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第10話 魂の記憶

 赤く染まっていた空は、次第に紫へと変わりやがて青みを帯びた闇へと表情を変えた。太陽の明るい光を失った空には満月に程近い落ちそうなぐらいの大きな月がどろんと重く横たわっている。あたりは明るいのだが、妖しげなものが蠢きそうな陰な雰囲気で昼間の目の覚めるような美しい景色とはまったく相反するように、夜になって不気味におどろおどろしい。聖護は仲間と1015室に集まっていた。ベランダの椅子に腰掛け七海と外の景色を見ながらくつろいでいる。夜は幾分涼しくてやや風があるので日焼けした肌に心地よい。


「いいのかよ。間宮ほっといて。」


「ああ、もう熱も下がったし、心配は要らないと思う。」


「そうじゃなくて、一人でおいといていいのかってことだよ。」


「ああ、大丈夫だろ。夕方まで寝てたからきっと今頃腰を落ち着けて本読んでると思うよ。あいつ何冊かもって来てたみたいだからな。いないほうが集中できるだろ。」


「へえ、ほんと本の虫だな。お前あいつといつも何話してんの?」


「なにって普通の会話だよ。」


 七海は今朝から紫織のこととなると唐突に痛いところをついてくる。聖護はおもむろに夕方の紫織が手を握ってきたときのことを思い出し、一瞬焦る。夕方の紫織のあんな辛そうな顔を見てしまうと今すぐに部屋に戻ってでも紫織の傍にいてやりたい衝動に駆られるのだが、聖護は昼間の七海のことも気になっていた。紫織は後から部屋でまた顔を合わせることができる。海で七海が言ったことが聖護は気になって今はどうしても七海と話をしないといけない気がしたのだ。


「それより、七海、お前が昼間言ってた誰かに呼ばれてるって話、あれ、ちょっと話しててみないか。」


「ああ、あれか。」


七海の顔が少し真顔になる。


「今朝、バスで寝てたときに見た夢なんだけど、ひどく鮮明で・・・。」


七海はいつもは涼しげに笑って真剣なのかふざけてるのかわからないぐらい軽く飄々としているのだが、今は真顔で記憶をたどるように低く落ち着いた声で話をする。


「普通は起きたときに覚えていてもすぐに忘れるだろ?でも、妙に鮮明に覚えてるんだ。しかも、出てきた女に見覚えがあるような気がして・・・。」


「女?」


「ああ、それがすごく綺麗な女なんだ。肌が白くて長い黒髪の。すごい美人だぞ。」


七海はにやっと笑う。


「なんだよ。まじな話かとおもいきや、お前の妄想かよ。」


「ばか、ちがうって。その女、俺をみるなり、イサキ、会いたかった、ずっと待っていたっていって涙を流すんだ。俺、なんだか、その女を見ると悲しくて申し訳ない気持ちでいっぱいになるんだ。もうじき会える、必ず会いに来てっていって消えた。それから、なんどか、イサキって呼ぶ声が聞こえるんだ。なんだか自分が呼ばれているような気がしてつい振り向いてその女の姿をさがしてしまうんだ。」


「お前に覚えはないんだよな?」


「ああ、記憶にはないと思うけど、なんか知ってる気がするんだ」


聖護ははっとした。紫織に会ったときになぜか懐かしく大切なものに出逢った気がしたことを思い出した。何かあるごとになぜか同じ思いに駆られるのだが、未だによくわからない。


「お前に覚えがないだけでどこかで会っていたのかもしれないな。」


聖護は七海にそう言いながら自分に重ねていた。


「俺もそんな思いに駆られたことがあるからわかるよ。どこかなつかしく知ってる気がするんだよな。なんだか大事なとても大切な想いだった気がするんだ。」


七海が驚いた顔をしてる。


「ああ、お前もそんなことがあるのか。」


「ああ、あったよ。俺は夢じゃなかったけど。未だになぜだかわからない。」


聖護は暗闇にどろんと浮かぶ怪しげな月に目をやって何かを思い出しているようだった。七海はその様子にふっと微笑む。


「お前、不思議なやつだな。こんな話誰も信じないと思ったけど、案外お前話せるんだな。俺はお前が一番信じないと思ったけどな。」


「どういう意味だ。」


聖護が軽く眉間にしわを寄せてじろっと七海を睨む。


「いや、超現実的なやつかと思っていたからな。別に深い意味はないよ。」


いつものように七海が涼しげに笑う。


「いずれにしてもなにかその後おかしなことがあったら言えよ。おまえ一人でなんとかしようとするな。おまえ、プライド高くって意地っ張りだしな。素直に頼れよ。」


七海は一瞬驚いたような顔をしてすぐにいつもの七海の顔に戻す。


「へいへい。親分殿。」


「おまえ、わかってるのか?ほんとに。何かかあってからじゃ遅いんだからな。絶対言えよ。」


聖護は真顔で鋭い視線を向けると七海は困ったように微笑んだ。


「ありゃりゃ、裕司くん、ピーンチですよ、親分。」


ふと七海が部屋の中でじゃれあっている数人の塊に目をやる。聖護もそれにつられて視線を七海から部屋の中に移した。3人がかりで裕司を押さえ込み枕で顔を押さえつけている。3人は笑いながら裕司にじゃれついているようだが、裕司は必死にもがいている。裕司はまだこの間の怪我が完治してないので足にギブスをしていて激しい動きは禁じられている。その様子に聖護が瞬間顔色を変え、勢いよく部屋の中に入っていった。


「やめろ!ばかやろう!」


ものすごい勢いで聖護の声が部屋中に響き渡る。3人はピタっと動きをとめる。その瞬間裕司は枕をどかしてはあはあと息を整える。部屋にはピーンと張り詰めた緊迫感が走った。


「お前らふざけるのもいい加減にしろ!裕司を殺す気か!裕司はまだ、本調子じゃないんだぞ。度が過ぎるぞ!もう少し裕司の体に気をつけてやれ!」


3人はもちろん部屋にいる全員が聖護の怒りにビビッている。かばってもらった裕司ですら固まっている。ベランダからその様子を見ていた七海だけは違った。楽しそうににこやかに笑っている。まるでその様子を楽しんでいるようだった。聖護を怒らせると誰もがその迫力ある勢いに飲まれて小さくなる。そのうちおずおずと裕司が3人をかばいだす。


「ごめん。ぼくがいけないんだ。調子にのっちゃって。僕はなんともないから、もう怒らないで。お願いだよ。聖護。」


裕司がくりんとした大きな目で泣きそうな顔をして聖護に訴えかける。聖護はその顔をみてふっといつもの顔にもどる。


「お前が謝るな。普通は悪ふざけしがすぎるこいつらがお前に謝るんだろう。お前、どこも痛くないか?」


裕司はコクンとうなづく。そうして3人が次々と裕司に声をかけた。


「裕司ごめん、俺たちお前が怪我してたこと忘れてたよ。」


「わりい、裕司。」


もう一人も申し訳なさそうに頭を下げている。


「よし、これから気をつけろよ。」


そういって聖護はにっこり笑うとまたベランダに戻っていった。七海が尊敬の眼差しで見ながらにやついている。


「なんだよ。」


「いや、見事なお裁きでございます。」


「なんだよ、その言い方。」


聖護がからかうような七海に睨み返す。


「おお、こわっ。お前の睨みって本当迫力あるよな。みんな引くよ。上級生にもにらみきいてるもんな。実際、へたな大人に叱られるより、お前の方が絶対効力あるよ。でも、普段のおまえって人懐っこくて気さくだからみんな普通に寄ってくるもんな、不思議だよな。間宮の睨みは氷つくけど、お前のは絶対の信頼感でまるで厳格な父親ににらまれてる感じだもんな。お前んちの親父相当怖いんじゃないの?」


「親父?別に。厳格かなあ?普通だと思うけど。母さんのほうが怖かったかな。」


「え?」


七海が驚いたように笑いころげる。


「なんだよ、そんなに笑いころげなくったって・・・。」


聖護はバツがわるそうに七海を見る。


「いや、お前に怖いもんがあるのかと思って。」


さらに七海は笑い転げている。


「以外に女に弱いのかと思って。厳格な男も女にはめろめろって感じだったりして。いいねえ、お前に彼女が出来たときが楽しみだ。期待してるよん。早く彼女つくってね。聖護くん。」


「ばかやろう、てめえ、一回ころす!」


聖護が七海に拳を上げて脅す。七海が防御するように手を上げて体をかばう。


「はいはいすみません。もういいません。聖護くん。格闘家のお前に殴られるのは勘弁。それに俺の美しい顔が傷つくと女子部にうらまれるよ。」


聖護が噴出す。


「あほか!七海。」


ベランダでなごやかに二人の笑いが広がった。


「ふああ。おれ、なんか疲れて眠いから、部屋帰るわ。」


あくびしながら突然七海が立ち上がる。


「そうだな、明日は優勝に貢献してもらわないといけないからな、体力温存してくれよ。」


笑いながら聖護が返す。


「お前はほんと熱いやつだなあ。」


七海が眠たそうなトロンとした目で聖護を見て笑った。


「わかったよ。じゃあ、お先に。」


七海が部屋の中の仲間にもう帰るのかと揶揄されながらも、冗談で軽くうまくかわして部屋を出て行った。ふと聖護が部屋の中の時計を見る。もうじき9時になるところだった。そろそろ紫織のことも気になるので聖護も部屋に帰ることにした。


「おまえらもいつまでもさわいでないで早く寝ろよ。じゃあな。」


そういって聖護が部屋を出た途端さらに声が大きくなる。


「あいつら、人の話聞いてねえな。」


軽くため息をついて自分の部屋に向かった。


 聖護が部屋に戻ると紫織の姿がなかった。聖護は嫌な予感がした。少しの間考えてすぐに部屋を出た。聖護は何だが紫織が館内にいない気がして小走りにまっすぐプールサイドを横切るとガーデンの出入り口からホテルの駐車場を抜けて外の通りに出た。そして迷わずホテルが建っている岸壁から見えるもう一つの岸壁の方に向かった。

 なぜなのかは聖護はわからないが、そっちの方に間違いなく紫織がいると確信していた。3分ほど歩くとホテルのガーデンの奥にあったように散策路の案内板がでてきた。聖護はその散策路に小走りで入った。いつもなら暗闇で懐中電灯でもないと辺りは真っ暗でなにも見えないはずが、今日は月明かりで辺りがはっきり見える。先程は大きく落ちそうだった月はもう高いところにあり、辺りをはっきりと照らし出していた。散策路はゆるい下りになっていて途中から二手に別れていた。聖護はここでも迷わず昇りの道を急いですすんだ。

 聖護は道を急ぎながらも辺りの雰囲気がおかしいことに気付き始めた。首の当たりがちりちりしてだんだん圧迫感が強くなる。息ができないほどではないが空気が重く自分を圧迫するような気がした。そして波の音は確かに波の音なのだが、どこか悲しい泣き声のような呼ぶような声が漏れてくるように聖護は感じた。しばらく上るとようやく目の前が開けてきた。最後は急な坂道のため、階段になっていた。聖護がその階段を一気にあがると紫織の後姿が見えた。


「こんなところでなにやってるんだあいつ。」


聖護は軽く息を整えると紫織に近づいていった。聖護は一度声をかけたが、波が岸壁に打ち寄せる音が鳴り響き、紫織は聖護に気付かないようだった。しかたがないので聖護は足場を探しながらひょいひょい飛んで紫織のすぐ後ろまでやってきてもう一度声をかけた。


「紫織!」


紫織がその声にびくっとして驚いてその拍子にぐらっと体のバランスを失った。聖護がとっさに紫織の体を受け止める。紫織はすっぽり聖護の腕の中に納まった。


「大丈夫か?」


聖護がほっとして声をかけると紫織が顔を上げた。その瞬間聖護ははっと息を呑む。紫織の瞳が紫に光ってその水晶のような瞳から涙があふれていた。


「おまえ、泣いて…る?」


「聖…護…?なぜ…?」


紫織は視点が定まらず心ここにあらずといった感じだが、目の前にいるのが聖護であることは認識したようだった。そのうちはっと我に帰った。その様子を見て聖護がもう一度紫織にたずねた。


「大丈夫か?お前、どうしたんだ?なぜこんなところに?」


「海が…魔物が泣いていたんだ。誰かを呼びながら泣いていたんだ。僕はその思いにひきずられて…。」


「誰かを呼ぶ?ああ、なんだか悲しくて重苦しいな。波の音と一緒に聞こえるあれか?」


「やっぱり君にも聞こえるんだね。」


「やっぱりって?」


「君にも何か特別な力があるってこと。」


「俺に?」


紫織はこくんと頷いた。


「そう、だから君はここにいる。」


「俺は、魔物に呼ばれたんじゃない。おまえがここにいる気がした。それで嫌な予感がして…。」


紫織が驚いたような顔をしてる。


「僕がいる気がした?」


紫織はいぶかしげに何か考えるような顔をして聖護の腕の中に納まっていた体を起こした。聖護は紫織が体を起こすと支えていた手を離そうとした。


「聖護!僕から手を離さないで。」


紫織が聖護の手をつかんだ。聖護の手にひんやりした細い指がからむ。一瞬、聖護ははっとする。


「え?」


紫織はひどく不安そうな顔で聖護を見つめている。


「お願い。君が手を離すと僕は自分の自我を保てない。」


「おまえ…。」


聖護は紫織の言葉に驚いた。しかし、言っている意味が理解できない。


「自我が保てないって、どういう…?」


「ごめん。僕の心が弱いから…。魔物の心に共鳴してしまうんだ。泣いているのは僕じゃない。海の魔物なんだ。ごめん。また君に迷惑をかける。」


聖護は驚いたがすぐにふっと笑った。


「いいよ。これぐらい。別に迷惑と思ってないよ。お前が離すなっていうならずっと手ぐらいつないでいてやるよ。」


そういうと聖護は紫織がつかんでいた手で紫織の手を握り返す。紫織は照れくさそうに下を向いた。


「ありがとう。」


と波音にかき消されそうな声で言った。聖護はなんだか普段の鎧がとれて素直な紫織に驚きながら紫織の傍にもう一歩近づいた。


「早く戻ろうぜ。紫織。」


聖護がそう話しかけると紫織が聖護を制した。


「しっ!あれ。」


紫織が指差した方向を見ると誰かが近づいてくる。そして岸壁のぎりぎりのところに立っって海を見つめている。


「えっ?あれ七海だ…。あいつ、部屋に帰って寝たんじゃなかったのか。何しに来たんだ?こんなところまで。」


「魔物に呼ばれたんだ。」


「えっ?あいつも?」


七海が先ほどいっていたことを思い出して聖護ははっとした。


「あいつ、そう言えばこっちに来てから変な夢をみるって。昼間も誰かに呼ばれてる気がするっていってたな。」


「夢?」


「ああ。夢の中でイサキって黒い髪の綺麗な女に呼ばれてたって。」


「イサキ・・・?そうか。イサキって名前だったのか。」


「まさか、お前も聞こえたのか?」


紫織は頷いた。


「でも、僕が呼ばれていたんじゃない。僕は呼ぶ声が聞こえただけでこの深く悲しい想いに共鳴してひきつけられただけなんだ。呼ばれているのはあいつだよ。海の魔物が待っていたのは七海だったんだ。」


七海が海を見つめていたかと思うと両手をあげた。聖護は七海が飛び降りるかと思ってとびだそうとしたが紫織が引っ張った。


「待って。聖護。あれ。」


紫織が反対の手で海のほうを指さす。


ごおおおおっ!どどどどっ!


 地響きとともに轟音がして海が盛り上がってきた。そして七海の目の前で盛り上がった水が割れる。中から赤い光の玉がぼおっと現れて大きくなった。そしてそれはやがて人の形となって七海の前に現れた。黒髪の美しい女だった。女は七海に近づくと七海を抱きしめた。


「会いたかった…、ずっと、ずっと待っていたのよ。イサキ…。」


七海はその黒髪の女の体にふれて髪をなでる。


「ナギ…。会いたかった…。長い間待たせたな…。」


「忘れてなかったのですね…。」


女は涙を流す。


「忘れるものか…。」


聖護と紫織はじっとその様子を見ていた。


「さあ、いきましょう。これからあなたとずっと一緒にいられるのですね。」


女はそういうと七海の手をとり光の玉の中に帰ろうとした。


「待ってくれ。ナギ。一緒に行くことはできないのだ。」


女が驚いた顔で七海に振り返る。


「なぜ?あなたはこうして会いに来てくれた。なのにまた私を置いていくのですか?」


「すまない。あの時、どうしても行くことが出来なくなってしまった。本当に申し訳ない。出来れば今だってお前とともに行きたいと思う。でも、今は出来ないんだ。こうして会うことだけが唯一許されたことだ。」


「何をおっしゃってるの?イサキ・・・?心変わりをしたのですか?わたくしにおっしゃったことは嘘だったのですか?」


「嘘ではない。お前を心から愛している。」


「ならばなぜ一緒にきてくださらないのですか?」


「私はもう私ではないのだ。許してくれ。ナギ・・・。こうしてお前がここにとどまっていることが心残りでお前にこうして会いに来たのだ。ここまで来るのに長い時間がかかった。許せ。ナギ。」


「何をおっしゃっているのかわかりませんわ・・・。イサキ。」


そういうと女の目が血のように赤く光り、その姿はみるみる巨大な黒い竜に変化していった。竜はじっとして七海を見つめて赤い涙を流している。じっと七海を見つめた。


「どれだけ私があなたを待ちわびたと思うのですか。こうして魔物に身を投じてまでもあなたを待ち続けたのです。それなのにあなたはまた私を置いてゆくというのですか?」


そう叫ぶと竜は七海にむかって赤い光の玉を吐き出した。その光が七海に当たると七海はその中に捉えられて宙に浮いた。


「まずい!」


紫織がとっさに聖護から手を離し、その手を上げて紫の光を集める。そして七海に向かってその光を放出した。赤い光は紫織のはなった紫の光に包まれて消滅した。七海が地面に落ちる。


「誰だ?私の邪魔をするのは?」


竜は真っ赤な鋭い目を紫織と聖護に向ける。紫織が前にでる。


「この者を連れてはいかせない。」


「何者?お前は・・・。人ではないな。我らと同じ匂いがする・・・。」


紫織は紫の瞳で厳しく竜をじっと見据える。そして竜の言葉を無視して話を続けた。


「この者はもうお前のイサキではない。この者を置いて海に帰るがよい。」


「なんですって?お前は何者?私に命令をするとは!何者も私の邪魔はさせぬ。」


竜はそういうと水の中にあったからだを宙に浮かせた。鱗が月に照らされ真っ黒に光る。その大きな体をうねらせると空に向かって大きく吠えた。するとどこからともなく黒い雲が一気に現れ暗闇の空に稲妻がはしる。怒涛のように空がうなり始める。竜がもう一度吠えると雷の稲妻が紫織をねらって落ちてきた。大爆発音とともに岩が砕け当たりを焦がす。紫織と聖護は飛び上がって間一髪でよけた。稲妻が落ちたところの岩は割れて黒く煙リがたっており、威力のすごさを見せつけていた。紫織はとっさに聖護に振り返って叫んだ。


「聖護!七海を頼む!」


「わかった!でも」


聖護がなにか言おうと口を開けた瞬間、紫織が言葉で遮る。


「僕は大丈夫!はやく!」


紫織はそういうと竜のほうに向き直って立ち上がった。そして両手を挙げて手のひらで何かを受けるような形をとった。そこに光が集まってくる。紫織は目を閉じて集中した。そして先ほどより多くの光があつまってきて紫織の体をつつんだ。そのまぶしさに七海のもとに向かっていた聖護が振り返る。


「紫織?」


その瞬間紫織の目が開いて一瞬フラッシュのように光った。そしてその光は空の雷を起こしている雲をめがけて放たれた。雷以上の耳を劈くような空が割れる音がして飛び散るように雲がきれる。そして一瞬で辺りに不気味な静けさが広がった。


「おのれっ!今日のところは引き下がるとしよう。しかし、明日は必ずお前を八つ裂きにしてイサキを連れて行く。待っているがいい。」


そういうと黒い竜は威嚇するように体を一ひねりさせて海の中に消えていった。そして辺りはもとの月夜にもどり、波の音に混ざっていた泣き声や呼ぶ声も消え、あの重い空気で圧迫される感じもなくなった。紫織は厳しい顔をして竜が消えた海をじっと見つめていた。聖護は七海を起こしたが、返事がない。腕にさわると脈を感じたのでほっとして一息吐くと、とりあえず抱き起こした。聖護はこの夏で身長が5センチ伸びて170センチになっていたが、七海は聖護よりやや小さい。といっても七海も身長は高い方で165センチはある。細い体つきではあるが筋肉でしまった体で、華奢で軽い紫織と違って結構な重みだった。聖護はぐっとふんばって七海を背負うと紫織のほうに向かって歩き出した。


「紫織、大丈夫か?」


その声に紫織ははっと我に返る。


「ああ。大丈夫。七海は?」


そういって聖護の顔を見た紫織の瞳はいつもの深い青い瞳に返っていた。


「七海は気を失っているみたいだが、大丈夫だ。帰ろう、紫織。」


紫織は七海をちらっとみると聖護の顔をもう一度見て頷いた。

 気を失っている七海を人目につかないように聖護たちの部屋に運んでベッドに寝かしたが、七海はそれでもピクリともしなかった。


「七海はどうなってるんだ?」


聖護はあの時、あの黒髪の女と話していたのは七海とは違うような気がしていた。イサキって誰だ?七海は自分のことのようだといっていたが…。聖護は開いたベッドに腰を下ろしてじっと七海を見つめて考え込んでいた。その様子を傍で見ていた紫織が聖護に話しかける。


「七海は夢を見たっていっていたよね。」


紫織の言葉に聖護が顔を上げた。


「ああ。」


紫織は七海の眠っているベッドに腰掛けた。そして、じっと七海を見つめて何か決意したように大きく息を吸うと七海の腕を取り目を閉じた。紫織はじっとして動かない。聖護はその様子を傍で不思議そうに見ている。しばらく沈黙が続くとふと紫織が目を開ける。そして七海の顔をもう一度じっと眺める。そして今度は額に手を当てて目を閉じる。紫織はしばらく真っ暗な闇の中で何も感じることができなかったが、しばらくすると七海の記憶に触れた。紫織の体がぴくっと動いた。


「紫織?」


聖護は紫織の様子が変なので近づいて紫織の肩に手を置いた。すると聖護はすっと紫織が見ている世界に引き込まれた。


ザザァーン・・・

ザッバァーン・・・

ゴオォ・・・ドドド・・・


雲ひとつない月明かりの夜だった。遠い沖の海面まで明るく照らし出され、激しく波が岸壁に押し寄せる音だけが遠く響き渡り、青く幻想的な世界が広がる。時折、しぶきが岩にあたって空中に舞い、星屑がちりばめられるようにゆっくりと光を帯びては海に戻っていく。岸壁の上で、若い男がその腕に女を抱き耳元で囁く。


「ナギ…。待っていて。満月の夜ここで会おう。今度こそ二人きりで誰にも邪魔されないところへ行こう。必ず来るから…。待ってて…、ナギ…。」


男がナギと呼ぶ若い女の長い髪を静かになでる。ナギは男の胸にその滑らかで美しい肌をよせ深くうなづく。満月にほど近い月の明るいやわらかな光がナギの肌を青白く艶かしく照らし出す。涙が一筋ながれ、紅を差したようなやわらかいふっくらとした唇に達するとその唇がゆっくり動く。


「待ってる。あなたと二人なら私は何があっても怖くない…。必ず待ってる…。イサキ…。」


そこでふっと聖護は現実にもどった。今のはなんだ?何が見えた?聖護が呆然としていた。


「聖護?」


紫織は聖護の様子がおかしいことに気付いた。


「今見えたのは?」


紫織ははっとして氷ついた。


「聖護?君にも見えたのか?」


「見えたってどういうことだ?あれは七海の記憶か?ナギって言うさっきの黒髪の女とイサキって呼ばれた七海そっくりのやつが…。」


紫織は聖護の反応を見て顔をゆがませた。そしてさびしく笑った。


「ごめん。聖護。君に嫌な思いをさせてしまった。」


「紫織?」


聖護は紫織のさびしそうな顔を見て心が痛んだ。


「そう。僕はこうやって人に触れるとその人の想いや記憶が読めるんだ。そうなったのは最近だけど。気持ち悪いだろ?」


紫織はたんたんと静かに話をするが、表情は今にも泣きだしそうだった。聖護は紫織の話に驚くよりも紫織が苦しそうに今にも泣きそうな顔をしていることのほうが心にひっかかり、うつむいて辛そうな紫織の手をとった。紫織はその手にビクッとして驚いて顔を上げる。この瞳だ。いつも聖護に向けられる助けをもとめるような悲しい瞳。聖護はじっと紫織を見つめてふっと笑った。


「何を今さら。この間から不思議な力を見せられっぱなしなんだぞ。そりゃちょっとは驚いたけど、だからって俺は紫織を変に思ったりしてない。」


「怖く…ないのか?君の記憶や思いを読んでしまったかもしれないんだぞ?」


紫織は恐る恐る尋ねる。


「ばかか、お前。俺の思いや記憶を読んでるんならそんなこといちいち聞かなくてもわかるだろ?」


聖護はあっけらかんと笑う。紫織は驚いたような顔をして安心したようにふっと笑う。


「実をいうとね、不思議と君のだけは読めないんだ。今僕はこの力がコントロールできなくて人にふれるとその人の思いがすべてなだれのように入り込んでくる。でもね、君だけは違った。今朝バスの中でわかった。だから安心して。」


「お前、もしかしてそれで調子が悪かったのか?」


紫織はびくっとした。


「紫織、一人で抱え込むなよ。お前、もっと俺を頼れよ。俺はお前に何があっても傍にいてやるよ。」


紫織は黙ってさみしそうに笑った。そして七海のほうに振り返っていつものクールフェイスに戻すと静かにいった。


「七海の記憶には夢の記憶しかない。もしかすると七海の魂の記憶かもしれない。」


紫織はそういうと七海の胸に手を当てた。そして目を閉じると紫織の手からじわっと光が現れて七海を包んだ。すると七海が目を覚ました。しかし、どこか、七海とは違うもう少し年上の雰囲気だった。


「あなたはイサキですね。」


「ああ、そうだ。私はイサキだが。君たちは?」


「ああ、彼もみえるのですね。私たちはあなたの魂が生きる今生の七海薫の友人です。」


「君たちはなぜ私を呼んだのですか?」


「ナギという女性があなたを連れて行こうとしています。しかし、ナギは魔物です。つれていかれれば七海の命が奪われます。私たちは七海を助けたいのです。だから、真実が知りたくてあなたをここへ呼びました。」


七海の顔のイサキはため息をついてじっと目を閉じた。しばらくすると紫織の目をみて話はじめた。


「ナギは私が愛した人です。ナギは貴族の娘、私は塗り師の職人でした。私たちは当然周りの反対にあって、ナギは親のすすめる貴族の男に嫁ぐことに決められ、私は親方に遠くに修行にだされることになったのです。それで、二人で逃げることにしたのですが、その約束の満月の夜、母が事故でなくなって待ち合わせの場にいけなくなってしまったのです。その後、何度もあの岸壁にいったのですが、会うことはかないませんでした。そしてお屋敷に探しにいくとナギは行方不明らしいことがわかりました。その後ずっと探しました。でも、とうとう見つからずじまいでした。私はナギへの想いだけこの魂に刻んで探し続けて参りました。でも、先ほど変わり果てたナギに再開しました。あれは魔物に身を落としてそれでも私を待っていたのです。私は今でもナギが愛しい。自分だけならナギとあのまま一緒に行きたかった。でも、今この七海薫という今生を生きている。私はそれを投げることは許されない。今生は七海薫のもので過去を生きた私のものではないのです。でも、私はナギが気の毒でならない。私のために魔物になってしまった。なんとか救ってやりたいのだ。」


「救う・・・ですか。」


紫織はじっと考えているようだった。


「できるだけのことはしてみましょう。僕にどのくらいのことが出来るかはわかりませんが。」


「君は何者なのですか?」


七海の顔のイサキが問う。紫織はふっと寂しそうに笑う。


「さあ、何者なのでしょうね。自分では、人間だと思っているのですけど。」


紫織の傍でじっと二人のやり取りを見ていた聖護は紫織のその言葉に一瞬はっとした。


「明日の夜、おそらくナギは再びあなたを呼ぶでしょう。満月の夜の魔物は一番力をもてるとき。必ず何か仕掛けてくる。明日の夜を待ちましょう。」


イサキは紫織のその言葉に黙って頷くと体を横たえ、すうと目を閉じた。紫織はそれをみとどけると聖護のほうに向き直った。


「聖護、七海を部屋まで送ってやってくれないか。ここで目覚めると不信に思うだろ?」


「ああ、わかった。」


聖護は紫織に手伝ってもらって七海を背負うと七海の部屋に送り届けた。

 聖護が部屋にもどると部屋は暗く、紫織はベランダで外を眺めていた。紫織は長袖のTシャツとゆったりとした薄いジャージに着替えている。制服を着ていないと本当に紫織は女の子かと見まがうほどだった。七海が疑うのも納得がいく。普通に見れば繊細で美しい顔つきも細くて華奢な体つきもまるで少女のようである。聖護は紫織に近づいて声をかける。


「ちょうど部屋に誰もいなくて七海のポケットさぐったらカードキーが出てきた。誰にも気付かれずちょうど良かったよ。」


「そうか。よかった。」


紫織は振り向かないまま返事を返した。聖護は少し後ろから紫織を見下ろす。前と変わらない感覚に紫織も幾分身長が伸びたことにふと気付いた。聖護は紫織の後姿をじっと眺めて唐突にいった。


「お前、そうやって自分を隠すなよ。」


紫織はびくっとする。


「お前はまだ、俺に話してないことがたくさんあるだろう?一人で抱え込むなよ。今話せなくてもいい。少しずつでいいから話してくれな。もう少し俺を信用してくれよ。俺はお前の力になりたいといつも思ってるんだぞ。さみしいじゃないか。な。」


そういうと紫織の横にきて肩に手をまわした。紫織は肩に回された聖護の腕の温かさに張り詰めていたものがほぐれていくような気がした。


「さ、夜も遅いから、寝よう。」


そういって聖護は紫織といっしょに部屋に入り、紫織をベッドに寝かせた。


「お前が眠るまでここにいてやるよ。」


夕方のように聖護は紫織のベッドに腰掛けて手を握った。紫織は戸惑うような表情をしていたがそのうち疲れたのかとろんとして静かに寝息を立て始めた。


「よっぽど疲れたんだな。さあて、俺も寝るかな。」


そうつぶやいて立ち上がろうとすると紫織がしっかり聖護の手をつかんだまま離さない。聖護は小さくため息をついて笑う。


「しかたない、もう一回つきあってやるよ。」


そういってもう一度ベッドに腰掛けると少しからだを横にした。昼間のビーチバレーと日焼けの疲れが今頃になってどっと睡魔になって現れた。聖護はそのまま意識を手放した。


さらに引っ張ってごめんなさい。次回は魔物との再対決。紫織と聖護は七海を救えるのか。そしてまた聖護に何かが起こります。夏期集中講義合宿第4弾。今度こそ合宿話完結させます。是非読んでくださいね。

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