8話 過去 — 若き議員の未来を守れ
二週間が経った。
初の過去転送訓練を終えた特殊作戦部隊Tは、いよいよ“実戦”に臨む。
17時、日差しも差し込まない地下施設。
薄明かりの中、PTD転送準備室に隊員たちが静かに集まっていた。
無駄な言葉はない。ただ、装備チェックの音と、かすかなブーツの足音だけが響いている。
「……天気は、晴れらしいよ」
柳がぼそりと呟いた。
緊張を和らげるための軽口だが、誰も返さない。
彼自身も、半ば独り言のようだった。
「全員、転送前チェック完了。PTD、起動します」
端末の前に立つ湯中が、淡々と告げる。
その声に、全員が動きを止め、整列する。
事件発生は2048年6月12日――。
場所は、東京都千代田区・永田町。
任務は、若手国会議員を狙ったテロ事件の阻止。
歴史では既に「起きてしまった事件」だ。
今回は、訓練ではない。本物の作戦だ。
転送の座標はそれぞれバラバラで合流は現地で。
それが、PTDの仕様であり、作戦の最初の難関でもある。
星野は前に出て、ゆっくりと隊員たちを見渡す。
その目には、冷静な光と、微かに緊張を帯びた決意が浮かんでいた。
「これは俺たちの“初陣”だ。過去に介入し、歴史を変える。――それが俺たちの任務だ」
短いが、重い言葉だった。
「……全員、作戦行動開始」
その瞬間、PTDが稼働を始めた。
青白い光が部屋を満たし、視界が一瞬、白に染まる。
風のない、静寂の中。
隊員たちの姿は次々と、時の狭間へと消えていった――。
2048年。
歴史に刻まれるはずだった、死と破壊の瞬間。
そこに、彼らは現れる。
*
眩い閃光が収まり、空気が変わる。
星野は静かに地面に着地し、瞬時に周囲の警戒を取った。
ここは、2048年の東京・永田町――議員会館から少し離れた裏通り。
空気は湿って重く、空にはうっすらと雲が広がっている。
星野は腕の通信端末を起動し、各隊員の座標を確認した。
──転送位置、数百メートルから1.2km圏内。想定通りだ。
「こちら星野。全員、現地到着を確認。合流地点Aに向かえ。通信は最小限に抑えろ」
淡々と指示を出すと、星野は足早に合流ポイントへ向かいはじめた。
*
約20分後。
永田町の廃ビル屋上に、次々と隊員たちが姿を現す。
五十嵐、山野、柳、海野、小野田、そして最後に黒木。
全員、現地の一般人に溶け込むよう私服に切り替え、偽造IDも用意済みだった。
小雨に濡れたコンクリートの上、星野は簡潔に言った。
「全員到着を確認。作戦の再確認をする」
小野田が起動した携帯型ホログラフ端末に、永田町周辺の3D地図が展開される。
「標的は国会議員・日向彰吾。安全保障分野で将来を期待されていた人物だが――明日、2048年6月12日午前9時45分、暗殺された」
その瞬間、地図に赤いポイントが浮かび上がる。
「記者会見のために移動中、車が信号待ちで停止したタイミングで爆破が発生。混乱の中、至近距離から狙撃された。即死だ」
星野は続ける。
「我々の目的はこの事件の“未然防止”だ。既に起きた過去の事実を上書きし、未来に影響を与える。成功すれば、国家の防衛政策そのものが変わる可能性もある」
「襲撃犯は?」と五十嵐が口を開く。
「現時点では特定の組織名は不明。複数の過激派が関与していた可能性がある。重火器と自動小銃を使用、元自衛官の関与も疑われている」
「武装勢力、か……」と黒木が小さく呟く。
小野田が補足する。
「既に市街地の通信網にアクセスを開始しています。監視カメラの映像から襲撃前の不審行動を抽出中。敵のルートを割り出せれば、待ち伏せも可能です」
星野は頷くと、隊員たちに視線を向けた。
「作戦は三段階」
一、日向議員の車の動線確認と安全確保。
二、テロリストの侵入経路を特定し、先制して制圧。
三、突発事態への即応・事後対応まで一貫して担う。
「民間人の巻き添えを防ぐため、非殺傷での制圧を基本とするが、武装によっては発砲を許可する。命令なしの致死攻撃は禁止だ」
「……今回は完全な実戦」と山野が呟く
「ああ。そうだ」
星野ははっきりと言い切った。
「我々の介入が、未来を変える。任務の失敗は、“歴史通り”の死を意味する」
その言葉に、全員の背筋が伸びるのがわかる。
黒木が一歩前に出て問う。
「現地の警察や警護部隊との接触は?」
「なしだ。公式記録には“存在しなかった部隊”として行動する。警護側への干渉は禁止、必要があれば情報を操作する」
「了解」と黒木が短く答えた。
星野は改めて全員を見渡し、言葉を締めくくった。
「明日、午前8時30分。現場に展開し、作戦を開始する。各自、装備の最終確認と休息をとれ」
静かな屋上に、全員の「了解」の声が重なった。
2048年6月11日。
特殊作戦部隊T、歴史に踏み込むその“初陣”は――静かに、確実に迫っていた。