第14話 心の棘
涼子が斉藤の自宅に連絡して30分程して、母親が迎えにきた。斉藤の母は思っていたよりも若く、3人は驚いた。服装はシンプルで派手さはないが、どうみても20代半ばだった。電話で聞きつけて慌てて医務室に駆け込んできた。しかし、斉藤を前におろおろして立ち尽くしている。その様子を涼子は訝しげにじっと見ていた。
「あの…、斉藤さん、ちょっといいですか。あちらでお話があります。」
涼子がそう告げると、びくっとして一瞬すがるような目で涼子を見た。涼子はその目を見て少し複雑な表情をしたが、何も言わずに診察室へ誘導して、診察室の椅子を勧め、自分もデスク側の椅子に腰掛けた。
「お話は先程させていただいた通りですが、弘樹くんはお家ではどんな様子でしたか?何か、おかしな様子はなかったのでしょうか。」
涼子は怯えるように小さくなっている斉藤の母の目を見て落ち着いた口調で話しかけると、その言葉にビクッとして下を向いてしまった。
「斉藤さん?どうかしましたか?」
返事がない。しばらく沈黙が続いた後、急に斉藤の母が泣き出した。涼子は驚いて傍に椅子を動かすと、横について背中に優しくふれた。
「どうなさったんですか。急に。」
優しく語り掛ける。
「すみません…、取り乱してしまって…。」
そういって持っていたバックからハンカチを取り出すと後から後から流れてくる涙を押さえて大きく行き吸い込むと呼吸を整えた。
「私…、あの子の本当の母親じゃないんです。私の夫の前の奥様との間に生まれた子なんです。とっても、やさしくていい子なんです。後妻で来たのに文句も言わず、とても良くしてくれます。特に父親の前では人一倍気を遣って仲良くやっているように見せていました。でも、実は私に気を遣ってるだけで、彼は自分のことを何も話してくれないんです。私も彼が話したがらないのにいろいろ聞くのはとためらってしまって…。時々怪我をして帰って来ていたり、様子が変なのは十分承知していたのですが、一度尋ねて何でもないと断られると、もうそれ以上聞けなくなってしまって、いつのまにか腫れ物に触れるような状態になってしまっていたんです。私の所為です。私がもっと話を聞いてやれば…、ううぅ…。」
斉藤の母は声を押し殺すように嗚咽した。涼子はその背中をやさしくさすりながら、穏かな声で話しかけた。
「ご自分を責めないでください。あの…失礼ですが、もしかしてお子さんを持つのは弘樹君はじめてなのでは?」
斉藤の母ははっとして目を開けて床をじっと見つめた。
「やはり、そうなんですね。初めてですもの、戸惑うのは仕方ないですよ。でも、今あなたはどうするべきだったかが自分でわかりましたね。これからでも遅くないのではないでしょうか。今一番つらいときにあなたが傍にいてあげて弘樹くんをわかってあげることが大切ではないでしょうか。」
斉藤の母が目を見開いて顔を上げた。涼子はその目を見て優しく微笑んだ。
「本当のお母さんになるチャンスですよ。今すべきことは嘆き悲しんでいることじゃなくて、あなたが弘樹君の思いとこの現実から逃げないで向き合うことです。そんなに弘樹君のことを思ってるあなたならきっとできますよ。」
斉藤の母は、涼子を見つめながらも大粒の涙を浮かべて大きく頷いた。そうして、斉藤は母親が連れて帰っていった。3人はそれを見送ると、涼子は2人に振り返った。
「おつかれさんだったわね。でも、よかったわ。斉藤くん助けることができて。なんとかあの親子、立ち直ってくれるといいわね。あの子が、学校に来たらよろしくね。乗りかかった船だから、最後まで同乗してもらうわよ。」
涼子がそういって笑うと2人はほっとしたように頷いた。
翌日は朝から荒れ模様で、この分だと昼頃で授業は中止になりそうな様子だった。昼過ぎには大型の台風が上陸すると朝からけたたましくニュースが流れている。
沖縄付近を中心気圧920hPa、中心付近の最大風速50m/sと猛烈な勢力で通過した台風8号は、
中心気圧965hPa、中心付近の最大風速35m/sと大型で強い勢力を保ったまま、以前北上中…。
「紫織さん、今日は雨と風が強いので医務室の方に停めます。」
総真の言葉に紫織は頷いた。その様子を総真はルームミラー越しに確認する。夏の合宿以来、紫織がひどく穏かな表情をして、体調もこのところ安定していた。しかし、数日前から、少し様子がおかしかった。以前ほどではないものの、時々何かじっと考え込んでいるような感じだった。
「紫織さん、帰りもここからのほうがいいと思います。授業が終わり次第連絡してください。私は今日はお祖父様の用事で病院の方に居りますから。」
「わかった。」
紫織は車を降りるときにちらっと総真を見て返事を返すと、校舎の中に足早に消えていった。総真はその後姿をじっと見つめていた。
教室では、今日上陸予定の台風の話題で持ちきりだった。紫織は教室の後ろに備え付けられているロッカーで教科書や筆記用具を出すと自分の席に向かった。紫織の前の席の七海は既に座っていて、紫織に気付いた。
「おはよう。間宮。」
「おはよう。」
そういって無表情にちらっと七海を見る。七海は最近、紫織がこんなそっけない態度でも、ひどく打ち解けている状態だということがだんだん理解できてきたので、前ほど気にしなくなった。
「間宮さあ、聖護となんかあったのかよ。あいつ昨日一日怒ってたぜ。おまえが隠し事るっていって。あんな調子じゃ、だれも寄り付きやしない。こっちはやりにくくってしかたないつうの。なんで俺がみんなに気をつかわないといけないんだよ。もう少し、聖護に優しくしてやってくれよ。おまえのこととなると誰も手がつけられないんだ。あいつの機嫌直せるのおまえしかいないんだぜ。」
そういって困った顔して訴えた。紫織はだまってじっと七海の話を聞いていた。
「おはよう。七海くん。」
ふいに後ろから声がかかり、七海がびくっとして振り返る。
「あっ…やあ…聖護。おはよう。」
七海が引きつり笑いをして振り向いた。聖護が七海を睨みつけている。
「なんの相談だ?」
低い声で聖護が凄む。
「いや、別に…。台風の話さ。」
そう言ってあわてて七海は席を立って廊下に出て行った。
取り残された紫織は聖護と目が合う。しばらく見詰め合う。
「夕べ、風邪引かなかったか?」
聖護が真顔でぎこちなく声をかける。
「ああ、大丈夫。」
そうこたえるとすぐに開いた本に視線を落とした。聖護はその様子にピクッとこめかみを動かした。
「斉藤のことだけじゃなく、まだ、何か隠してるだろう?」
紫織は一瞬ビクッとする。
「おまえ、また、1人で何かしようとしているんじゃないのか。俺に話せないことか?」
聖護の口調は落ち着いて聞こえるが、明らかに怒っている。聖護の握られた拳を見れば、怒りを抑えているのが手に取るように伝わってくる。紫織は聖護を見上げた。その時、担任の柳が入ってきて、散らばっていた生徒たちがガタガタ席に着いた。仕方なく聖護も斜め後ろの自分の席に座った。聖護は一瞬だったが、自分の顔を見上げた時の紫織の助けを求めるような瞳がひどく気にかかった。
案の定、午前中で授業は中止になり、ばたばたと生徒達は帰りはじめる。外は大分雨や風が強く、暴風雨警報にふさわしく、建物はゴウゴウと唸り声をあげ、窓ガラスは時折吹く突風に外れそうな勢いでガタガタ音を立て、今にもガラスがはじけそうだった。
聖護は職員室に用事で呼ばれていたが、用事を足して教室にも戻って来るともう誰もいなかった。ふと、聖護は紫織の席を見た。教科書が置き去りになっている。几帳面な紫織が出しっぱなしで帰るはずもない。聖護は嫌な予感がして、あわてて教室から飛び出した。廊下にでて、広場の様子を一通り眺めた。人はまばらになっていて、紫織の姿は見当たらなかった。聖護はふいに何かを感じ走りだした。
紫織は朝から笠井の様子を遠くから見ていた。今日は特に強烈な気を発散していた。紫織はいやおうなしにその気に反応してしまう。かすかに蒼い瞳の奥にくすぶるように紫の光がぼんやりと光っていた。紫織が3階から様子を見ていると通りすがる誰もが、笠井を怖がって避けてとおっていく。笠井の顔はいつになく不気味な笑みを浮かべていた。ふと、笠井が紫織の視線に気づき、立ち止まってじっと睨みつけてきた。しばらく互いに視線を交わす。やがて笠井はにんまりいやらしく笑った。紫織ははっとした。気付かれた?笠井はそのあと一度も紫織を見ることもなく、そのまま歩いてどこかに消えてしまった。嫌な予感がした。あの笑いは確かに笠井は何かに気付いたようだった。
午前中の授業が終わって、ロッカーにバックを取ろうと席を立った時、教室の入り口でじっと紫織を見ている笠井に気付いた。紫織がその視線に気づくと、笠井はニッコリ笑って近づいてきた。
「君、確か、間宮くんだよね。怖いぐらい綺麗な瞳をしているね…。それに…。」
笠井がいやらしく、にんまりと笑った。その顔に紫織は寒気がした。
「いい匂いがする。我らと同じ…。」
紫織ははっとして体が硬直する。その瞬間、心臓がバクバクして張り裂けんばかりに激しく打った。頭の中で警鐘が響き渡る。
ーコイツハキケン!ー
急に血の気が引いていくのを感じた。緊張して堅く握られた手のひらは冷や汗でべっとりしてきた。
「ちょっと、君と話がしたい。来てくれないかな。」
笠井は不気味な笑みを浮かべて薄いスモークグレーの冷酷な瞳で紫織をじっと睨んだ。
笠井が紫織に気付いた。紫織と笠井の不気味な笑みに恐怖する。次回も是非お付き合いください。