第18話 探り合う心
台風の目にはいったのか、さっきまで荒々しく暴れまくっていた風と雨が止み、あたりは不気味な静けさに覆われていた。窓から見える空は赤土を混ぜたような泥色の重そうな空が天からずっしりと圧迫してくるようだった。厚い雲で光が閉ざされているはずなのに周りの景色は異様な程くっきり浮き出て、先程までの嵐の爪跡を残した光景は色あせた写真かと思うぐらいに今は動きを停めている。嵐の前の静けさとともになんともいえない不気味な雰囲気が漂っていた。
聖護と涼子は聖護の手を握って安心したように眠る紫織の様子を傍で見ながら、しばらく黙ってじっとしていた。医務室も外の嵐の音が静かになった所為でシーンと静まり返る。ふと、静けさを突然破るように診察室の電話が鳴り響き、二人してはっと顔を上げた。涼子は聖護と目をあわせると、少し微笑んで安心させるように聖護の肩に手を置きながらゆっくりと立ち上がって、電話の鳴る方へと吸い寄せられていった。
「はい。医務室…。ああ、総真。えっ?ああ、ここにいるわ。ええ…、ちょっといろいろあって眠ってるけど、大丈夫よ。…ええ、…ええ、わかったわ。じゃ。」
聖護は総真という名前が聞こえて一瞬反応したが、助けを求めるかのように必死に握ってくる紫織の手の上にもう一方の手を優しく重ねた。
「総真だったわ。紫織君に連絡が取れないって心配してかけてきたみたい。ここにいることを伝えておいたわ。病院棟にいるって言ってたからそのうちやってくるわよ。眠ってるって言ったら慌ててたわ。ほんと、あなたもそうだけど、総真も紫織君に関しては過保護なぐらい心配するんだから。」
涼子はクスクス笑いながら聖護の傍に戻ってきた。
「総真さんも?」
聖護はちらっと涼子を見上げる。
「ええ、総真は後見人って言っても紫織君がかわいくてしょうがないのよ。なんせ、あの家で年の離れた兄弟みたいにずっと一緒に暮らして来たんですもの。」
聖護は一瞬ほっとしたような顔をする。
「そうか、オヤジさんがなくなってからずっと一人ぼっちではなかったんだ。よかった。紫織はずっと1人で寂しい思いをしてきたとばかり思ったから…。」
聖護がやんわり笑った。その様子に涼子は穏かに目を細める。
「確かにこの力のことで彼の心は振りまわれされて、心のバランスは乱れがちだったけど、心配性な父親のような兄貴とおせっかいなぐらいの世話焼きの気のいいおばあちゃんのような家政婦さんが愛情を注いできたわ。」
「それと心配性で世話好きの兄のような姉のような諏訪先生とね。」
聖護がそう添えると涼子は意外な顔したが、瞬間ぷっと吹き出すと、聖護もつられて声を出して笑った。途端ににいつもの穏かな空気が戻ってきた。
「心配して来てみれば楽しそうに笑ってるんですから、いったいどうなってるんですか?」
不意に休養室の入り口から低いバリトンの声が響いて、聖護と涼子が声の主の方に振り向いた。そこには長身の美しい彫刻のように整った顔立ちの紳士がやや複雑な微笑を浮かべて立っていた。
「ああ、総真、ごめんなさい。気付かなかったわ。」
涼子は総真を見るなり、ニッコリと親しげな笑顔を向ける。それだけで、ただの知り合いではなく、長い付き合いで信頼関係があるのが聖護にもすぐにわかった。聖護は座ったままだが、丁寧に頭を下げた。総真はそれに対して美しい動作でスマートにお辞儀を返す。同時に聖護が紫織の手を大事そうに握っているのに気がつくと、総真はその整った無表情の顔を微妙にしかめた。
この少年、以前に見たことがある。総真は咄嗟に思った。紫織が学校の帰りにめずらしく途中でどこかに寄った折、アビスという少し変わった美しい黒猫を抱いて戻ってきた。その黒猫は今、間宮の家で紫織の傍に常にぴったり寄り添っている。あの時、紫織と一緒にいた少年に違いなかった。彼はまるで紫織を守るように傍に寄り添ってた。紫織は決して人を受け入れなかったのに、彼にだけ接する態度が違っていたのが、総真は酷く気になっていたのだ。
「ああ、彼は須崎聖護くん。 紫織君と同じクラスで何かと紫織君の面倒を見てくれてるのよ。」
名前を聞いて総真が知的で整った額を微妙に動かした。
「須崎?」
涼子が総真を見てにやりと笑う。
「そう、さすがね、気がついた?須崎先生のご子息よ。」
「そうでしたか、須崎先生の…。いつ日本へお帰りになったのですか。」
聖護はどうやら総真も父親のことを知っているらしいことを知り、急に緊張してきた。
「…あ、はい。もう日本に帰ってきて8年になります。」
「そうですか。君はこの学院には初等部からですか。」
総真は感情を表わしていない微笑を浮かべて聖護に再び尋ねた。
「いえ、近所の学校区の小学校に行ってました。こちらへは中等部からです。」
二人のやり取りを見ていた涼子はため息をつくと二人の間に割って入った。
「ちょっと!総真、そんな顔して尋問みたいに聞かないでよ。聖護君困ってるじゃない。」
その一言に聖護はやや顔を赤らめる。
「え、いえ、いいんです。先生。」
総真は表情を変えずにちらっと涼子の顔を見る。
「すみません。そんなつもりはないのですが…。お気を悪くなさいませんでしたか?」
聖護は軽く頭をふった。総真は、誤りながらも聖護の顔を見つめてきた。その視線は相手を見極めているようでいてどこか威嚇するような鋭さをも持っていた。総真は相変わらずの社交辞令のような微笑みを浮かべてはいたが、その下に感情は見えない。さっき涼子から聞いた心配性の父親のような兄貴のようなイメージがなじめずに聖護はなんだか違和感を感じていた。
「総真、紫織君は今安静にして眠ってるわ。聖護君がいれば大丈夫。ちょっと話があるの。いい?」
そう言うと涼子は診察室を指で指し示した。総真は黙って頷くと診察室に向かって出て行った。
「聖護君、総真は私以上に紫織君の不思議な力を目の当たりにして心配してる口よ。 もともと、紫織君の事情は私と総真しかしらないことだったの。だから、さっきの話を総真にもしていい?」
聖護は、だまってこくりと頷いた。涼子は安心させるようにいつものグラビアアイドル級の笑顔を向けると休養室を出て行った。
涼子が休養室の扉を静かに丁寧に閉じて振り向くと、総真は窓際で外を眺めていた。その横顔を一瞬眺めて軽くため息をつくと総真に近づいた。
「気になる?」
総真は動かずに視線を一瞬ちらっと涼子に向けたが、表情は変えずにまた窓の外に視線をやった。
「普通の学生のように過ごさせてやりたいっていつも言ってたでしょ?聖護くんに出逢ってから紫織君はとても変わったわ。最近、張り詰めた危うい感じがなくなって穏かな表情になってきて、いい傾向よ。」
涼子は真顔でそのまま話しかける。総真の視線は窓の外にあったが、実際には外の景色に意識はないようだった。じっと一点を見て神経は涼子の話に向けられていた。
「須崎君は特別ってことか…。」
総真は表情を変えずに淡々と答える。
「そう、彼らは出逢うべくして出逢ったんだと思うわ。紫織君にとっても聖護君にとっても互いに運命の相手だったのよ。はじめから彼らは潜在的に気付いてたのよね。互いに何かひきあってた。どこがとはいえないけど、二人を見てて他の子たちとは違う感覚を私も感じていたわ。」
総真は相変わらずじっと外を見て黙っている。
「聖護くんね、紫織くんと同じような力を持ってるらしいの。私はさっき目の当たりにしたわ。」
総真がその言葉にはっとして振り返る。
「同じような力?」
涼子は振り向いた総真の目を見て頷いた。
「さっき、何があったのか、まだ二人が話してくれないからわからないけど、聖護君がふらふらになりながら意識のない紫織君を抱えてきたの。そして紫織君が眠っている傍らで不思議な白い光を放って紫織君の心や体を癒していたの。おどろいたわ…。でも、みるみる紫織君の表情が穏かになり、顔色もよくなっていったわ。」
総真は信じられないといった顔をして涼子をじっと見た。
「そう、聖護くん自身はまだよくわからないといってたけど、この力は最近になって目覚めたらしいの。紫織くんの身に危険が迫るときや怪我をしたりした時に無意識に現れるらしいわ。紫織君を守ったり、癒したりとまるで守護神のように…ね。」
涼子は真顔で総真をじっと見つめながら話を続けた。
「そして、あの警戒心の強い紫織くんが聖護くんには心を開きつつあるわ。」
総真はその端正な彫刻のように整った顔の眉間を一瞬動かす。
「その顔…。複雑な思い?ってとこかしらね。」
涼子はそう言って少し意地悪く笑った。
「なんのことだ?」
じろっと鋭い視線を涼子に向けた。
「いえ、別に…。あなたの気持ちはどうなのかしらって想像していただけよ。」
涼子の話に黙り込んで外を眺める総真に涼子は少しいらだちを感じて再び口を開いた。
「今のあなたの気持ちは親心なのか、兄としてなのか…。」
涼子は含みをもった話し方をしたので、総真の気に触れたらしかった。
「何が言いたいんだ?涼子。」
総真が再び振り返ると、いつものポーカーフェイスが崩れて少し棘のある表情でじろっと涼子を見据えた。総真は普段から無表情でクールな男だったが、紫織のこととなると顔色が変わる。涼子は鋭い視線をなげてくる総真に臆せず、まっすぐにその視線をうけとめた。
「愛してるんでしょ?ずっと昔から…。あなたはそういう目でいつもあの子を見ていたわ。」
総真がはっとする。
「なにを…。」
総真は一瞬顔をこわばらせたが、ふと涼子を見て苦笑する。
「あら、ごまかさなくてもいいのよ。ずっと昔から私は気付いていたわ。」
総真が急に真顔になった。涼子としばらく見つめあって沈黙すると、一瞬間があいてふと総真が自虐的な笑いを浮かべた。
「君と同じでかなわぬ恋とでも言いたいのか。」
「さあ、どうかしら。私は確かに…。もうかなわないわね…。この世にいないもの。私はあなたの友人として同情してるだけよ。あの二人の絆は半端じゃなさそうよ。あなたも覚悟しといたほうがいいかもね…。」
そう言って涼子は総真を見ながら寂しそうに笑った。
紫織にいったい何が起こっていたのか、心に不安を抱えながらも、紫織を気遣う聖護。総真と涼子の含みのある会話。これから少しずつ、紫織と聖護、涼子と総真の想いが明かされていきます。