12話 爆破 — 公安資料 D-419号
2050年、特殊作戦部隊T 拠点――作戦会議室。
ホログラムのスクリーンに、都市の俯瞰図が浮かび上がる。
場所は新宿駅南口、東京でも屈指の交通の要衝だ。
平日の午後には数万人が行き交い、絶え間ない人の波が街を満たしている。
「標的はここだ。2048年7月3日16時34分、新宿駅南口バスターミナル。爆心地は、広場中央かその下、地下通路」
星野零は淡々と告げた。
指で空中を操作し、事件発生の瞬間の監視映像を呼び出す。
ホログラム内の映像に、無数の人影と、その中央で突然発生する白い閃光が映る。
――爆発。
光と衝撃波が歩行者を吹き飛ばし、映像は一瞬でノイズに包まれる。
「被害者数は推定87名。死者45名、重傷者32名、軽傷者10名。犯行声明もなく、犯人は不明もしくは死亡、未解決のまま歴史に刻まれた」
「たった一発で……こんなことに」と五十嵐が低く唸る。
「使用された爆薬は高濃度のプラスチック爆弾と見られる。市販品での自作ではない。軍用規格に準じた精密な起爆装置が使われている」
「つまり、敵は“プロ”と考えるべきですね」と小野田。
星野は頷いた。
「このテロ事件も、通常の捜査機関では対応しきれなかった。」
「新宿駅で、しかも夕方……。人の多さが、かえって最悪の結果に繋がってる」と黒木が呟いた。
「正確な時間は、すでに判明している。だからこそ、我々は防げる。今回も転送先は事件発生の24時間前にPTDによる過去への移動を実行する」
「またバラバラ着地、ってわけですね」と海野。
「そうなる。空間の同期は我々には制御できない。時刻は揃うが、場所は個々にズレる。まずは合流を最優先とする」
「了解です」と柳。
星野は最後に、視線を全員へと向ける。
「この爆破テロは、特定個人を狙ったものではないと思う。ただの無差別大量殺人だ。だが……この事件によって未来が歪んだ。犠牲となった人々の中には、将来、大きな役割を果たす人物もいるだろう」
モニターに切り替わった人物写真の中に、小さな子どもとその母親の姿があった。
「俺たちが動かなければ、この事件は世界に“記録された現実”として確定する。だが、まだ変えられる。変えなければならない」
*
出撃前、転送準備室。
白い壁の無機質な部屋に、隊員達が整然と並ぶ。
湯中が各員に最終チェックを行いながら説明を続けていた。
「転送目標:2048年7月2日 17時00分。同期は全員同時。だが、転送座標は予測不可。新宿区内とは限らない可能性もある。直ぐに対応するが通信機能は現地ネットワークと接続するまで使えない。合流が最初の任務になる」
星野は一つ一つの言葉を胸に刻みながら、静かに装着作業を進めた。腕に固定されるPTDの冷たい金属感は、何度経験しても慣れない。
「……無事に会えるといいですね、隊長」と黒木が小声で呟く。
「必ず、会おう」
星野の答えは短く、しかし確信に満ちていた。
「転送30秒前。全員、位置についてください」
視界が一瞬で白に包まれた。
――過去が、彼らを迎える。
*
2048年7月3日 14時、新宿駅南口。
夏の陽光がガラスの高層ビル群に反射し、路面はじりじりと焼けていた。
人通りは平日にもかかわらず多く、駅前のロータリーでは観光客の姿も目立つ。
その雑踏の中に、星野零はいた。
黒のシャツにグレーのスラックスという地味な私服姿を装ってはいるが内側には装備を身に付けている。
駅の南口広場に背を向けるようにしてベンチに腰かけている。
「こちら星野、南口バスターミナル前。人流は通常、今のところ異常なし」
耳に付けた通信装置にそう告げると、数秒後、柳雅人の声が返ってきた。
『了解。上空からのドローン映像でも目立った異常はなし。……ただ、監視カメラの一台が先ほどノイズを出しました。再確認中です』
「引き続き注意を。怪しい動きがあれば即報告を」
駅の構造、避難経路、監視カメラの死角。全てはすでに頭に入っている。
だが、爆破は17時には起こるが、敵の正体も人数も不明なままでは、過去改変任務としては不確定要素が多すぎる。
(……爆破のタイミングで演説中だった政治家は、現代では“事故死扱い”になっている。一般人の犠牲者数も数十名……)
*
それから2時間ほど経っても現場に動きはなかった。
時刻はまもなく16時。
「黒木、位置を報告してくれ」
『南口駅構内、待合広場側に潜伏中。人の流れが多いから視界は良好とは言えないですね』
その声に続いて、五十嵐の無線が重なる。
『こちら、五十嵐。交差点側。観光客に紛れてる若い男がちょっと怪しいっすね。尾行してみます』
「了解。だが深入りはするな。海野、そっちは?」
『ルミネビル屋上。周囲の出入りを確認中。特に異常はない……です』
「了解」と返して星野は短く頷き、視線を駅構内に移した。
(敵の狙いが“破壊”なのか、“誰か”なのか、それによって対応は変わる)
湯中から提供された未来側の残存記録が唯一の手がかりであり、信頼できるのは仲間たちの経験と直感だけだ。
『隊長、地下鉄側で少し妙な動きがあります。中年男性がスーツケースを二つ持って移動中。未来の映像を確認したところ今後のその男の動線の位置に例の“起爆想定地点”と一致する所があります』
小野田の冷静な声が響いた。
「了解、俺が向かう。黒木、五十嵐と合流して駅地下へ」
『了解。向かいます』
『走ります!』
星野は立ち上がり、周囲に溶け込むようにして新宿駅の構内へと足を踏み入れた。
*
2048年7月3日 16時20分、新宿駅構内 地下通路。
星野は地下フロアに入り、群衆の合間をすり抜けながら、指定された位置へと急いだ。
通路の先、券売機横に目をやると、確かに小野田の言っていた男がいた。
グレーのスーツ、年齢は50代前半で、やや小柄で神経質そうな顔つき。
両手には大ぶりなスーツケース。
それを、重さを感じさせない手つきで運んでいる。
(……あのサイズであの軽さ。中身は衣類じゃない)
星野は自然な動線で近づきつつ、イヤピースに囁いた。
「標的確認。身長170cm前後、スーツケース2個所持。小野田の言った通り、起爆想定位置に向かって移動中。黒木、五十嵐、回り込め」
『こちら黒木、構内東側通路から回り込みます』
『俺は地下改札から出口ブロックに入ります。時間かけずに挟み撃ちしましょう』
男は時計を確認した後、地下の休憩エリアに腰を下ろした。スーツケースの一つを膝に抱え、もう一方を足元に置く。
周囲は旅行客と通勤客が入り混じっており、不審人物に気付く者はいない。
「突入は10秒後。捕捉して即確保。俺が先手を取る」
星野はポケットから小型の※電子閃光弾を取り出し、さりげなく近づく。
〈※最新の電子閃光弾は標的を設定すれば、その標的にのみ影響を与える〉
男が顔を上げた、その瞬間だった。
――ピッ。
星野の投げた閃光弾が目の前で破裂した。
「動くな!」
叫ぶと同時に、男の手からスーツケースが離れた。
星野は詰め寄って男を床に押さえ込み、即座に手首を拘束する。
そこに、黒木と五十嵐が走り込み、周囲を囲んだ。
「確保完了。スーツケースの内部確認を急げ」
「了解、開けます」
五十嵐が片膝をついてケースを開くと、そこには見慣れない構造の起爆装置と、円筒型の高密度プラスチック爆弾が詰め込まれていた。
「やばいなこれ……本物だ。ちゃんと動く構造してやがる」
「もう一つのケースも同様……タイマーはセットされてないです。遠隔起爆ではなく、現地起爆のつもりだったみたいですね」
黒木もそう報告する。
その間、男は目を見開いたまま星野たちを睨んでいた。
「貴様ら……何者だ……公安か?いや……」
「質問に答えろ。誰の指示だ。目的は何だ」
「……ふふ、無駄だ。お前らには、何も守れない」
そのときだった。
星野が爆弾に意識を逸らした隙をついて男が拘束から抜け出し見た目とは裏腹に素早い動きで懐から小瓶を取り出し、口元へと持っていく。
「やめろッ!」
星野が再度腕を掴もうと動く、が一歩遅れた。
――ゴクン。
男は液体を一気に飲み干した。数秒後、激しく嘔吐しながら白目をむき、身体を痙攣させ始めた。
「毒物か……こいつ自死の訓練を受けているな。かなり強い神経毒だ」
星野は男の体を押さえつつも、表情を一切崩さなかった。
この躊躇いのない死に方は、テロ組織や諜報員のやり方だ。
まるで「情報の口を封じる」ためだけに計算されているようだった。
「死亡確認……」
五十嵐が息を吐いた。
「黒木、駅警備と接触しろ。身元確認と爆発物処理を依頼してくれ」
「了解、上手く名前は伏せて刑事として対応します」
星野は静かに立ち上がり、男の死顔を一瞥した。
2048年7月3日16時34分
起きるはずだった爆破は起きなかった。
だが、隊員達の顔には爆破を防いだ勝利の喜びも、男を死なせた敗北の悔しさもなかった。
ただ一つ、沈黙だけが残る。
そして、その沈黙こそが、今後の災厄を告げる鐘の音だった。