interview~final~【私の存在】
こんにちは絃です
全6話構成の、短いお話です
今回がfinalとなります
お気軽に覗いていってください
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あのさ、――。
取材が終わり、スタジオの空気が一気に緩んだ瞬間だった。
照明が落とされ、スタッフがテキパキと機材を片付けていく中、
私は立ち上がったばかりのタイミングで、後ろから声をかけられた。
その声は、どこか遠慮がちで、けれど、どうしても聞きたかった――そんな響きだった。
堺だった。
彼もまた立ち上がっていて、手には台本の束と、使わなかったメモが何枚か挟まっていた。
その視線は、私の肩越しを見ているようでいて、やっぱり私の顔をちゃんと見ていた。
私たちが座っていた椅子も、気づけばスタッフによってスッと片づけられていて、
立っている私たちだけが、取り残されたようにぽつんと空間に浮いていた。
「なに?」と私は答えた。
ただの挨拶か、ねぎらいの言葉か――。一瞬そう思ったが、彼の目が揺れている。
口元には、言い淀んでいる気配があった。
言うべきか、迷っていたのかもしれない。
それでも、彼はほんの少しだけ息を吸って、ぽつりと問うた。
芙月にとって、バレエってなに、――?
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昔、聞いたことがある。
バレエってなに?
あなたにとって、バレエって一体、何なの?と。
何でそこまでして、バレエを続けるのと。
あれはたしか、深夜の寮の部屋だった。当時の私は、怪我も重なってすっかり自信を失っていた。
悔しさと情けなさのあまり、誰かに縋りたかった。
だから、私は彗に問うた。八つ当たりのようでいて、でも本心だった。
彗は、その私の惨めな心情を、ちゃんと見抜いていたのだと思う。
そして、怒るでも、戸惑うでもなく、静かに答えてくれた。
「バレエは、私にとってアントレだから」
アントレ? それって、作品の踊り始めに踊る、あのアントレ?
「うん。つまるところ、バレエは私にとって全ての始まりなの。だからアントレ」
――初めて、舞台の魅力に気がついた
――初めて、感情が揺れ動く様が面白いと思った
――初めて、何かを美しいって思った
――初めて、人間の美しさに気がついた
――初めて、もっと続けたいと思った
――初めて、やりたいものを見つけた
――初めて、自分以外の者になれたし、初めて心から悔しいとか、思った
それから、何よりも、
初めて、――私の存在を見つけられた
そう答える様が、何だか少しだけ怖かったのを今でも覚えている。
深夜、ほとんど誰もいない静かな空間の中で聞いたその一言が、まるで告白のように胸に突き刺さった。
バレエがただの「好き」や「得意」の枠を超えて、生きるための核心になっている。
彼女の中で、バレエはもう、逃げ場でも、飾りでも、手段でもなく、「始まり」であり、「存在理由」だった。
と同時に、彗には勝てないなと悟った瞬間でもあった。
ここまでバレエを根っこから愛する人を、後にも先にも私は知らない。
だからこそ、私は私の土俵で頑張ろうとも思えた。私が、できる全てをやってみようと思えた。
彗は、静かに立ち上がり、部屋の窓辺の木枠に立つ。丁度、出窓になっていた。
縦に長い木枠の窓から、朝日が差し込んでいた。
その逆光の中で、彼女は自然に五番ポジションをとる。脚のラインはまっすぐで、無駄がなく、力強く、それでいて優美だった。
努力して得た身体のかたち。無数のレッスンと痛みによって作られた、まさに芸術の骨格。
彗の腕が、ゆるやかに動く。プレパレーション――レッスンの最初に必ず行う準備の動き。
アンナバンからふわりと腕を開き、円を描くように再び戻す。
その一連の動作に、何のためらいも、迷いもなかった。
ただ一つの呼吸のように、身体が自然に動いていた。
そして、彼女は目を細めて、笑った。
まるでその瞬間だけ、時間が止まってしまったかのように。
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堺からの思わぬ質問に、その一言に、私は小さく目を見開いた。
言葉そのものは単純だ。たぶん、誰もが一度は問うような類のものだ。
けれどその声には、明らかに“本気”があった。
知りたいというより、知っておきたい――そんな、願いに近い何か。
しかも、彼は少しだけ頬を赤くしていた。
照明が落ちた後の、柔らかな室内灯のせいだけではない。
顔を逸らすでもなく、真正面から私に問いかけたその表情に、
私は一瞬、どう答えるべきかを迷った。
これはもう、取材じゃない。カメラも回っていない。ただの会話。
だけど、その一言に込められた彼の温度が、やけにまっすぐで、私の心を打った。
私は、ほんの少しだけ、意地悪そうに笑みを浮かべた。
私にとって、バレエはね、――――
【entrée~これが私の生きる道~ fin.】
いかがでしたでしょうか?
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