第8話 呪われた王子、報告する
【Side アベル・ド・ドラゴニア】
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部屋に戻ってから、俺は何も手につかなかった。
研究が全く先に進まない。というより、研究について考えることが出来なくなってした。目の前の魔導具に意識を集中させようとするが、気が付けば彼女のことを考えていた。
「殿下、どうしました?」
「何だ、モブか」
「さっきから心ここにあらずといった感じでしたよ。それで、セレナ嬢に会いに行ったのですか?」
「ああ、行った」
「よかったじゃないですか。この一歩は、殿下にとって大きな一歩です。素晴らしいですね。それで、どうなりました?」
「会えなかった」
「……はい?」
「だが、別の者に会うことが出来た。とても美しい女性だ。だが、逃げられてしまった」
「ああ、そうですか」
モブの顔から笑みが消えた。
「それは仕方がありませんね。事情が事情ですから」
「事情というのが『呪い』のことであるのなら、それは違う。彼女には呪いの影響が出なかった」
「……ん? では、何故その女性は逃げたのですか?」
「分からない」
モブは「やれやれ」といった様子でため息をついた。
その様子が、非常に癇に障る。
「殿下が何かやらかしたのではないですか?」
「何もしていない!」
「本当ですか?」
「本当だ」
「では、検証してみましょう」
モブは俺を見る。
「話はしたのですか?」
「した」
「具体的には、どのような話を?」
「そうだな。確か、彼女に対して『あまりに美しい』と言った」
あんなことを言うつもりはなかった。だが、気が付けばあの言葉が口から飛び出していたのだ。それ程までに、彼女は俺を魅了した。
「……成程」
モブは目をそらしながら頷いた。
「それで、他には何かなかったのですか?」
「つい、手を握ってしまった」
「手を握った!?」
モブは声を張り上げた。驚くのも無理はない。反射的にやってしまったこととはいえ、あれは俺のレベルではまず不可能な行為だ。
「殿下……。成長、しましたね」
モブは顔を下に向け、手を口に当てた。身体が小刻みに震えている。
「モブ。お前、泣いているのか?」
「いえ、笑うのを我慢しています」
「何だと!?」
「よくよく考えたら、その女性は逃げてしまったわけですから、殿下の行動は完全に拒絶された可能性が高いですね。悪い方向に成長してしまったかもしれません」
「そうなのだろうか」
「ちなみに、その女性はどんな反応をしていたのですか?」
「……『殴っていいか』と聞かれた」
俺が応えると、モブは腕組みをした。そして、口元をモニョモニョとさせながら「セクハラですね」と言った。
「やはりそうなのか!?」
「間違いありません。女性が『殴っていいか』と尋ねるなど、滅多にあることではありません。その女性は殿下の行動にそれほどの嫌悪感を持たれたのでしょう。次に会ったら、謝り倒すしかありませんね」
「成程」
それは納得のいく説明だった。論理的に考えて、それ以外の結論は考えにくい。気分が重くなった。彼女に嫌われたと思ったら、急に気力が失われてきた。
「ところで、それほど可愛らしかったのですか?」
「ああ。体つきは小柄で、顔つきはとても可愛らしかった。髪は深い黒色でなめらか。こちらに対して上目遣いで向けられていたくりんとした瞳は、俺を魅了してやまなかった。だが、彼女にあるのは可愛らしさだけではない。女学生二人に絡まれていたが、彼女はそれをものともしていなかった。むしろ、これから反撃してやろうという気概を感じた。その力強さを俺は美しいと感じたのだ。他にも――」
「ストップ!」
「何だ?」
「殿下のお気持ちはよく分かりました。その方のことをいたく気に入られたようでよかったです。でも、ほどほどにしておいてください。行き過ぎた恋愛感情は、相手にとって迷惑にもなり得ますから」
「分かっている」
「では、今回のことを踏まえて、今後の練習メニューを作りましょう」
「何の練習だ?」
「勿論、女性に慣れる練習ですよ。ただ緊張するだけならともかく、おかしな行動に出てしまうのだけは避ける必要があります」
「……頼む」
「それと、もう一つ」
まだ何かあるのか。
「セレナ嬢が婚約者だということ、忘れていませんか?」
「……あ」
「忘れていたのですね。あーあ、大変なことになってしまいましたね。これは浮気ですよ」
「浮気だと!?」
「当然です。セレナ・アリアーナという婚約者がいるにも関わらず、他の令嬢に好意を持ってしまったわけです。セレナ嬢は可哀そうですね。婚約破棄をされたばかりなのに、新しい婚約者には会う前に浮気をされていたというのですから」
「それは……」
「責任、とってくださいね」
なんということだ。俺は最低のことをしてしまった。出会った令嬢に心を奪われたことで、セレナ・アリアーナをないがしろにしてしまったのだ。これでは、やっていることが兄上と一緒ではないか。
「俺は、どうすればいい……」
「それは、ご自分で考えてください」
そう言われ、俺は頭を抱えた。
これが杞憂だと分かるのは、もう少しだけ後のことだった。
ようやく二人が遭遇しました。
次からミステリが始まります。事件を通して、二人の交流が始まりますので、是非お読みください。




