第21話 決意
午後の授業が終わると生徒たちはガタガタ片付けを始めていた。開放感からか、教室は若いエネルギーを発散するかのように威勢のいい会話が飛び交っている。部活へ急ぐ者、誰かと誘い会う者、冗談でふざけあう者など、ごくありふれた日常の光景が広がる。
紫織はさりげなく、聖護に視線をやると聖護はすぐに気付いた。教室を出ると、聖護もそれについで教室を後にする。校庭の奥の森まで来る間、紫織は一度も振り向かない。聖護はそれでも、黙って紫織の後をついていった。下校時間といってもこの辺りは常にあまり人もいないので、驚くほど静かで、二人の足音だけが響いていた。
森の中ほどまで来ると、紫織が足をとめて振り返った。蒼い瞳がひんやりとした厳しさをかもし出している。聖護は一瞬でいい話ではないことを知る。
「笠井のこと、教えろって、七海が…。」
「七海が?」
聖護が訝しげに聞き返した。
「笠井の様子がおかしいからと心配してるんだ。七海は笠井と幼馴染みだって言ってた。」
「あいつ…、ああ、そうか、そう言えば、初等部からこの学院だったな。笠井やっぱり…様子がおかしいか…。」
聖護は紫織から視線をはずすと校庭の方に視線を向け、何か考えるようにつぶやいた。
「記憶がなくて、周りの様子になじめずにここ数日は、かなり気持ちもめいってる様子だった。しばらく僕もどうしたものか考えてた。」
「おまえ、ここのところ様子がおかしいと思ったら、笠井のことを気にかけていたんだな。」
そういって一瞬ふっと表情を和らげたが、すぐに厳しい顔に戻った。
「あの時、笠井は魔物から解放された後、自分の状況すらわからない様子だった。俺はおまえのことが気になって…、とにかくあいつには、何か困ったら俺に言えと言い含めてとりあえず、帰したんだ。俺も自分のことで精一杯だったからな。」
一瞬紫織の顔がこわばったが、すぐにやり過ごして無表情を通した。聖護は、自分も魔王の一撃を喰らって負傷していたことはあえて言わなかったが、紫織は何か汲んだらしいことはわかった。
「笠井はもともといじめられてたらしい。七海がときどき助けてやってたって言ってた。家庭環境も複雑らしくて…。おそらく、その弱った心に魔物がつけこんだんだろう。今は魔物が取り付く前の笠井に戻ったけど、最近の記憶がないのも手伝って、弱々しい怯えるような様子でクラスでも浮いている。ここのところ、一人で思い悩んでいる様子だった。」
「そうか、なんとかしてやらないといけないな…。」
聖護はそういうと少し考え込んだ。
「七海が、笠井の力になってやりたいから、笠井のことで知ってることがあったら教えてくれって頭下げてきた。」
「七海が?」
紫織が黙って頷いた。
七海はいまどきの少年風であっさりしているように見えて、実は中身は熱く、情の深いタイプなのを聖護はよく知っている。それを言うと本人は照れなのか、すごい勢いで否定するのだが、人の気持ちに敏感で、さりげなく先回りして、立ち回る。
七海はいつも周りにあまり強い関心を持ってないような様子を見せてはいるが、本当はやさしくて繊細な神経の持ち主なのである。聖護は、七海のそんなところが好きなところだった。そんな七海が二人きりで話すのは苦手だといつも言っているはずの紫織に話をしてきて、さらに頭まで下げるのだ。よっぽど笠井のことを気にかけているのだろう。
本当なら、笠井には記憶がなかった間のことを自らが知り、受け入れることが一番いいのはわかっている。でも、そうなると魔物のことを話さずにはいられない。笠井にも、そして七海にも。聖護はそのことに悩んでいた。できるだけ、紫織のことを知られないようにしたい。
聖護がじっと黙って考えていると紫織が聖護に近づいた。
「笠井と七海に魔物の話、しようかと思う。」
聖護が驚いて紫織に向き直った。
「でも、そんなことしたら、周りにもれていくかもしれない。俺は反対だ。周りにこのことがしられれば、今度は好奇な目でおまえが見られる。それはだめだ。それに、そんな状態の笠井に真実を告げれば、あいつの心の弱さを考えると真実を話すのはどうかとも俺は思う。」
聖護がまっすぐ紫織の蒼い瞳を見据えて怒ったように言った。聖護も本当は真実を話したほうがいいとは思っている。でも、どうしても紫織のことを考えると、紫織の言うことに賛成は出来なかった。それでも紫織はもう覚悟を決めているのか、表情を変えずに厳しい顔をしたまま話を続けた。
「今のままでは、笠井は自分を保てない。自分には記憶がないのに、周りは自分の知らない自分を知ってるんだ。不安になるのは当たり前だろう?このままじゃ彼は自分を保てない。ツライことかも知れないけど、彼には今真実を知ることが必要だと思う。気の毒だから黙っていようというのは、僕達のエゴだよ。彼には知る権利がある。その上でその先どうするかも本人が考えることだ。」
「それはわかる。しかし、それではおまえが…。」
「僕のことはいいんだ。たとえ、みんなの知るところとなっても、それはそれで仕方ない。みんながどんな反応するかはわからないけど、現実を受け止めるだけだ。それに、それで誰かに災いが降りかかるのなら、僕がみんなの前から消えれば済むことだ。もともと、僕は自分の中に災いを抱えているんだ。そんな覚悟ならとうに出来てる。」
二人はじっとにらみ合うように視線を合わせている。
「わかった…。」
聖護の漆黒の瞳が強く突き刺さるように鋭く光る。
「でも、俺はおまえを1人にさせない。みんなの前から消えるなんてことさせない。俺がおまえを守る。」
紫織は少し繊細で女神のような清麗な顔を少し歪める。
「よしてくれ、君まで好奇な目でみられる。そんな思いは僕だけでいい。もともと慣れてるしね。」
紫織は諦めているかのような薄ら笑いを浮かべた。
「紫織!」
聖護がすごい目つきで凄んだ。紫織は一瞬息を呑む。
「そんな風に自分を追い込むなよ。おまえは本当は慣れてなんかいないだろ?本当は人一倍傷つきやすいし、寂しがりじゃないか。それにおまえが悲しかったり、つらかったりすると俺はおまえ以上につらい。前にも言っただろ?俺にとってはかけがえのない友達なんだ。」
聖護はイラつくように言葉を吐き出した。どんなにつらくても決して自分に甘えて頼ってはくれない紫織に聖護は腹を立てていた。そんな聖護の思いが伝わったのか、紫織は蒼い瞳に複雑な思いを表わすかのように聖護の黒い瞳を見つめてくる。聖護もその思いを汲み取るように見つめ返す。二人はしばらく見つめて合っていたが、ふっと紫織が視線をはずすと、そのままきびすを返した。
「わかった。聖護。でも、笠井と七海には真実を話す。場合によっては斉藤にも。」
「斉藤?」
紫織の背中を見つめる聖護は一瞬眉を吊り上げた。
笠井に(実際は魔物だが)追い詰められて屋上から飛び降りようとした少年だ。聖護は、紫織が、自分のこと以上に他人のことにやさしさを見せる紫織に感心して驚いた。しかし、紫織の繊細な神経を考えると、あまりにも人に優しすぎる紫織に一抹の不安も感じていた。人に優しすぎて時に自分を追い詰める、だから聖護の存在が必要だと、以前、涼子が言っていたことを思い出した。この様子だと自分をどんなに傷つけてでも、赤の他人を救うことに身を投げ出してしまうのだろう。今更ながら、聖護はその言葉の意味をかみ締めた。もしかしたら魔王を封印できているのは自分じゃなくて、そんな人として気高く菩薩のように慈悲の心を紫織自身が持つからではないか、自分はただの番人で、そんな紫織を守ってやるのが役割ではないかと聖護は漠然と思った。
「そうか、斉藤もいたな。おまえはまったく…。」
そういって諦めたようにややため息をつきながら笑った。
「すまない、君には迷惑をかけると思う。でも、このままにしておけない。」
そしてすっと体だけ半身振り返り、真剣なまなざしで聖護を見た。
「笠井に、真実を話してやってくれないか。おそらく僕のことは彼は知らないだろうから。君があの場にいて、今の笠井と会っているしね。君が話しをした方がいいと思う。僕は、七海と斉藤に。」
聖護はだまって頷いた。
「それから…、笠井と斉藤を会わせようと思うんだ。」
聖護はそれにも驚いた。
「彼らは加害者と被害者の立場かもしれないが、お互いが憎みあっていたわけじゃない。互いが被害者だ。真実に向き合っていく時にきっとわかりあえると思う。僕はそう信じている。」
そういって聖護の眼を見つめてくる蒼い瞳はどこまでも透明でクリアだ。
「わかったよ。まったく、おまえは…。」
急に表情を柔らかくして微笑むと、聖護は紫織に近づいて同志のように肩に腕を回して引き寄せた。少し紫織はおどろいた顔をしたが、聖護の後押ししてくれるような気持ちが伝わってきて心地よく笑って受け入れた。力強い腕に押されるように紫織は聖護と一緒にもと来た道を戻った。
教室の廊下で、七海は1人ベンチに座って考えごとをする風にして、紫織を待っていた。ふと、和やかな雰囲気で紫織と聖護が近づいてきたのに気付いて立ち上がった。さっきまで、どっかよそよそしい雰囲気があった二人は今は微塵もそんな雰囲気がない。二人の間に何があるのかははかりしれないと思いつつも、七海はなんだかその部分に触れてはいけない気がして、いつも気付かないフリをしていたのだ。紫織と聖護は七海を見つけるとふと顔が真顔になる。少し緊張した面持ちで近づいてくるのが七海にもわかった。
「七海、ここじゃなんだから、医務室行こう。」
聖護の言葉に七海が不思議そうな顔をしている。
「医務室?なんで?」
「なんでも、いいから。行けばわかる。」
そう聖護に言われて、仕方なく聖護達の後に続いた。
笠井と斉藤を助けるために、真実を話をすることを決意した紫織。はじめは紫織の身を案じて反対していた聖護も紫織の思いを受け止めて、改めて紫織を守ることを決意する。次回は、七海に真実を告げます。七海はどう受け取るのか。次回も是非よろしくお願いします。