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第2話 指輪の行方(前編)

     1


 魔法学院に隣接する城下町には、一本の大通りがあります。首都と魔法学院をつなぐ街道に接続されている主要な路線です。日が沈んだ今でも、街灯の光が煌々と照らしており、多くの人が行き来しています。


 今回応援要請をしてきたのは、その大通りに面した場所にある高級レストランでした。ホテルの一階にあるもので、宿泊者だけでなく一般の人間も利用することが出来ます。もっとも、料金がゴキゲンなことになっているため、一般人がおいそれと利用できるものではありません。


 店内に入ったわたしは圧倒されていました。


 内装は高級感のある落ち着いた雰囲気があり、店員もピシッとした制服に身を包んでいます。客も高級なスーツやドレスを着た人たちばかりでした。わたしの地味な事務服が浮いてしまっています。ですが、ここまで来てしまった以上気にしても仕方がありません。今更帰るという選択肢はないのです。


「学院事務局から派遣されてきた者ですが」


 わたしがそう言うと、店員さんが事務室に案内してくれました。

 事務室の中では、五十代くらいの男性店員が書類仕事をしていました。わたしが到着すると、男性はすぐに立ち上がりました。そして、少し驚いた様子で私を見ました。


 ――もしかして、聖女時代のわたしを知っている人でしょうか。


「事務局から派遣された者です」

「君が?」

「はい」

「学院は何を考えているんだ……」


 男性は右手を顔に当てながらため息をつきました。どうやら、わたしが来たことに不満があるようです。これはいい傾向です! わたしが不適格というのであれば、このまま回れ右をして帰るだけです。厄介ごとにこれ以上巻き込まれずに済みます。また、責任はわたしを派遣することに決めた事務局にあり、わたし自身には一切存在しないのです。ここ重要。


「ところで、君、名前は?」

「名前ですか?」

「こういう時は、自己紹介の一つもするものだろう」

「ああ、そうですね。私はセレナ・アリアーナと申します」

「セレナ・アリアーナ。どこかで聞いたことがあるような――」


 男性はわたしの顔を見ました。


 ――これは気づかれましたね。


「まさか、追放された聖女……様、ですか?」

「はい」


 早速の身バレでした。


 ですが、この場においては好都合です。わたしは聖女のふりをして、世界を騙したことになっています。そんな人間にトラブル解決を頼もうとする人間などいないはずです。


「ドラゴニア王国の発表には、驚きました」

「そうですか。では、わたしが表に出るわけには行きませんね。というわけですので、ここでお暇――」

「ですが、私はあの発表を信じていません」

「はい?」

「貴女こそが真の聖女だと信じています」

「え、いや、ちょっと――」


 なんだか嫌な流れになりました。


「先ほどまでの対応、お詫び申し上げます。セレナ・アリアーナ様。どうか、ご助力をお願いします」


 男性は深々と頭を下げました。

 その頭を見ながら、わたしは考えます。


 どうしてこうなった!?


 ドラゴニア王国が流した嘘。皆にはそれを信じてほしくないと思っていました。けれど、今回だけは信じていて欲しかった。わたしのことを拒絶してほしかった。


 ですが、こうなってしまった以上はやるしかありません。流石のわたしも、この流れで断れるほど図太くはないのです。この信頼を裏切るわけにはいきません。


「分かりました。微力を尽くします」


     2


 私は支配人から事のあらましを軽く聞きました。


 事件を起こしたのは四人組の女性客。

 それなりに高い地位の方々であり、レストランとしても対応には細心の注意を払っていたそうです。ですから、レストラン自体は今回のトラブルの当事者ではありません。ただ、レストランの中で起きた事件ということで対応せざるを得なくなったそうです。


 トラブルの内容としては、よくある仲間内の喧嘩ということでした。女性たちはいつの間にか口論を始めており、次第にそれはヒートアップしていきました。他の客の手前、店員が仲裁に入ろうとすると、その前に女性客の一人が、仲間の女性客を殴ったということです。殴られた女性は気絶し、医務室へと運ばれました。殴った側の女性は、このホテルの客室へと戻り、現在も部屋にいるそうです。


「大体の事情は分かりました。ところで、私は何をすればいいのですか?」

「お任せします」


 お任せされてしまいました。

 既に喧嘩は終わっており、殴られた女性も治療を受けています。わたしが出来ることなど何もないように思えます。暴力的な状況が終了した時点で、わたしの出番はなくなったはずです。


 もう帰ってしまっていいのではないでしょうか。


 いえ、違います。肝心なことを忘れてしまっていました。


 わたしはこの事件の情報を聞いた後に、報告書を作らねばならないのです。そして、報告書というものは、例え中身が空のものであっても、何か中身が詰まっているように飾り付けなければならないものなのです。


 その為には、情報が不足しています。手元にある情報だけでは『喧嘩の原因は不明であり、争いが再開する可能性も考えられる』と書くしかありません。チェックが緩ければそれでも通るでしょうが、あのカレン局長がそれを許すとは思えません。


 仕方がありません。

 やるしかないようです。


「被害者の方とお話は出来ますか?」

「いえ。申し訳ありませんが、被害者の方は治療を受けた後、安静にしておられます。取り調べなどは行わないように医者から言われております。それと、もう一つ問題が」

「なんですか?」

「被害者は、何も覚えていないそうなのです。自分がなぜ殴られたのか、何故相手が怒ったのかがさっぱり分からないそうです」


 記憶喪失!

 とんでもなく厄介なことになっていました。


 これでは、被害者側からの情報が得られません。かといって、加害者の言い分をうのみにすることも出来ません。慎重にその真偽を確認する必要があります。ただでさえ気が立っている人間の言葉を疑いながら、こちらが聞きたいことを聞きださなければならないのです。


 考えただけでも気が重くなる状況でした、

 

     3


 私は支配人に案内され、加害者の女性が泊まっている部屋へと案内されましたた。支配人がドアをノックすると、中から一人の中年女性が出てきました。やや暗めの赤色のドレスを着ています。とても機嫌が悪そうで、睨むような視線をこちらに向けてきました。


「お休み中のところ申し訳ありません。お客様、魔法学院事務局より係の者が参りました。お困りのことがありましたら、是非彼女にお話しいただければと思います」


 支配人はそう言って、去っていきました。

 去って行ってしまいました!?


 あれ、わたし一人に対応しろと?

 怒り狂った女性客を相手に?


 それならそうと、予め言っておいてもらわないと。そうしたらわたしが「支配人さんも一緒に」と言うとでも思ったのでしょうか。


 まぁ、言いますけれど。

 確実に巻き込みますけれど。

 荒ぶる女性の相手を一人でしたくありませんし。


 とにかく、この女性の相手はわたし一人に任されました。任されてしまいました。それならそれで仕方がありません。こういう無茶ぶりは聖女時代なら日常茶飯事でした。思い返すと、聖女の待遇が酷すぎます。


「初めまして。魔法学院事務局より参りましたセレナと申します。この度は、大変な目に合われましたね」


 愛想笑いを浮かべながらわたしはそう言いました。


 基本的に、大変な目にあったのは被害者の方です。ですが、加害者側にもそれなりの理由があるのでしょう。貴族が手を上げるという事態になっている以上、それは間違いありません。ですから、初手で歩み寄りを見せておいたのです。これが出来る女のスタイルというものです。


「それでは、お話をお伺い出来ますか?」

「嫌よ」


 断られてしまいました。

 最大限の配慮を見せたのに、端的に断られてしまいました。出来る女にも限界はあるのです。

 ですが、報告書を作るためには、ある程度の聞き取りは必要です。拒絶の言葉は聞かなかったことにして、進めてしまいましょう。


「お答えいただける範囲で大丈夫ですので、お答えいただけないでしょうか?」

「嫌よ」


 女性は再度そう答えました。

 取り付く島もないとは、まさにこのことでしょう。


 すると、部屋の奥から別の女性が二人現れました。そう言えば、事件を起こしたのは四人の女性グループでしたね。加害者と被害者、そして残りの二人。


 ――この二人は、加害者と一緒にいて大丈夫なのでしょうか?


 少し疑問に思いましたが、気にしないことにしました。


 近寄ってきた二人は、赤色のドレスの女性に「協力してもらったほうがいいのではないかしら?」と伝えています。どうやら、残りの二人の方は協力的になってくれているようです。これはチャンスです。


「失礼してもよろしいでしょうか?」

「どうぞ」


 青いドレスの女性が答えてくれました。

 わたしは部屋の中に入り込みました。部屋の中は、それはもう豪華なものでした。まるで王宮の貴賓室です。一泊あたりいくらくらいするのでしょうか。わたしなら、もったいなくて眠れません。


「それでは、軽くお話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」


 わたしがそう尋ねると、三人の女性は大きな長椅子に座りました。全員が同じポーズをしています。足を揃え、その上で右手を左手の上に乗せ、手を組んでいました。


 なんでしょう。

 なにか違和感があります。


「それでは、お尋ねします。皆さんがこの城下町に来られた目的は何ですか?」

「観光旅行です」


 青色のドレスの女性が答えました。


「ご旅行でしたか。では、怪我をした方とのご関係はどういったものだったのでしょうか?」

「友人でした」


 今は違うということのようです。つまり、加害者だけではなく、他の2人も被害者に対して悪感情を持っているということになります。その理由を探る必要がありますね。


「それより『あの女』は何か言っていましたか?」

「安静にする必要があるとのことで、別室で休まれております。そのため、私は話を伺えていない状態ですただ、支配人のお話では『覚えていない』と仰っていたそうです」

「そんなわけ、ありません!」


 女性は興奮気味に言いました。

 何か忘れられると不都合な部分があるのでしょうか。


「何が起きたのか、お聞かせいただけますか?」

「それについては、お断りさせてください。ですが、あの女とお話をさせていただければ、全て解決します。私を会わせてください」

「申し訳ありませんが、それは出来ません。今夜は安静にしている必要があるようで、わたしも会うことが出来ていないのです」

「それでしたら、これ以上お話しすることはありません」


 女性はそう言ったきり、何も話しませんでした。

 一体、何が起きているというのでしょうか。


     3


 私は支配人のところへ行きました。


 そして、有益な話を聞くことが出来なかったことを告げました。レストランとしては、学院事務局を呼んでいる以上、最善を尽くしたという実績は作れています。これ以上の対応は必要ないでしょう。


 問題は、私のほうです。正確に言えば、私の仕事のほうです。これから私は戻って報告書を書かなければなりません。ですが、報告出来ることといったら『話を聞いたが、答えてもらえなかった』ということくらいです。


 ただ――気になることはありました。


「支配人さん。お伺いしたいことがあります」

「何でしょう?」

「あの赤いドレスの女性が暴れたのですよね?」

「そのとおりです」

「他の二人は、暴れた女性と同じ部屋のままで大丈夫なのですか?」

「それに関しては、一応確認してあります。部屋をもう一つ手配させていただくことを提案したのですが、それは辞退されました」

「そうですか」


 この事件、最初は加害者と被害者の一対一の対立によるものだと思っていました。しかし、実態は違ったようです。赤いドレスの女性が加害者です。残りの二人もその加害者と同じ長椅子に座っていました。何のためらいもなく。それに、被害者に会って何かを言おうとしていました。あれは三対一の状況だったのです。


「あの、すみません。現場を見せていただくことは出来ますか?」

「はい、そのままにしてあります」


 ありがたいことでした。

 私は現場となった場所に連れて行ってもらいました。


 落ち着いた雰囲気の中、現場となったテーブルの上には料理の皿がそのままの状態で残されていました。周囲にお客さんの姿はありません。


「他のお客さんはどうしているのですか?」

「この席が見えない席にご案内しております。こちらのテーブルについては、基本的には、そのままの状態にしてあります。料理も、廃棄せずにそのままにしておきました。ただ、床に落ちた皿は片づけさせていただきました。また、倒れた椅子についても元の状態に戻させていただきました」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってみたはいいものの、テーブルの上から得られる情報は一つもありませんでした。まだ料理が残っている皿に飲みかけのコップ。中央には手つかずのホールケーキがあります。勿体ない。


『喧嘩はケーキを食べる前に始まった』


 これでは、この程度の情報しか追加できません。


 こうなっては仕方がありません。怒られることにしましょう。諦めて怒られてしまいましょう。やるだけやって、駄目だったら怒られればいいのです。それが最適解という場合も間々あるのです。


 それと、もう一つ――。


「すみません、支配人。一つお願いがあるのですが」

「何でしょう?」

「このケーキ、廃棄してしまうのでしたら、頂いてもよろしいでしょうか?」


 魔法学院には無料の食堂が存在します。

 ですが、そこがオープンしているのは、午後九時まで。


 今から戻っても、その時間には間に合いません。かといって、今のわたしには先立つものがないのです。無料で食べられそうなものと行ったら、この手つかずのケーキくらいのものです。


 ですが、支配人は『これが何かの手掛かりになるのですね?』と勘違いをして、ホールケーキを皿ごと箱に入れて持たせてくださいました。


 申し訳ない。

 私でも良心が痛みます。

 ただ、普通に食べたかっただけなのに。


 せめて、食べ終わったら皿だけでも返しに行くことにしましょう。

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