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ただ、あなたがいい

 青年は今日も美しかった。白雪を思わすような肌。陽に透けて金に輝くとび色の髪。泉の底を思わすみどりの瞳。彼は照れながらもにこやかな表情を浮かべ、大きな花束を持っている。


「——」


 花束を受け取りながら、私はほとんど顎が抜けそうになった。青年、もといアルヴィッド殿下は顔を真っ赤にしている。


「来てしまいました……」

「……」

「僕との縁談を進めてくださり、ありがとうございます。だから、今日はお顔を拝見しにまいりました。これから少し、外に行きましょう」

「!?」


 ドレスもないのに、とひとりごちると、アルヴィッド殿下がはにかみながら、安心してください、という。


「あの、いまのお召し物で構いません。お帽子をかぶっていただいて」

「……でも」

「これから行く場所は、かしこまって行くところではないので」


 今、私はくすんだベージュの日常着を着ていた。金持ちな庶民の、働き者の夫人のようないでたちだ。


「よろしいんですか……?」


 よく見ればアルヴィッド殿下もそんなに良い格好をしていない。仕立てはきっちりとしているのに、王族とは思えない格好だった。首都オーデバリに勉学に来た富裕な学生に見える。

 さすがにくすんだベージュのボロボロドレスはまずいから、深い青の目立たないドレスに身を包み、化粧を直して馬車に乗る。馬車も庶民の乗るようなもの。

 あれ、……これがお忍びの逢瀬じゃない? ちょ、ちょっとおお!!!


 馬車は貴族街を離れた。


 しばらく私たちは無言のまま、街のなかを通り過ぎた。首都の中心にある大きな教会。ニンジンのような赤い色の屋根に白塗りの壁を持つ家だけが並ぶ街区。海へと続くかのようにみえる、石畳の坂道。


 彼がようやくおずおずと口を開いた。私は身構える。


「骨董店なんですけど、ティールームをやっているところがあるんです」

「……骨董がお好きなんですか?」

「はい。美術品や骨董品を集めるのが趣味です。王立美術協会の名誉副総裁をしています。名誉総裁は兄上なんですけど、兄上は絵が下手だから……コップを描いたのに犬に見えるんですから。僕が頑張らないと」

 

 そうだ。国王は絵を描くのが下手だった。

 「恋い焦がれ」た男の弟は、顔をうつむかせて真っ赤に頬を染めている。


「……」


 馬車が停まった。

 着いた場所はプラタナスの木に囲まれた、薄いクリーム色の小さな二階建ての建物だった。なかなか瀟洒しょうしゃな建物だ。派手な宮殿より、こんな感じの建物のほうが、私は好きだ。

 彼が私の手をそっと握ってきた。


「入りましょう。ちょうど頼んでいた品物を受け取るので、もしよろしければお付き合いください」

「はい」


 入っていくと、物静かだが柔和そうな、中年の男性が出迎えてくれた。

 彼はアルヴィッド殿下に声をかける。


「頼まれていた品は用意しております」

「ありがとう」


 それで案内された応接間へと赴く。そこには、イーゼルに風景画が掛けられていた。殿下は満足げに「これは見事だ」と男性に言うと、足早に応接間から出て、階段をあがってティールームへ向かっていった。


 少し不思議だ。楽しみにしていた絵画ではなかったのか。あんまりにあっさりし過ぎていないか、と思っていると、彼のお腹から、ぐう、という音がした。


 それに気づき、青年は顔を真っ赤にした。


「聞きました?」

「うふふ」

「あなたにあいたくてたまらなくて、朝食をたいしてとっていなくて——」

 

 十八歳なんですから、朝食は食べてください。


 ティールームは席が八つほどあり、下の階の骨董や絵画が飾られている、趣味の良い空間だった。

 殿下のお気に入りの絵だという、空の美しい風景画が壁に掛けられている席に座る。

 すると、少し年かさの、女性の従業員がやってきた。黒衣がよく似合う、上品そうな白髪の女性だ。


「あら。お坊ちゃま。その女性は」


 彼と親しいらしい。アルヴィッド殿下ははにかみながらも即答した。


「妻です……」


 私は慌てて否定する。


「まだ妻ではありません! 婚約が内定……しただけ」

「なので妻です……」


 白髪の女性は笑う。


「では奥様からお伺いしましょう」

「奥様って……!」


 困惑しながらも渡されたメニューを見る。少し嬉しくなる。

 お気に入りの銘柄の紅茶と、果物があったからだ。


 ——果物!


 お化けは大嫌いだが、果物は大好きだ。


「こ、この紅茶と、果物……」


 左右を急いで見た。フェーリーン公爵令嬢たるもの、このようなはしたないお願いをしてはいけないのだが。でも、少しだけ。殿下以外誰もいないし。


「できれば、山盛りを……!」


 アルヴィッドは目を大きく見開いた。


「……果物がお好きなんですか?」

「はい、大好きです」

「知らなかった……、好きな銘柄の紅茶は知ってたのに」


 この世の終わりが来たように、殿下は頭を抱えた。

 直後、何故か、そうか、果物、といいながら顔を元気よく上げる。

 不穏な空気を漂わすぶあつい手帳を懐から取り出し、何か書きつけた。何の手帳なのだろう、それは。


「僕も同じ銘柄の紅茶で。あと、」


 白髪の女性はわかったふうにうなずいた。


「いつもの、牛肉のシチューでございますね」


 アルヴィッド殿下ははにかみながらいう。


「うん……パンもつけて」


 本当によく食べる。十八の男子というものはこういうものなのか。


 殿下のご性格はまだつかみ切れていないが、大枠としては基本的にはにかみ屋で、内気で穏和という印象を受ける。


 しばらく待っていると、ガラスの器に盛られたいろどり豊かな果物と、赤いシチューがやってきた。

 果物を食べながら、殿下に聞く。


「あのう……前も申し上げましたが、私は殿下より年上です。七歳も。それに、ずっと病気がちに過ごしていました。満足に妻としての役割を果たせないかもしれません。それでもよろしいのですか?」


 アルヴィッド殿下は「そのことなんですけど——」と顔を曇らせる。

 やはり気にしていたか。不自然な縁談だ。本当はお父様あたりが押しつけたに違いない。内気で穏和な大公殿下は断れなかった、と見るべきだろう。


「あなたが体調を崩されて、フェーリーン公爵の持っている田舎の領地にて静養されていることは、聞き及んでおりました。だというのに僕は勉強に政務に忙しくて、あなたを看病しに行けなかった。病気に苦しむ妻を放置していたなんて、夫として失格です……!!」

「ま、まだ夫ではありませんし、気になさる必要は」

「僕にはあるんです。貴女に助けてもらったのに」


 彼は恥ずかしそうな顔をしてうつむいた。


「……僕は、年齢はどうでもいいのです。あなたがいいんです。ただ、あなたがいいんですよ」

「……」


 ふざけてるのか、と言いそうになった。

 そんなこと、真面目な顔していわないでよ、と膝の裾をぎゅっと握りしめた。

 王妃にもなれない。高慢な気性といわれて縁談相手も寄り付かない。過去の傷に囚われて苦しんでいる私を、誰が「あなたがいい」だなんて言ってくるものか。

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