は反射的に体を起こそうとした。


「いてっ!…つっ…!」


「まだ動いちゃだめよ。ボール、みぞおちに命中したみたいね。気を失うのもしかたないわ。あとは少し腕や足に擦り傷と打ち身があったわ。倒れたときにどこかぶつけたのね。頭は打ってない見たいだけど、どこか他に痛いところはない?」


涼子がたたみ掛けるように笑顔でたずねた。


「え?…あ…ないと思いますけど…、えっ?ボール?」


聖護はまだぼんやりとしている頭で記憶をたどろうとした。


「そうよ。間宮くんが知らせに来てくれたから、紺野先生に連れてきてもらったのよ。ね、間宮くん。」


涼子は相変わらずの明るい口調で後ろを振り向いた。


「あ!思い出した!あいつ!」


涼子の後ろに紫織の顔を見つけると、聖護は思わず勢いよく体を起こした。


「うっ!…ごほっ!」


「ああ、まだ動かないで。しばらくじっとしていたほうが…。」


「おまえっ!…。」


聖護ははっとして言葉を呑み込んだ。この少女のような華奢な少年に殴られて気を失ったことを暴露することになるのに気付いたのだ。あの瞳に油断した結果だった。聖護は憮然として起こした体を静かにベッドへ戻した。


「動くなっていったのに…。そうよ、間宮くんのおかげね。お礼いっときなさい。」


諏訪は聖護の方に体を半分向けて言うと、今度は紫織に向き直って


「紫織くん、大丈夫よ。打ち身は2〜3日残るけど、心配ないわ。少し休めば動けるわ。」


そういうと消毒やガーゼが並んだワゴンを滑らせ、診察用のデスクに戻っていった。

 紫織が聖護に近づいて傍らに座ると、横たわっている聖護をじっと見つめた。この瞳だ。聖護はどきっとした。どんな状況でもこの瞳でみられるとどうしてもその思いを掴み取ってやりたくなる。しかもこの思いもなぜかどこかで感じたことがあるはずなのに思い出せない。遠い昔…。なんだろう?聖護はしばらく紫織と視線を合わせていた。ふと紫織の瞳が柔らかい藍色にかわったように見えた。穏かで落ち着く色だ。さっき警戒心いっぱいにすごんでいた瞳とは違う。聖護はまた、その瞳に吸い寄せられた。深い海の底をみているような瞳はなぜか強烈に聖護をひきつける。どきどきして体が熱い。聖護は心臓が飛び出そうだった。紫織がまぶしくて体の奥から熱いものがこみ上げる気がした。はじめての感覚だった。聖護はこの場をなんとかしようと息を深く吸い込んだ。


「うっ!いてっ…。」


紫織がはっとしてあわてて立ち上がろうとした。


「大丈夫だよ。ははは…。いてっ!笑うと響きやがる。かっこわりいな。」


聖護は苦笑して紫織を見ると、紫織は心配な面持ちで聖護を見つめていた。そんな紫織を見て聖護は決意したように唐突に言った。


「決めた!おまえと友達になる!な、紫織、いいだろ?おれのことも聖護って呼べよ。」


紫織は突然の展開に面食らってあっけにとられた。


「なんだよ。なにか文句あるのか?俺、今まで殴ったことはあるけど、殴られたことないんだぜ。俺をのしたやつははじめてだ。」


紫織はいぶかしげな顔をしている。聖護はぷっと吹き出した。


「なんだかお前のこと気に入ったからさ、だから友達になりたいんだ。お前、優しくていいやつだよな。」


一瞬、聖護は照れくさそうな顔をしたが、すぐに紫織に満面の笑顔を向けた。紫織はどきっとした。聖護の屈託のない笑顔がすごくまぶしくて、思わず目を背けた。そして、思いを断ち切るように一瞬まぶたを閉じて深く息を吸い込むと再び目を開いて聖護を見据えた。いつものクールフェイスだ。


「僕は一人でいる方が好きなんだ。僕のことはほっといてほしい。もう、大丈夫のようだから僕は授業に戻るよ。じゃあ。」


そう言い終わらないうちに席を立って出て行ってしまった。聖護は放心した。


「あっはっはっはっはっはっ!」


涼子の高らかな笑いにふと我に返った。


「みごとにふられたわねえ。」


完全におもしろがっている。


「なんなんだよ。」


聖護はバツが悪そうにふてくされると、涼子は聖護の傍らに近づいきて、ふと真顔になってため息をついた。


「あの子ねえ。もう少し人に心を開くといいのにね。あなたが言うとおり、紫織くんは優しい子よ。」


さっきまでの軽い口調とはうって変わって少し低い落ち着いた声が響く。


「先生、あいつのこと知ってるの?」


「うん、少しね…。でも、あの子は決して人を近づけないし、誰にも近づかないわ。あの子はいつもどこか遠くに心があるみたいで決して人に心を開いたりしないの。紫織くんはね、昔からよく言えば冷静で頭が良くて大人びた物分りのいい子。悪く言えば全然子供らしくなかったのよ。でも、おどろいたわ。あんな顔してるの初めてみたもの。」


涼子はふっと聖護にやわらかい優しい笑顔を向けた。


「あんな顔って…?」


「うん、随分心配そうな表情だった。思いつめたようにずっとあなたを見ていたわ。」


聖護はまた、どきりとして一瞬からだが熱くなる。


「きっと、あなたに興味があるのね。人と話しているのもめったに見ないけど、あなたには気軽に話をするみたいだったし。」


「気軽にって、それなんかの間違いだろ?」


聖護は疑うように涼子を見た。


「ふふふ…。そうかしら?あんなに表情豊かな紫織くんを見たのはじめてよ。」


涼子は含み笑いをしてる。


「少しアプローチしてみたら?どうやら、君も紫織くん興味があるみたいだし・・・いいんじゃない?ふふふ。」


「なっ!」


聖護は真っ赤になって思わず体を起こした。


「うっ!…って!」


「はっはっはっはっはっはっ!なんて顔してるのよ。女の子にアプローチしろっていってるんじゃないのよ。友達でしょう?と・も・だ・ち!」


涼子がそういってウインクすると聖護はさらに真っ赤になった。


「何赤くなっているの?まさかその気あったりして。」


いたずらっぽく涼子がからかう。


「なんで俺が!そんなわけないだろ!」


聖護はさらに真っ赤になって大声で涼子に噛み付いた。


「そうよねえ。女子部でモテモテのイケメン聖護くん。女の子に不自由しないものね。うっそよお。なかなか純なのね。そういう子、私は好きよ。ふふふ。」


涼子は軽い口調でからかうように言うともう一回ウインクして笑い転げた。


「あのねえ、先生!」


聖護がむくれる。


「あっはっはっはっはっは!それだけ声が出せるようになったら、もう大丈夫ね。今日のところは迎えが来たら帰りなさい。連絡しといたから。一日休めば大丈夫。君の場合、鍛えられてるから明日にはいいはずよ。じゃあ、私は用があるから行くわ。かわりに看護師のお姉さんが来るからおとなしくしてるのよ。じゃあね。」


にっこりと聖護に笑いかけると涼子は医務室を出て行った。


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