<第1章 出逢い> 第1話 プロローグ
『蒼い十字架』にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。このストーリーは長編を予定しております。これは第1部 中学編(起)です。このあと 第2部 高校編(承)、第3部 大学編(転)、第4部 大人編(結)と考えております。未熟者ですが、各部だけでも楽しんでいただけるよう努力してまいります。毎回がんばりますので、是非、最後までお付き合い下さるようお願い致します。
朝からずっと雨が降り続いていた。空も周りの木々も何もかもが雨で打ち消されたかのように色を無くして、どんよりとした墨絵のように悲しみにくれる人々の心に重くのしかかっている。まだ10歳になったばかりの紫織は、ただ振り続ける冷たい雨にうたれ、時折震えながら小さな体でその重みに必死で耐えていた。何も考えられなかった。目の前に広がる光景は、まるで音のないモノクロのビデオテープのように空虚に流れ、自分の存在さえ遠く感じてしまう。わずかに伝わる冷たく堅い地面の感触だけが、唯一、紫織を現実にとどめていた。
「紫織さん、そろそろお時間です。」
黒い服の長身の若い男が後ろから声をかけると紫織はビクッとして我に返る。
「・・・ああ、総真か・・・。わかった。」
弱々しい声をやっとの思いで搾り出すと、紫織は一歩すすんで膝をついてかがみこんだ。紫織の前には冷たく白い父の顔がある。涙があふれた。優しく強く支えてくれた父はもう二度と笑いかけてはくれない。
「父さん・・・。」
涙があとからあとから流れた。総真も膝をつき紫織を守るように後ろから肩を守るように包んで抱いた。
「紫織さん・・・。」
少し待って、総真は紫織を支えるようにして立ち上がると、そばにいた神父を見てうなづいた。その合図とともに黒服の男たちの手で御棺の蓋が閉められる。紫織はその様子を見届けると、そのまま崩れ落ちるように総真の腕の中で意識を失った。それから一週間、高熱が続いて意識が戻らず、紫織はずっと混沌とした闇の中を彷徨っていた。
「父さん!・・・父さん!どこ?・・・どこにいるの?僕を一人にしないで!・・・父さん!」
真っ暗で何も見えない。目の前に広がる闇は果てしなく、物音ひとつしない。真の闇は本当に恐ろしい。紫織は孤独と不安で怖くてしかたがなかった。恐怖におびえつつも、紫織はそれでもひたすら父の名前を叫び続ける。やがて、限りなく押し寄せる焦燥感にとうとう疲れ果て、意識が朦朧として気力を失くしていった。
「僕はもう、どこへもいけない・・・。」
涙が頬をつたった。その時、紫織は遠のく意識の中でかすかに光を感じとった。
「紫織・・・、紫織。眠ってはいけない。たとえどんなにつらくても目の前の現実から逃げてはいけない。おまえは、聖なる子。神から使命を与えられた子だ。お前の中に住む魔に惑わされるな。お前の心の弱さにやつらはつけこむのだ。強くなりなさい。自分の存在を否定してはいけない。お前は神に望まれて生まれたのだ。人はそれぞれ役割をもってこの世に生を受ける。お前も同じなのだぞ。生きなさい。これからの人生は今までよりも厳しい運命が待っているかもしれぬ。しかし、乗り越えた時、おまえは必ず幸せになれる。人を愛しなさい。人を愛する心を持てたとき、お前は本当にお前自身の生きる意味を知るだろう。」
「でも・・・父さん!無理だよ。僕一人では。これからどうしたら・・・」
「お前は一人ではない。お前が自分を受け入れ、現実と向き合えたなら、必ず運命をともにできる者が現れるだろう。真実を見つめなさい。そして正しい心を貫きなさい。すべてはお前次第だ。」
紫織は遠のく意識の中でかすかにその言葉を聞いた。ふと、紫織は急に体のけだるさや重さを感じた。同時にやわらかい感触と慣れ親しんだ綿の肌触りやうっすらとさわやかな花の香りが鼻に触れ、そっと目を開けた。紫織は一瞬急なまぶしさに目を細めた。
「紫織様!紫織様!わかりますか?律でございます!ああ・・・」
突然、聞きなれた声が耳に飛び込んでくる。同時に喜びと心配が入り混じるようなしわくちゃな律の顔が目の前にあった。この家に四十年住み込む家政婦である。目には涙がたまっている。律は小柄だが、しっかりとした体つきで63歳という年齢の割に、日頃から家事で鍛えられているのか動きはすばやい。この家の家事をほとんど一人でこなす。しかし、今はその体が転びそうになるほどあわてて扉に走った。
「総真さん!紫織様が!」
律は廊下にでると同時に階下に向かって叫んだ。その声をすぐに総真が聞きつけた。
「どうした!」
冬木総真は真顔で階段を勢いよく駆け上がると、ふらつく体で律の腕をつかんだ。
「紫織様が・・・目を覚まされたのでございます。よろしゅうございました!」
律の声がうわずって目には涙が浮かんでいる。総真はすぐに律の腕を振り払い。紫織が横たわっているベッドに走り寄った。
「総・・・真・・・。」
紫織が消え入るような声で名前を呼んだ。
「紫織さん」
総真は搾り出すような声で答えた。紫織がシーツの隙間から青白く細い手を伸ばすと総真はその手をとり、しっかりと握り締めた。
紫織は安心したように総真の顔を見上げた。いつもは端正な彫刻のように無表情な顔に今ははっきりと心配と不安で疲れの色が見えていた。眠ってないのだろう、顔色が悪い。
「痛いよ・・・、総真。」
少し微笑むと
「心配かけたね。僕はもう大丈夫。」
今度はしっかりとした声で総真の目を見て言った。まだベッドの中で横たわる弱々しいしい小さな病人のはずなのに、なぜか総真には紫織が前より少し大人びたように感じた。
「紫織さん、私がいます。どこまでもあなたを支えて参ります。ご安心ください。」
総真が紫織の蒼い目をしっかりと見据えて言うと
「そうですよ。律もおります。紫織様とずっと一緒におりますよ。安心してくださいませ。」
律は顔を笑顔と涙でくしゃくしゃにしながら涙声で訴えた。紫織は少し複雑な表情をしたが、すぐにやわらかく微笑んでうなずいた。