……とうとう見つけた。僕の愛しい——
まるで薫り高き薔薇のようなドレス。もう二十を越した女の色香を増す、匂い立つような化粧。同じく、品は良いが派手ではない結い髪。
私は鏡を見て、恥ずかしさで死にそうだった。
——どうしてこの歳になって縁談が来るのよ……。
大抵、この国では十七、八歳。遅くとも二十までには、大抵の女が夫を持っている。二十を越して縁談が来る女などいない。
義理の娘のために、わざわざ支度を整えたロヴィーサお母様が言う。
「素敵じゃない♡」
縁談を受けたこと自体はある。ただ、実母が「この子は王妃になるから」とありとあらゆる男をはねのけた。すると、高慢な女という話になる。自然と、縁談は来なくなる。
「ロヴィーサお母様の努力が無駄にならない程度には、頑張ってきます……」
「じゃあ、年下の可愛い大公殿下を誘惑してきてね♡」
「……しません!」
もう、と言いながら、お父様やロヴィーサお母様と一緒に車止めへと向かう。振り返れば、弟のテオドルが寂しそうにぬいぐるみを抱いていた。
私は高らかに言い放った。どう考えても大公殿下は私を見た途端に「歳が違う」と激怒して破談にするだろう。
「テオドル、姉様はすぐに戻ってきます。そしたらたくさん遊びましょう」
「ほんと!?」
何も状況がわかっていない弟は、飛び跳ねた。
馬車に乗り、首都オーデバリの湾岸近くの大公殿下の館へと向かう。意外と王宮から遠くないかと父に聞いたら、普段大公殿下は王宮に住んで兄王陛下を助けており、所用があるときこちらに戻ってくるのだ、と答えた。
「殿下のお仕事に差し障りがないよう、三分で終わらせます!」
そう言い放ち、二階建ての、下はクリーム色で、上はオレンジ色の大きな館の玄関へと降り立つ。
侍従と思しき老人が、礼をしている。
「フェーリーン公爵夫妻ならびに公爵令嬢、こちらでございます」
ロヴィーサお母様のみが「素敵な場所……」と瞳を輝かせながら、三人で長い廊下を歩いていく。
大公殿下が待っているという部屋の前に着くと、年老いた女官が父とロヴィーサお母様を止めた。
「大公殿下は、イレイェン様と二人きりでお話しすることを望んでらっしゃいます」
「えぇっ……!」
悲鳴をあげたのは父であった。
「うちの娘に無体を働くつもりじゃあ……」
ロヴィーサお母様は両手で自分を抱きしめて震えた。
「いやぁ~~ん♡ 大胆♡」
女官がそのまま、別室に二人を押し込めた。私はそれを見て、ごめんなさい、と内心でいう。
——ごめんなさい、私、何もしなくても縁談が消えてきましたから、ご期待には添えないと思います!
部屋の扉が開かれた。白なのに冷たく感じない天井に、海のように真っ青な絨毯。調度は青と金に整えられ、非常にこじゃれた部屋だった。
だが、誰もいない。
——なんだ。騙されたんじゃないの。
私はひどく安心した。そう、十八歳のミュルバリ大公殿下が自分に目を向けるはずなどないのだから。お父様とロヴィーサお母様がおおかた湾岸に屋敷でも買って、その屋敷をお披露目したいために盛大な嘘をついたのだろう。
そういうことをしかねない義母と、そんな彼女に甘い父だ。
「まったく、ロヴィーサお母様とお父様は、何をふざけてらっしゃるのです——……っ」
そっと、何かに背後からひたりと手を触れられた。そして、腕を絡められる。耳のあたりに、生温かい吐息を感じる。
——うそでしょ。うそうそうそうそ!!
昼間なのに。
そちら側へと振り向くことができない。
——やだやだやだやだ。やめてえええええ!
「……とうとう見つけた。僕の愛しい——」
「いやあああああああああああああああああ!!! おばけえええええええええええ!!!」
私は悲鳴をあげた。血の気がどんどんと引いてゆき、しまいにはなにか温かい腕のようなもののなかに倒れてしまった。
うっすらと目を開けると、父の焦った顔と、ロヴィーサお母様の心配そうな顔、その横に知らない顔の貴公子がいた。貴公子は、降り積もった山奥の雪より白い肌で、輝く鳶色の巻き髪に、泉の水底を思わす切れ長の翠の瞳を持っている。
「……娘はその、小さい頃から大のおばけ嫌いでして、……けして殿下を侮辱するつもりは、その」
父が非常に焦った声を出している。だが、殿下と呼ばれた貴公子はその言葉を寛容に受け止めていた。
「ええ。そう感じました。それにしても、おばけが苦手だなんて。やっぱり僕は、貴女のことを全く知らないな……。もっと知らないと。ねえ、イレイェン殿」
貴公子がイレイェンに向かって甘く微笑んでくる。殿下ということは、この貴公子がミュルバリ大公なのだろうか。
何も返事を出来ずにいると、貴公子が目を細めた。
「お目覚めですか? イレイェン殿」
「!?」
がばりと起き上がった。
令嬢にふさわしからぬ下品な行為だ。実母が生きていたら確実に説教部屋に閉じ込められそうな起き方である。
かきこき、とまるで、からくり人形のように貴公子の方を振り向く。
「あ、あの、私、倒れ……ました? おばけと……殿下を……勘違い、しました?」
貴公子はまた、甘く微笑んだ。いや、どこか熱っぽく。
「肯定いたしましょう。でも、可愛らしい貴女が見られてよかった」
そして、手を取られた。指先にくちづけられる。
「まったく僕は、名乗るのを忘れるなんて。気がはやっていけませんね。アルヴィッドと申します。ミュルバリ大公を拝命しております」