【令嬢サロン】見なかった者には、語る資格がない
あの夜会を「見なかった」者がいます。
だからこそ、その“語り”に揺さぶられるのです。
語られることで、夜会はただの出来事から「物語」へと変わっていく──
モブ令嬢視点で綴る、悔しさと決意の物語。
「……で、本当に“あの方”がいらしたの?」
「ええ。見間違えるわけがないわ。あの空気の変わり方……言葉では言い表せないの」
朝の定例サロン。
ティーカップを持つ指が、かすかに震えていた。
「五分だけ、だったんでしょう?」
「五分で、十分だったのよ。……それ以上いたら、あの場にいた全員、息が止まってたと思うわ」
わたしは、ただ黙って聞いていた。
──その夜、わたしは、熱を出して寝込んでいた。
どうしても参加できなかった、あの非公式夜会。
若手だけの、肩肘張らない集まり。
……けれど、たった五分の登場が、すべてを変えたという。
「ドレスが水色だったの」
「そう、それも“ただの水色”じゃないのよ。刺繍の糸が光をまとって、歩くたびに──舞ったの」
「舞った?」
「うん。まばたき、忘れてたくらいよ。あんなの、夢みたいだった」
「髪も……巻きが完璧だったわよね」
「後れ毛の処理まで完璧。あれは、準備に数時間かけたわね、間違いなく」
「裾のラインと揃ってたの。あれは“計算された美しさ”。天性のものとは違う、王家の研鑽よ」
わたしの胸が、ぎゅうっと締めつけられる。
見ていないのに、頭の中でその光景がどんどん出来上がっていく。
「立ち位置も完璧だったわ」
「ええ。ゼノ様が“自然に”隣にいらして──でも、あれは“偶然”じゃない」
「わたし、気づいたの。あの視線の交差……」
「ね、怖いくらいだったわよね?」
「ええ。何も言葉は交わされていないのに、“絵”になっていたの」
「あと、“お隣”もいたわね」
「うん。“歩く粛清”が」
その言葉に、サロンが一瞬ざわめく。
けれど、誰も否定はしなかった。
「まさか、あの方までいらっしゃるなんて思わなかった」
「しかも、黙って立ってるだけで空気が凍るって、どういうこと?」
「わたし、寒気がしてスープ三口も飲めなかったのよ? あの方の視線、空気を凍らせるわ」
「アリシア様は、動じていらっしゃらなかった」
「ええ。完璧な笑みを浮かべて──ただ、わたしには、あの笑みが“仮面”に見えたの」
(……わたしは、何も知らない)
(なのに、皆の語る“その場”は、確かに存在していて)
「もう、伝説よね。あの五分」
「ええ。語り継がれるわ、絶対に。
だって、あの場にいた者しか知らない、あの息づかいまで含めて」
「わたし、姉に書き送ったの。『歴史的瞬間だった』って」
「わたしなんて、詩にしちゃった」
「何それ……あとで読ませて」
「嫌よ、下手だから。でも……伝えたくなるのよね。あの時間を、“わたしは知ってる”って」
わたしは、そっと立ち上がる。
カップを置く音が、微かに響いた。
「どこへ?」
「仕立て屋よ。次の夜会に備えなきゃ。……このままじゃ、一生“見なかった人”のままだもの」
言い捨てるように背を向けたわたしの背後で、
誰かが、ほんの少しだけ、悔しそうに息を飲んだ音がした。
──“物語”に、乗り遅れるわけにはいかない。
わたしも、あの光の中に立ってみせる。
たとえ、それが“影”であっても。