第4話 指輪の行方(後編1)
1
最上階に到達したのは、三時間後のことでした。
階段の構造は複雑で、中々上に上がることが出来なかったのです。
今後、二日に一回はこの階段を登らなければならないとは。気が重くなります。
前任者が1か月で長期休養に入ったというのも頷けますね。
――ん?
頷けますか?
何かがおかしい気がします。
最上階まで行くのは、確かに肉体的には大変です。
しかし、長期休暇に入るような必要までは感じません。
だとすれば、他に何か問題があると考えられます。
ですが、ここまで来てしまった以上、何もせずに帰るという選択肢はありません。
ここまでの苦労を水の泡にしたくはありませんから。
わたしはドアをノックしました。
すると、中から声が聞こえてきました。
「誰だ?」
男性の声でした。
どこかで聞いたことがあるような気がします。
「学院事務局の者です」
「そうか。荷物はそこに置いといてくれ。不要なものはドアの前に置いてある箱に入っている。それを持って帰ってくれ」
「……は?」
その言葉はわたしの琴線に触れました。
ここまで苦労して登ってきたのです。
階段を降りることを考えれば、仕事から上がれるのは深夜になるでしょう。
そんな職員に対して、よくもそのような態度をとれたものです。
一言、モノ申しておかねばなりますまい。
少なくとも、顔を拝まずにはいられません。
「仕事ですので、運び込みますよ」
「駄目だ、部屋の中に入るな!」
「そう言えば、お掃除も業務の一つだそうですね。入らせていただきます」
私はそう言って、ドアノブを回しました。
意外なことに、鍵はかかっていませんでした。
部屋の中は薄暗く、カーテンが閉め切られていました。
いくつもあるテーブルの上には、無数の実験器具が置かれています。
部屋の端には、ガラクタ――のように見えるものが並べられていました。
部屋の中心には、一人の青年がいました。
それは、わたしが一階で会った美男子でした。
わたしに絡んで来た女学生たちがすたこらさっさと逃げた相手です。
ついでに言えば、わたしもどさくさ委に紛れて逃げてしまっていました。
――回れ右をして帰りましょう。
そう考えましたが、その前に目があってしまいました。
美男子は驚いたようにわたしを見ています。
「君は、あの時の――」
「失礼しました。荷物はこちらに置いておきます。では、私はこれで」
「待ってくれ!」
青年はわたしを呼び止めました。
わたしは例のごとく、聞こえなかったふりをして立ち去ろうとしたのですが――。
階段がなくなっていました。
わたしが上ってきたはずの階段は、ゆっくりと離れていくところでした。
あれは、しばらくしないと戻ってこないでしょう。
逃げるのは無理のようです。
わたしはあえて憮然とした態度を取りました。
「初めまして。深夜残業確定の新しいお世話係です」
「そうか。君が」
「荷物はここに置いておきます。ドアの前に置いてあった箱に入ったものを下に持っていけばいいのですね?」
「あ、ああ。そうだ」
「では、階段を何とかしていただけませんか? 残念なことに、私の勤め先では残業に対する正当な対価が支払われないことになっていますので」
「階段はどうにもできない。必要であれば、代わりに俺が金を払ってもいいが」
「それはお断りします」
「何故だ? 金が欲しいのではないのか?」
「そういう問題ではありません」
なんでも金で解決しようという姿勢が気に入りません。
何よりも、ここで金を受け取ると、厄介なことになる気がして仕方がないのです。
「私はあくまでも臨時にすぎません。名乗っていただくような価値のない平民です」
「その割には、随分と対応がおざなりだが」
「疲れているだけです。ただでさえ、今日は面倒事ばかりなのです」
「その面倒事に、俺の世話係は含まれているのか?」
「正直なところを聞きたいですか?」
「いや」
青年は笑いました。
私もそれにつられるように笑ってしまいました。
「ところで、この箱の中身は何なのですか?」
「食料と研究の材料だ」
「開けてみてもよろしいですか?」
「ああ」
箱のふたを開けました。
すると、中には食料や着替え、それに大根のようなものが入っていました。
いえ、これはただの大根ではありませんね。微かに魔力を感じます。
しかも、人の顔のようなものがついた不気味なものです。
「もしかして、マンドラゴラですか?」
「そうだ」
一体、大量のマンドラゴラを何に使うつもりなのでしょうか。
鎮痛剤を作る材料になるはずですが、作り方によっては幻覚剤も作れてしまいます。
人気のない部屋に閉じこもって、一人で幻覚でも楽しんでいるのでしょうか。
いえ、顔色や表情を見る限り、それはなさそうですね。
一応、健全な使い方をしていると信じることにしましょう。
それが間違っていたところで、そもそも私には関係のないことですし。
「疲れていそうだな」
「え、ああ。はい。こんな所まで来る必要があったので、疲れてしまいました。帰りですが、不要物の入った箱はここから一階まで落としてしまっていいですか?」
「学院が許すなら、それでも構わないぞ」
許してもらえるでしょうか。
無理でしょうね。
「俺としては、君には長くこの仕事を続けてほしいと思っている。力になれることがあれば、言ってくれ」
「力に、ですか?」
「ああ」
「でしたら、この塔に昇降機をつけていただけませんか?」
「それは断る」
「ですよねー」
無駄だとは思っていました。
出来るなら最初からしているはずです。
「そうですね。では、謎を解いていただけますか?」
「謎?」
「はい」
わたしは、レストランでの一件を話すことにしました。
この青年がそれを解決してくれるなんて思っていません。
ただ、あまりに状況が不可解過ぎて、報告書に書く内容が決まらないのです。
局長は事件の解決が出来なかったことを気にしてはいないようでした。
しかし、報告書の内容があまりに粗末だと書き直しを命じることでしょう。
内容を水増し――おっと、より詳細な内容を記載するために、第三者の見解を聞いてみたいと思ったのです。
藁にも縋る思いとはこのことです。
「実は、とある高級レストランで喧嘩がありまして――」
2
私は事情を説明しました。
傷害事件が起きたこと。
被害者が記憶を失っていること。
その動機が不明であること。
青年は、私の話を真摯に聞いてくれました。
そして、机の上を指で叩きだしました。
もしかして、考え事をするときの癖なのでしょうか。
だとしたら、何か新しい発見をしてくれるかもしれません。
まぁ、期待はしませんけれど。
そもそも、期待をしてはいけません。
彼には断片的な話しかしていないのですから、これで謎が解けるわけがないのです。
そのはずだったのですが――。
事態は、意外な方向へと進むことになりました。
「それが解決すれば、君の負担は減るのか?」
「まぁ、そうですね。とても助かると思います」
「では、俺が解決しよう」
意外な言葉でした。
これだけの情報では何も分かるはずがない――そう考えたから話したのに。
まさか、本当に解決できるとでもいうのでしょうか。
「この謎を解くための鍵は三つある。
一つ目は、加害者は、被害者に会おうとしていた。また、記憶を失ってしまっては不都合だった。つまり、何かを聞き出そうとしていたのだ。
二つ目は、君が持った違和感だ。身体の前で手を組んだ時に、左手の方が前に出ていた。それは何故なのか。
三つめは、加害者の発言だ。『腹をかっさばいてでも』。何故加害者はそんな発言をしたのか。
以上の三つを考えれば、おのずと真相は見えてくる」
おのずと真相は見えてくる?
そんなわけありません。
「それと、これだけは言っておこう」
「何でしょう」
「犯人は君だ?」
なんですと!?




