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第2話 瞳の記憶

新緑の頃の光陵学院中等部の校庭はさわやかな初夏の日差しの下、多くの生徒の声であふれていた。校庭の東側の野球場では、体育の授業で今年の新入生のクラスが威勢よく野球でも盛り上がっている。


「聖護!かっとばせよ!でかいのかましてやれ!」


「おお!まかせろ!」


聖護は少し腰を低く構えるとピッチャーを鋭くにらみつけた。一瞬ピッチャーがひるんむ。ボールはすっぽ抜け、高めのいいコースでやってくる。


「やったね、いっただきー!ありがとさん!」


思いっきりボールを見ながら振りぬくといい手応えでボールをはじき返した。ボールはみごとホームランになった。ベンチからチーム全員が勢いよく飛び出しきて、大声で歓声を上げながら手を振っている。聖護はボールを眺めながら満足げに走り出す。ボールはややライナー気味で東校舎の奥の開かれていた1階の窓に飛び込んだ。


「おお場外じゃん。やるねえ・・・。」


歓声の中、上機嫌でダイヤモンドをまわり、ゆっくりとホームベースをふんでベンチに戻ってくると、ベンチの前では皆並んで両手を広げていた。聖護はその手に元気よく叩いて応じた。聖護がベンチに座り込むと、体育教師の紺野が近づいてきた。紺野は身長が185センチはゆうにあった。学生時代はずっと柔道で鍛え、国体でも上位につねに入る強者だったらしく、筋肉の塊みたいな体格をしている。性格はいたってさっぱりの体育会系で生徒からも人気がある。しかし、ターミネーターみたいな体格は、165センチにようやく届こうとしていた若干13歳の聖護にとっては目の前に立たれるだけでかなりの威圧感がある。紺野がその大きな体をかがめて、ベンチの中を覗きこんで聖護に話しかけてきた。


「なかなかやるなあ、聖護。」


紺野はニコニコしている。


「お前にご褒美をやろう。」


「え?気持ち悪いなあ。どうせろくなもんじゃないだろうし。」


聖護は少し引き気味に引きつり笑いで応える。


「お前ひねくれもんだなあ。」


紺野は豪快に笑いながら近づいてきて、ごつごつした大きな手で聖護の頭をつかんで引き寄せるとぐるぐるなでた。


「でも、いい感だな。ボール少ないんだよ。自分で飛ばしたもんは自分でとりに行こうな。はっはっはっはっはっは!」


「えー?ホームラン打ったのになんで俺が行くんだよ〜。」


「いいじゃないか。相手は弱いから当分攻撃だろうし、お前さんがいなくても勝てるさ。もたもたせんとはよいってこい!」


聖護はどーんと背中を押されて飛ばされる。あやうく転びそうになるのを抜群の反射神経で立て直した聖護がもう一度紺野を振り返ると、ニコニコしながらも目は探しに行けと命令していた。


「ちぇっ!わかったよ。行けばいいんでしょ。行けば!」


むっとしながらも紺野の迫力に押されて結局自分で探しに行くことになってしまった。しかたなくあきらめたようにグランドに背を向け、東校舎へと小走りにかけていった。

聖護は東校舎の一番奥まで来ると、ボールが飛び込んだはずの教室の窓から中をのぞきこんでみた。ざっと眺めても見当たらない。しかたなく、聖護は教室の窓に両手をかけると軽々と窓を飛び越えて教室の中にはいった。誰もいない。周りを眺めると、カーブで変形させたモダンな木製の机と椅子が不規則に並んでいる。左の壁側には最新らしき本がディスプレイされて並び、反対の壁側には上質な黒革の大きなソファが鎮座している。入学当初、構内の案内で見学に来た覚えがあった。


「なんだ、図書館の閲覧室か。」


ぼそっと言った瞬間、


「これ?」


教室の奥から声がした。教室の左奥には書庫に通じる扉がある。その扉が開いてボールを手にした少年が現れた。少年には見覚えがある。同じクラスの間宮紫織だ。聖護より小さく全体に華奢な体つきで、一見、年下の少女のように見える。紫織は野球のボールとはそぐわない細く白い手で握ったボールを聖護に差し出した。


「ああ、そう。拾ってくれたんだ。ありがとう。えっと、間宮っていったけ?」


ボールを紫織の手からとろうと近づこうとすると、紫織はボールを聖護の方向かって軽く投げてきた。


「おっと」


聖護はあわてて体制を変えてボールをキャッチし、つかんだボールを見てから笑顔でもう一度話しかけた。


「ありがとな。」


そういった瞬間目が合った。聖護はその瞳に釘付けになった。どこまでも深い海の底を覗き込んだかのような深みのある蒼。何か深い悲しみをぶつけてくるようななんとも言えない瞳だった。 入学式の日にはじめて紫織と会った時にもそう感じたのを思いだした。なぜか、思わずその思いを掴みとりたくなるような気持ちに駆られるのだ。二人はしばらく見つめ合った。。そのうち、紫織はニコリともせずに、強引に聖護の視線から自らを引き剥がすようにきびすを返すと扉の中に戻っていった。


「なんだよ。あいつ。愛想悪いやつだなあ。」


聖護はそうぶつくさ言ったものの、紫織の自分を見る目が気になっってしかたがなかった。

 聖護は紫織が入っていった扉を覗きこんでみる。そこは窓はなく外の光が閉ざされていたが、部分的に小さな蛍光灯がついておりその明かりで周りが見渡せる程度には明るくなっていた。中は色あせた本がぎっしりつまった高い棚が何列にもつらなっていて、所々高い棚の本をとるために梯子のようなものが棚と棚の間に備えつけてある。まるで生き物の気配が感じられない。重く静かな空間に古い本の独特の匂いがして、聖護は一瞬厳かな気分になる。いつの間にか吸い込まれるように書庫に足を踏み入れていた。周りを眺めながら中ほどまで行くと、その奥に準備室とかかれた扉が少し開きかけて光が漏れているのに気がついた。

 聖護が興味本位にそこを覗くと、中では紫織が窓に持たれて初夏のすがすがしい風を受けながら本に目を落としていた。紫織の肌は白く透き通っていてやや青みの光を帯びている。まるで白磁のようにひんやりとした神々しさがあった。あの深く蒼い瞳とのコントラストがよりいっそう白さや透明感を引き立てていた。髪は浅い茶色で光に透けてほのかに金色に輝き、しなやかなシルクのようにやわらかく風になびいている。その横顔は美しい少女のようでどこか、孤高に立つ野生動物の気高さのような凛とした雰囲気を漂わせている。本に向けられた瞳は窓から入る光を受けて深い海の底を映しだしている水晶のように透きとおり、その神秘的な美しさに聖護は目を奪われた。紫織は自分に浴びせられた視線に気づいて顔を上げて、まっすぐ聖護を見据えた。あの蒼く物悲しさが匂う視線を聖護は再び受け止める。


「まだ何か用でも?」


眉を少し吊り上げやや不機嫌そうな声で聖護に話かけた。


「いや・・・、そ、そうじゃないけど、紺野の授業いつもやすんでるなと思って・・・。」


聖護は紫織の思いを探ろうと気をとられてしまい、応えにうろたえてしまった。あの瞳は吸い込まれそうだ。つい、このなんともいえない切ない思いを受け止めようと躍起になってしまう。なんだろう。でも、どこかで・・・。なつかしい瞳のような気もする。聖護はじっと見つめて視線をそらさなかった。二人は見つめあって動かない。はじめに動いたのは紫織だった。紫織の瞳に救いを求めるような感じが一瞬あらわれた。聖護はドキリとして目を見開く。瞬間、紫織ははっとして急に視線をそらした。


「運動は医者から止められてるんだ。心臓があまり丈夫じゃなくて…。」


ちらっと聖護を見て再び本に視線を戻した。


「心臓?そうか…、俺、悪いこと聞いちゃったな。ごめん。」


紫織は本に視線を落としたまま無反応だった。聖護は間が悪くて一瞬、言葉を失ってどうしたらいいかわからずもてあました。


「…ボール…ありがとう。邪魔したな…。じゃあ。」

聖護が振り返ろうした瞬間、突然、体を突きとばされた。聖護の体が準備室の扉にぶつかって、けたたましい音とともに勢いよく閉められ、聖護はその扉に体を押し付けられた。


「いってえ…!何?」


気付くと紫織がすっぽり聖護の腕の中にいる。おどろいて心臓の鼓動が早くなる。しかし、聖護は、ふと、なつかしさと何かもうひとつ忘れていた大切なものに出逢ったそんな感覚にみまわれた。なんだろう、ぼんやりと確かに覚えがあるのに思い出せない。紫織があわてて起き上がって、聖護の目の前にもうひとつボールを左手で差し出した。


「君たちは教室をねらっているのか?気をつけるように言ってくれよ。」


紫織は強い口調で言い放つと立ち上がった。そして威嚇するような瞳で聖護をにらみつけた。海のように深く蒼い瞳は迫力がある。

聖護はむっとした表情で負けじと視線を返す。今度はお互いにらみあうことになった。

聖護は一歩も引かなかった。まっすぐ黒く澄んだ瞳でじっと紫織を見据える。


「いつまで寝てるんだよ。」


紫織は急に視線をそらし、バツが悪そうに唐突に聖護に右手を差し伸べた。紫織の手は華奢で白く細長い指をしていた。聖護は差し伸べられた手にドキッとして再び紫織の顔を見上げた。


「おまえ、心臓弱いんじゃないのか。」


疑うように聖護は問いかけた。紫織はビクッとして、差し伸べた手をとっさに引いて背を向けた。


「これくらいは平気だよ。大丈夫なら早く出て行ってくれよ。僕は静かに本を読みたいんだ。邪魔しないでくれ。」


聖護はさらにむかっとしたが、同時に自分をかばってくれたことに気付いて、目の前で突き放すように威嚇してくる紫織は、本当はやさしいやつなんじゃないかとふと思った。


「わかったよ。かばってくれてありがとう。」


そういって、聖護は立ち上がって準備室の扉に手をかけた。


「おまえ、女みたいだな。その…美人だし…。」


少し照れながら言いかけて振り返った。


「うっ!」


聖護の体が重い鈍い音とともに再び扉に貼り付けられた。見事にボールが聖護のみぞおちに命中していた。聖護はほめたつもりだったが、紫織のカンに触ったらしい。


「これ以上邪魔するとそれだけじゃすまないからな!」


紫織が白い頬を紅潮させて蒼い瞳でにらんで立っていた。


「うっ…いてっ…なんだよわかったよ…。ひでえなあ。じゃあ、そこにあるボールをくれよ。今度はなげるなよ。」


聖護は体をゆっくり起こしながら口元が少し笑った。紫織は鬱とおしそうに自分の足元に転がってきたボールを取ると、しぶしぶ聖護に近づいて手渡ししようとした。瞬間、聖護は紫織の手首を掴み、体を引き寄せて回転して、今度は聖護が紫織の上に馬乗りのように覆いかぶさった。聖護は喧嘩に負けたことがない。上級生でも一目置いてくるほどだ。油断させて一撃を食らわす。喧嘩では当たり前のやり方だった。聖護は顔を近づけてその黒く澄んだまっすぐな視線を再び紫織に向けた。普段の聖護は明るく人懐っこい性格が影響してやんちゃな少年らしい親しみやすい雰囲気が漂っているが、ひとたび怒らせると、もともと野生的な精悍な顔立ちで目は特にするどく、喧嘩のときのにらみには凄みがでる。


「このやろう!いい気になりやがって!おまえ本当に心臓弱いのか?」


聖護は紫織の制服の襟を掴んでさらに強くひき寄せた。紫織は抗おうとしたが、強い力でねじ伏せられて、あきらめたように脱力した。白い肌が赤く染まり、目をそらして何も言わない。聖護はそんな紫織をまじまじ眺めた。近くで見ても本当に紫織の肌はなめらかで透き通るように白い。そらした目は伏せ目がちで、少女のように長い睫毛が憂いを含んでいた。本当に男とは思えないぐらいの繊細な美しさである。聖護ははっとしてそれを振り払うかのように気を取り直し、紫織の制服を握る手に力をこめた。


「お前のその目!なんか俺に言いたいことでもあるのかよ!はっきり言えよ!」


紫織はその言葉にはっとしてさらに顔を赤くしてこちらに振り返った。またもやあの蒼い瞳と目があった。聖護は一瞬、その瞳に囚われる。その瞬間、鈍い痛みを感じた。


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