で、でん、で、で、で
母の鋭い声が響く。
「もう話したくない!」
「ごめんなさい。申し訳ございません」
はあ、と母は額に手を当てた。
「国王じゃないなんて、ありえない」
「申し訳ございません!」
「何で軽率に縁談を受けるの。あなたに努力って概念はないの……? この間、陛下のご寵愛を受けたじゃない!」
ご寵愛、と心底震える。あんな恐ろしい思いは二度と嫌だ。でも、母には事実を話さなくては。
「でも、国王陛下は、ヴェイセル様は、先日、お妃様をお迎えになられましたわ。仲もよろしいそうで」
「略奪なさいよ! あなたならできるでしょ!?」
母は爪を噛んだ。
私は身の置き所のない気分になって、縮こまって震えた。
ああ、夢だ。私もさすがに王妃になることはあきらめて、縁談を受けたことがあった。素敵で温かい年上の男性。自分はこの人となら幸せになれるかもしれない。そう思った。
縁談を進めようとした。うすうす私と実母の関係に疑いを持っていた父も賛成した。
だが、いまとなって見ればもう、母は、娘が王妃になることは不可能だという簡単な現実さえ見ることができなくなっていたのだと思う。
王妃になったのはフィエルクロー公爵家の令嬢。カルネウス侯爵家やフェーリーン公爵家と並ぶ名門だ。だが、フィエルクロー公爵家の強みは、「フィエルクロー商会」と名乗り商売に手を出し、この国の経済のかなりの部分を支えているということ。
今は違うが、当時名門という看板以外に何もなかったフェーリーン公爵家に国王が求めることなどない。しかも外戚として大幅な権力を振るってきたカルネウス侯爵家を嫌う国王には力が必要だった。
だがそのときの私は、恐怖に凝り固まり、母の言うことを絶対のものとして受け止めていた。
「か、かしこまり、ました。そういたし、ます」
略奪、しますから、許してください。
お腹を蹴られた。
『ぇさま』
「略奪しますから、許して!」
どんどん、とお腹の上で何かが飛び跳ねている。母がやはり殴っているのだろうか。
「ねえさま」
「本当に、ヴェイセル様を略奪してきますから!」
「ねえさま~~!!」
はっ、と目を覚ますと、私のお腹の上に弟のテオドルが乗って大はしゃぎしているのを見た。
ひどく安心する。
周囲を見回すと、ここはフェーリーン公爵本邸、つまり実家の居間だった。ああそうだ、窓辺のソファに座って昼寝していたのだ、と思いだす。
ほっとため息をついた。
「人のお腹の上に乗っちゃダメじゃない」
弟を抱き上げてそっと下ろすと、たまたまそばにいたテオドルの乳母が言う。
「お嬢様こそ、略奪愛だのなんだのという寝言を言うのはやめてくださいまし」
顔を真っ赤にする。寝言を決められる人がいたら超人だ。
結局のところ、母はその直後に離婚されて死んでしまったため、私が国王陛下に近づくことは二度となかった。
略奪愛も不倫も知らない弟が、私の袖を引いてくる。
「ねえさま! あそぼ。海賊と騎士ごっこ。ねえさま海賊ね!」
「……はいはい」
体を起こして立ちあがると、弟からご丁寧にも海賊っぽい帽子を渡された。
弟はおもちゃの木の剣を持っている。だが、私は武器になるようなものを渡されなかった。
「素手で戦えってこと?」
「海賊は騎士とはちがうから武器ないもん」
「ぬぅ」
海賊をやっつける騎士・弟が真剣におもちゃの剣を構えている。こちらも拳骨を作る。
「この国をへなちょこにする海賊め! かくごぉぉぉ!」
弟はおもちゃの剣をおおきく振りかぶった。ここでやられる演技をしなければならない。
私は「ぐっ」、と膝をついた。
「ぐはっ」、と口から血が出るふりをする。
「何、何だとっ、何だこの騎士は! 七つの海を支配してきたこの私に、勝っただと……!?」
そして倒れる。弟は大満足の歓声を上げた。
こんこん、とノックの音が聞こえ、身体を起こす。
使用人が急いで入って来た。口をぱくぱくと動かしている。
不審に思いながら訊く。
「どうしたの?」
「で、でん、で、で、で」
「落ち着きなさい」
「殿下でございます!」
先日婚約を取り交わし、婚約内定となった相手、くだんのヴェイセル様の弟のミュルバリ大公アルヴィッド殿下が待合室で待っていた。
「……やっぱりあなたは優しいお姉さまですね……」
うっとりとこちらを見てくる。
私は羞恥のあまり両手で顔を覆った。