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第1話 何故彼女は苦しんだのか(事件編1)

     1


 わたしが呪いの解除に失敗してから、二日が経過しました。

 つまり、今日は殿下のところに行く日ということになります。


 わたしの足取りは重くなっていました。

 殿下に会うこと自体は、全然嫌ではありません。

 わたしに対して敬意を払ってくれていますし、優しさも見せてくれています。


 問題はわたしの方にあるのです。

 わたしは殿下の呪いの解除に失敗し、殿下を苦しめてしまいました。

 その負い目があるのです。


 だけど、これは仕事です。やらないわけにはいきません。

 それに、あんなことがあった直後にわたしが来なくなったら、殿下も気にしてしまうでしょう。

 あの人は、そういう優しい人なのです。


     2


 今日の記録は33分24秒でした。

 何も考えずに適当に登っていたら、こんなに早く最上階まで到着してしまいました。


 ドアの前に立ってから、息が整うのを待ちます。

 汗が引くのも待ちたいところですが、それを待っているとどれだけ時間がかかるか分かりません。


 少しして、目的地のドアをノックしました。

 数秒待ちますが、返事はありません。


「アベル殿下、入りますよ」


 ドア越しに声をかけてから、ドアを開けます。

 部屋の中の様子はいつも通りでした。

 カーテンは閉め切られており、部屋の中は薄暗くなっています。

 薬品の匂いが漂う室内は、様々な実験器具や本や服やその他諸々が散らばっています。


「ああ、来たのか」


 心地の良い声がわたしの耳朶を震わせました。

 声の主は、床で横になりながら本を読んでいました。

 白のシャツに濃紺のパンツ。その上に白衣を着ています。


「よく来てくれた。なんだか、疲れているように見えるが」

「階段の動きが複雑すぎるんですよ。あの階段の設計をしたのって、殿下ですよね? どうせ私以外誰も来ないのだから、せめて動かないようにしてもらえませんか?」

「悪いが、それは却下させてもらう。動かない階段に何の意味があるというのだ」

「上ったり下りたりするんですよ。それが階段の本懐というものです」

「それは詰まらない。よって、却下だ」


 殿下はにべもなくそう答えました。

 彼には彼なりの美学があるのでしょう。

 残念なことに、その美学に『人に迷惑を掛けない』というのは含まれていないようですが。


 そんなことをしていると、殿下はわたしの顔を覗き込んできました。

 その美しく整った相貌が眼前に迫り、わたしは一歩後退しました。

 やはり、イケメンというのは自らの美しさを誇示するために顔を近づける習性でもあるのでしょうか。


「あの、何ですか?」

「やはり、君は美しい」


 そう言って、殿下は微笑みかけました。

 その微笑みに妙な色気を感じ、顔がほんの少しだけ熱くなってしまいました。


 顔が熱くなった原因はそれだけではありません。

 美しいだなんて、これまで殿下にしか言われたことがありませんでした。

 慣れない体験に、どう対応すればいいのか分からないのです。

 皆目見当がつきません。後でマドベさんにでも聞いてみましょうか。

 あの人、言われ慣れていそうですし。


 とにかく、今は逃げの一手です。

 わたしは掃除用具がしまってあるロッカーに目をやりました。


「そ、それでは、部屋の掃除を始めますね」


 ごまかすように、ロッカーに向かおうとします。

 しかし、殿下はわたしの手を掴み、引寄せました。

 端正で耽美な相貌が再接近しています。

 先ほどよりも近い。鼻がくっつきそうなほどです。

 再接近で最接近です。


「……なんでしょう?」

「決まっているだろう」

「何がですか?」

「君はまた、トラブルに巻き込まれたそうだな。いや、今度は当事者になったというべきかな?」


 殿下は最高の笑みを浮かべながらそう告げました。

 てっきり、男女のあれこれの関係で迫られるのかと思っていました。

 思いあがってしまっていました。


 いや、これに関しては『美しい』だのなんだの言っていた殿下が悪い。

 そういうことにしておきます。


 それにしても――。


「殿下」

「何だ?」

「わたしがトラブルに巻き込まれて嬉しいですか?」


 わたしは尋ねました。

 トラブルについて知っているのであれば、気遣ってくれてもいいはずです。

 むしろ、気遣ってしかるべきです。

 それなのに、殿下は嬉しそうに笑っています。

 まるで尻尾を振る小動物のように。


 もっとも、殿下は性根の腐った人間ではありません。

 第一王子のようなポリンスではないのです。

 ですから、何らかの理由があるのでしょう。

 自分は笑顔が一番美しいと思っているとか――それはそれで嫌ですね。


 果たして、殿下の答えは意外なものでした。


「ああ、嬉しい」

「やっぱりクズでした!?」

「誤解をするな。俺が嬉しいのは、君の役に立てると思ったからだ。俺は君の力になりたい。だが、君はなんでも自分の力で解決してしまう。だから、俺が役に立つことが出来る機会は限られている。今回、その機会が巡ってきたのだ」

「愛が重い!?」


 いや、愛とかではないのでしょうけれど。。

 この人は、わたしのことを小動物か何かと思っているのかもしれません。

 あるいは、自分の呪いを浄化できる可能性がある希望でしょうか。

 敬意は払っていただいていますが、なんとなくしっくりきません。


「それで、君はどんな事件に巻き込まれたのだ?」

「お話しする程のことでは――」

「話してくれ」


 正直、あの事件については話したくありません。

 出来る限り早く忘れたいと思っています。


 ですが、話すまでこの体制から逃れることは出来ないようです。

 ならば仕方がないでしょう。


 わたしは軽いため息をついてから、語りだしました。

 今朝起きた、事件とも言えないろくでもない『何か』について。

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