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interview~2~【私はバレエを愛しています】

こんにちは絃です

全6話構成の、短いお話です

お気軽に覗いていってください

「呪いと言いますと、それには自身が一度バレエから離れたことに関係するのでしょうか?」


 お、良い質問するじゃん、と私はこの日初めてオオツキさんのことを見直す。

 それまでの彼女は、浅い知識で繰り出す質問ばかりで、正直言って聞いていて少々苛立ちすら覚えていたが、この問いには思わず内心で唸ってしまった。核心に、わずかに触れたのだ。


 ふふふ、そうとも言えますね。――


 そう答える彼女の顔には、やはり何だか、どこか掴めないような表情が浮かんでいた。

 微笑の輪郭の中に、どこか遠くを見つめるような曖昧な影が落ちている。誰にも踏み入れさせない領域が、そこには確かにあった。


 スッと彼女の指先が動く。

 小さな仕草だが、その指の先まで神経が行き届いているのがわかる。

 話すときに身振り手振りを使うのは、彼女が私と出会った時からの癖であった。ひとつひとつの動作に、かつての踊りの痕跡が宿っているようで、それを目にするたびに、私は無性に懐かしさを覚える。


 昔、聞いたことがある。

 その癖はいつから何だいと。

 どうやら、幼い頃から海外のバレエ学校へ留学していた彼女は言語の壁を感じることが、多々あったらしく、そのときについた癖だという。

()()()()()()()()()()は、最高の武器だよ」

 そう言ってと肩をすくめて笑った彼女の様子は、まるで異国の地で懸命に立っていた留学したての小さな女の子のようだった。

 言葉が通じなくても、自分の意思を踊りで伝える術を、彼女はずっと磨き続けてきたのだろう。

 動いた指先にみほれている間に、彼女は淡々と語る。


 私は、バレエを愛しています。けれども、ずっとそうだったわけではありません。留学時代は辛いことなんて沢山ありましたし、バレエ団に入ってからも、ゴールがあるわけではなく、常に自分との戦いでした。なので、一度この世界を離れて、違うこともしてみようって考えたんです。

 それは確か、二〇代半ばの頃のことでした。バレエとは全く関係のない世界へ、一から、やってみようって――


 私は、誰にも気がつかれないよう、ソッと彼女の顔を覗き込んだ。

 オオツキさんの質問に答える彼女の視線には、一体何が映っているのだろうか。まっすぐ遠くを見据えるその眼差しの奥には、私のような凡庸な人間では到底届かない、澄んだ過去の情景が広がっているのかもしれないと思った。

 いや、案外、普通の生活を送っていた時の、人間らしい時間の記憶かもしれないとも思った。

 ごくありふれた朝、何気なく入れたコーヒーの匂い。スーパーでの買い物。誰かと笑い合った、あたたかな夜の記憶。踊りとは関係のない、けれど確かに彼女の中に刻まれた時間。


 バイトして、一人暮らしして――まあ、そのときにはすでにパートナーがいたので、完全にバレエから離れられたわけでは無いですけども。自分から、無理して戻るのも違うなって思ったんです。――

 でも、――と彼女はワンテンポ置く。

 わずかに視線を伏せ、息を整えた後、その言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。


 やっぱり私は、バレエが大好きでした――


 その言葉に添えられた微笑みに、周りを囲む記者やカメラマン、音声さんや業界人の皆が、一瞬にして静まり返る。

 その場の空気が変わったことに、私は気づいた。

 まるで一音のピアニッシモがホールを制するような、静謐な力があった。

 彼女が美しいから、その笑みにドキッとしたからなんて安直な感情では無い。

 彼女の話の続きが、聞きたくなったからだ。

 実際、彼女がバレエの業界から姿を消したのは六ヶ月、――約半年であった。私が芙月のために『SIX MONTH』という曲を作曲したのは、また今度話そう。


 なんだか、心にぽっかりと穴が空いたような、日常が満たされないような、そんな日々が続いたんです。そしたら、ある日、ラジオからくるみ割り人形の曲が流れてきて、体が勝手に踊っていたんです――


 くるみ割り人形の曲――Pyotr Ilyich Tchaikovsky作曲の葦笛の踊り(Slovak Philharmonic)である。日本では某携帯会社のCMソングにも起用されているので、耳にしたことがある人も多いハズだ。


 久しぶりに踊ってみると全然踊れなくて、――と彼女は、苦笑まじりに笑う。


 こうじゃない、こっちの足はこうで、ターンアウトはもっとこうでって、一人でジタバタしてて、気がついたらその日の夜にバレエのDVDを漁るように観ていたんです。テレビが壊れるんじゃ無いかってぐらいリモコンのボタンを押して、――

 彼女のことをよく知る(自称)私からしたら、その様子を想像できて、少し面白い。

完璧主義で、意外とせっかちで、やるならとことん突き詰める彼女のことだ。一度踊り出してしまえば、止まるはずがない。

 まるで一度水を得た魚のように、彼女は――バレエという世界に――自然と、戻っていったのだ。


 その時気がついたんですよ、ようやく。私はバレエから離れられないんだって。それはもう一種の“呪い”なんだろうなって。切っても切り離せない関係。決して楽な道では無いけれど、それでもその魅力を知ってしまったから、私はそこから遠ざかることはできない。そんな気がしました――

 言葉のひとつひとつが静かに胸へ届く。軽やかな語り口とは裏腹に、それはまるで祈りのようでもあり、告白のようでもあった。

 彼女にとって「呪い」とは、恐ろしいものではない。むしろ、それがなければ自分ではいられない――そんな想いすらにじんでいた。


「なるほど。では、一度離れた原因とは一体何だったのでしょうか? やはり、バレエに対して、挫折や諦めといった面があったのでしょうか?」


 ……おー、と。


 その場に微妙な沈黙が落ちた。

 この質問はマイナス百点だな。少なくとも、芙月にとっては。

 ああ、やっちゃったなと、内心思いながらも、私はあくまで平然を装う。

 記者のオオツキさんも悪気があったわけではない。むしろ率直な関心から出た質問だということはわかる。だが、こういう無邪気さが人の記憶の傷口をうっかり撫でてしまうことがある。


  彼女は少しだけ困った顔をした。目元がわずかに曇る。それでもすぐに笑みに切り替える、その訓練された表情の奥に、ほんの僅かながら迷いが滲んだ。


 うーん、挫折……では無いですね。そんなの小さい頃から数えきれないほどしていますから

 

 彼女は肩をすくめて、冗談めかして言う。だが、その言葉の一つひとつには重みがあった。

 幼い頃から、壁にぶつかり続ける日々。ライバルとの比較、自分への不信、身体の不調、思い通りにいかない舞台。そうした数えきれない“挫折”を、彼女はすでに“日常”として受け入れているのだ。


 だから、バレエから離れたきっかけが、その言葉でまとめられるのは、少々違う気がします――


 記者は、はい、と頷きながら、それでも諦めずに言葉を継いだ。

「では、何故なのでしょうか? 確か、朝倉さんの同期には、かつて世界的プリマと呼ばれた伝説の、雪々原彗さんがいらっしゃいましたよね。」


 出たな、と私は思う。

 記者にしてみれば、きっと「掘り下げどころ」としてふさわしい話題なのだろう。

 雪々原彗――彼女の名を出せば、誰もが一度は「天才」の二文字を思い浮かべる。

 でも、それは同時に、芙月という存在を語るとき、常に「比較対象」としてセットで語られてしまう、厄介な名前でもあるのだ。



 


※5/5~5/10まで夜22:00に毎日、投稿します

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