透明な関係図
「なんか俺の後輩がこの辺に住んでるんで、あいつを呼んで一緒に飲もうか。」
友人のコウスケと半分仕事の用事を済ませて、秋の夕暮れどきに喫茶店から出た。
日が徐々に短くなり、秋の風が肌寒さを感じさせるこの季節は、一層寂しさを感じやすい。
「おお、いいよ!」と言いながら、内心は来てもどうすんねんと思った。
知らない人だし、君らは先輩後輩で、こちらは話に入りづらい。それでも2ヶ月前に元彼と別れて未練はないけれど、たまに寂しさが顔を出す。普段の仕事だけでは新しい人と知り合う機会もないし、友達の友達を知るのも悪くないかもしれない。
お店に着いた時には、コウスケの後輩はもう先に入っていた。
「瀬島、事務所の後輩。」コウスケがタバコに火をつけながら紹介してくれた。「俺らの6つ下。」
「瀬島くんね、よろしく。立花紬と言います。」
結構年下だけど、年齢関係なく初めましての人には敬語を使ってしまう癖がある。
「コウスケさんのお友達なんですね。紬さんて、建築関係のお仕事ですか?」
「いや、全然違うんですよ。彼とはたまに飲みに行く仲です。」
「そういう関係なんですね。俺、こう見えても結構真面目に建築やってるんで、コウスケさんにもよくいじられます。」
「そうなんだ〜、それは楽しそうね。」
「はい、生3つでーす!」店員さんの姉さんの元気な声で会話が一時中断された。
それからコウスケと瀬島くんは仕事の話ばかりしていて、私は少し退屈になってきた。「ちょっとタバコ吸ってくる。」
「ここでいいじゃん!」コウスケが灰皿を私の前に置いてきた。
「紬さんもタバコ吸うんですか?」瀬島くんもタバコ一本を取り出した。
「吸うけど、コウスケほど吸ってないよ。」
「うるせぇわ。」コウスケはもうそろそろ仕上がってきている。
その時、コウスケがふと思い出したように言った。「そういえば、こいつ超優秀だよ、来年留学しに行くって。」
「あ、そうなんですね。」私は淡々と、もう一度瀬島くんの方に視線を投げた。
お店の前でバイバイの挨拶を済ませ、コウスケだけ方向が違って、私は瀬島くんと二人きりになった。
空気中に少し気まずさが漂っている。こういう場面、どう過ごせばいいのか分からない。
「紬さん、ごちそうさまでした。」
「いいのいいの。」手を振りながらタバコに火をつけた。実際、半分はコウスケが払ったんだけど。心の中では、まだ彼とはほとんど話していないが、彼の誠実そうな雰囲気に少し安心していた。ただ、友達の後輩なんて、もう会わないじゃないと勝手に思っていた。
全然喋れなかった人と二人きりになるのってこんな気まずさを伴うのかと、改めて感じていた。
「あ、代わりに俺がアイス買ってこようか!」ちょうど目の前のコンビニを指差しながら、瀬島くんがこちらを見た。アイスを食べながら二人で歩き出す。話題が自然と建築に移った。
「紬さんも建築好きなんだって?」
「ええ、そうですよ。特に老舗の建築やモダニズムの建築が好きで、時間があると展示を見に行くのが楽しみなんです。」
「ほんとに?それなら時間があるときに一緒に行きませんか?」
「いいですね、ぜひ。」
その日以来、何度も二人で食事をしたり、建築展示会を見に行ったりするうちに、少しずつお互いのことを知り、心の距離も縮まっていった。初めての時の緊張感は消え、瀬島くんと一緒にいる時間が楽しく感じるようになっていた。何回も瀬島くんに「紬さんは絶対人見知りなんですよね」と言われたことがある。
そして、ある日、夏の終わりが近づく頃、瀬島くんが言い出した。
「せっかくの夏だし、旅行でもしようか?ちょうど見に行きたい建築があって。」
旅行の計画を立てるために瀬島くんの家の近くにある、昔ながらの喫茶店に集まった。
古い木製のテーブルと椅子、壁に掛けられた時計が時代を感じさせる。ウェイトレスの軽快な靴音がタイルの床に軽やかに響き、夕日に照らされる大きな窓から柔らかい光が差し込んでいた。私たちは外の景色を背景に、ノートを広げ旅行先のプランを語り合った。
「この美術館、ずっと行きたかったんですよ。建築のデザイン、実はうちの大学の教授が手掛けたものなんだよ!」「えーすごい。それは見に行かないとね。」と、インターネットで調べた情報を書き留めていると、瀬島くんがふと私をじっと見つめてきた。
「むぎの首のライン、綺麗だね。」
突然の言葉に、顔が熱くなるのが自分でも分かった。
「何言ってるの、瀬島くん。」
「いや、本当にそう思ったから、つい言っちゃった。」
その瞬間、彼の真剣な眼差しに心が揺さぶられた。彼と一緒にいる時の温かい気持ちと、不安が交差する。
旅行当日、車を運転するのは私の役目だった。瀬島くんは助手席でリラックスしていたが、ナビよりも気が早くてサポートが下手だった。
「次の信号を左ね…あ、違ったかも!その次の信号だ!」
「もう、瀬島くん、ちゃんと落ち着いてナビしてよ!」
途中は和やかに会話しながらも、彼と一緒だったから道中も短く感じた。目的地に到着する頃には、夕日の光が薄らいで建物に影を落としていた。わたしたちは美術館と建築の並ぶエリアをゆっくりと歩き、展示物に心を打たれた。食事後、宿泊先でコンビニから買ったお酒を楽しんだ。
「ごめんね、明日も運転任せちゃってるから、私お酒は控えめにするね。」
「じゃあ、俺がその分楽しむよ。」瀬島くんはビールの缶を持ち上げて笑った。
瀬島くんはお酒が強い方じゃないのに、その日はちょっと飲み過ぎていた。
「むぎ、今日は車の運転ありがとう。」そう言いながら、頭をポンポンされた。「一日運転できてえらいね。」
「ったく、年下に褒められてもあんまり嬉しくないんだけど。」と言いながら、内心嬉しさがこみ上げてきた。
だんだん赤くなってきた顔を見てたら、瀬島くんが酔ってるのが分かった。彼が私に近づいてきて、「ねぇ、瀬島くんめっちゃアルコールの匂いするよ。」
「え?くさい?」
「そんなことないけど。」
その瞬間、彼がキスをしてきた。驚きと嬉しさが入り混じった感情に包まれた。「やっぱ俺、むぎのこと気になる。」
お酒を醒まそうとベランダに出ると、ぬるくてしっとりとした夏の夜の風が頬を撫でた。暗く重い雲が空に垂れ下がり、二人の曖昧で掴みどころのない関係を映し出しているようだった。瀬島くんとタバコをシェアしていると、彼がそっと後ろからハグしてくれた。
タバコを持っている私の手が空中で止まり、そんなときふと、日本語なんてずるい言語だなと思っていた。
「すき」ではなく、「気になる」という言葉だけが浮かぶ。
心の中では複雑な感情が渦巻く。彼との関係をどうすればいいのか、何が正しいのか、分からなくなる。彼との友達としての関係性も楽しんでいるのだが、もっと近づきたいという気持ちと、この微妙な関係性が傷つくことへの不安が入り混じる。ただ私も瀬島くんのこと気になるのがわかっている。でも私は瀬島くんを責めることはできない。ただただ遠距離恋愛に自信を持っていないのと、6つ下の瀬島くんの将来を束縛したくない。
旅行から帰った後も、瀬島くんとは何度か食事をする機会があった。そのうち夏が終わり、瀬島くんも旅立つ日が近づいてきた。瀬島くんが出発する日に、ちょうどコウスケとまた打ち合わせがあって、彼がぽつりと話しかけてきた。
「てか去年の秋…秋の時かな?一緒に飲みに行ったうちの事務所の後輩、瀬島、覚えてる?今日留学に行ったよ。」
「あ〜うん、知ってるよ!」
「へぇ、知ってんの?お前らいつの間にそんなに仲良くなった?」
私はただ笑みを浮かべ、手の中のタバコを消した。
季節は変わり、天気が寒くなったある秋の夜。
お部屋を片付けるときに、読みかけている本の中で、瀬島くんと一緒に訪れた美術館のチケットを見つけた。胸の鼓動が途切れて、時が止まったように感じた。思わず意識が戻って、瀬島くんに電話してみた。呼び出し音が響く中、不安と期待が入り混じる気持ちで待っていると、電話がつながった。
「よーどうした?姉さん。」
「何もないよ、」私は微笑んで、彼が離れていないみたいに声をかけた。「ただ、会いたいなって思って。」
一瞬の沈黙の後、彼からの声が9600キロの距離を超えて、静かに届いた。「俺も会いたい。」
日本語ってやっぱずるい。ただの7文字で、心が満たされた。